山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼426号 「北ア・穂高の展望台徳本峠の説教」

【概略】
徳本峠の小屋は大正12(1923)年建設当時のまま(当時)。また夕
食前にひと説教。しかし、朝の3時ごろからランプの明かりで手抜
きなしの朝食づくり。掃除がゆきとどいたトイレの中に何気なく飾
られた菊の生花。「まあ、このキク生け花よ」「ホントだわ」。女性
客同士が用を足しながら話していました。

▼426号 「北ア・穂高の展望台徳本峠の説教」

【本文】
登山者の宿泊所である山小屋。そのオヤジの偏屈さもよく話題にな
ります。やたらと説教をたれ怒鳴るのも、理にかなっていれば逆に
その人の味になり、好んで訪れる人もあらわれます。かつての奥多
摩雲取山の家の鎌仙人・故富田治三郎氏は有名です。


登山者の間でささやかれているひとつに北アルプス徳本峠小屋があ
ります。徳本とかいて「とくごう」。この峠にある小屋はいまだに
ランプの宿で、1923年(大正12)に建てられたそのままの姿の旧館
(2010年リニューアル。いまは休憩所、資料館になっている)。


夕食前にはヒゲモジャのオヤジが小屋の外でごつい格好でマナーに
ついて説教。あれしてはいけない、これしてはだめだと、そのキビ
シイ応対に客はオドオド。泊まるのにも気を使うありさまです。


しかし、朝の3時ごろからランプの明かりを頼りに手抜きなしの朝
食づくりをする姿があります。また古くはあるが隅々まで掃除がゆ
きとどいたトイレの中に、何気なく飾られた菊の生花……。


たしかに言うことは言うが、やる事もやるもんだ。「まあ、このキ
ク生け花よ」「ホントだわ」女性客の声がトイレの中から聞こえて
くるのもこの小屋ならではのこと。


ある年の8月、裏銀座から双六岳経由槍ヶ岳・常念・蝶ヶ岳から徳
本峠とゆっくり歩行とはいえ10日間の山行。徳本峠に着くころとは
いささかくたびれました。早速テントを張りごろ寝。夕食前のマナ
ーについての話がうたた寝の身には失礼ながら子守歌に聞こえまし
た。井出孫六編「日本百名峠」や「信州百峠」に選定。

▼徳本峠【データ】
【山名】・江戸時代上高地の常設杣小屋付近を村人は「徳吾」と呼
んでいた。明治になり、お上が地図をつくった時、徳本峠と記入。
土地の人は不審に思いながら昔から親しんできた「とくごう」の地
名で呼びあった。仕方なくお上は徳本峠に「とくごう」とルビをふ
って読ませた。

【所在地】
・【上高地から徳本峠】・長野県松本市安曇(旧南安曇郡安曇村)。
松本電鉄新島々駅の北東12キロ。松本電鉄新島々駅からバス上高地、
歩いて3時間30分で徳本峠(とくごうとうげ)

・峠上に徳本峠小屋がある。(標高2135m)地形図に峠名(本に「ご
う」のルビ)、小屋名の記載あり。標高数字なし。付近に何も記載
なし

【名峠】
・井出孫六選定「日本百峠」(第45番選定)
・郷土出版社版「定本信州百峠」(第58番選定)

【位置】
・【徳本峠】緯度経度:北緯36度13分41.07秒、東経137度40分41.93
秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「上高地(高山)」(別の図葉名と重ならず)
(国土地理院「地図閲覧サービス」から検索)

【山行】北アルプス裏銀座から表銀座縦走
・某年8月26日(土・快晴)徳本峠探訪

【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角川書店)1
990年(平成2)
・『信州百峠』井出孫六ほか監修(郷土出版社)1995年(平成7)
・『日本百名峠』井出孫六編(桐原書店)1982年(昭和57)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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山旅イラスト【ひとり画展通信】
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