山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼423号 「那須・茶臼岳山麓殺生石」

【概略】
那須の温泉神社近くの殺生石は妖狐「玉藻の前」の霊が石になり、
毒ガスを発生し祟ったという。玉藻の前は、天竺から那須に移り住
んだ800歳ともいう年のくった金毛九尾の狐の化身だという。あた
り一帯は硫黄ガスと酸性の温泉水でいまでも草木一本生えていな
い。
・栃木県那須町

▼423号 「那須・茶臼岳山麓殺生石」

【本文】
栃木県那須温泉のシンボル殺生石はその名も温泉神社近くにありま
す。この石は毒ガスを発生するといい、玉藻の前(たまものまえ)
という妖狐譚が伝わっています。玉藻の前は、天竺から那須に移り
住んだ800歳ともいう年のくった金毛九尾の狐の化身だという。

鎌倉時代初期の『玉藻前物語』という本に「主上近衛院の御宇<ぎ
ょう・御代(みよ)>久寿(きゅうじゅ)元年(1154・平安時代)
□□(欠字・甲戌?)春の比(ころ)□(欠字・鳥?)羽院の仙洞
(せんとう)に齢廿計(はたちばかり)の化女一人出来(いでき)
たりその容貌をいわは翡翠のかむさしうるわしく嬋娟(せんけん)
のよそおゐこまやかなり…人にすくれ世法(せほう)仏法(ぶっぽ
う)共知らずと云事なし…しかのみならす才覚依りて至尊寵愛(し
そんてうあい)のあまりに玉座近くにめされて…うんぬん」とあり
ます。

つまり、鳥羽院の御所に、どこのものとも知れない「化女」という
美女があらわれた。「化女」は、名前を「玉藻の前」と改め、たち
まち鳥羽院の寵愛を一身に集めるようになった。あるとき、宮中で
宴が催され、管弦が最高潮になったとき、殿閣がゆれて燭火が消え
ました。

すると天皇の座の下にいた寵姫の玉藻の前の身から光が出て、殿階
を照らしました。そしてそれから天皇は病気になったという。阿部
泰成という陰陽師が占った結果、玉藻のせいと分かりました。ばれ
た玉藻はたちまち狐に変身し、東の方に向かって逃げ出しました。

朝廷は三浦介(みうらのすけ)義明、千葉介常胤、上総権介(ごん
のすけ)広常らに命じて狐を射殺させたという。(このころはまだ、
殺された狐の魂がこり固まって石になったという話はありません)。

そして江戸時代に入ると殺生石の話がいろいろな書物に登場するよ
うになりました。江戸中期の「和漢三才図会」(寺島良安)には、「朝
廷は三浦介義明、千葉介常胤、上総権介広常に詔して、その狐を下
野州(しもつけのくに)那須野で狩らせた。義明は狐を射殺した。

それよりのち百年余、狐の霊は石となったのである。俗に「殺生石
(せっしょうせき)」という。その石に触れると、鳥獣人民はみな
死ぬ。と書かれています。鎌倉時代中期、天皇からみことのりを受
けた源翁禅師という僧が、石の傍に行き、「法法塵塵端的低、本来
の面目いまだ蔵(かく)れず、現成公案大難事、異類中行度量に任
す」と偈(げ)を唱え、?杖(しゅじょう)を挙げて激しく一下ろ
しすると石はたちまち破砕した」というのです。

また「一説によればたまたま那須野原を通ったとき、老父から殺生
石のはなしを聞き、石に偈(げ)を唱えると石は3つに裂けて飛び
散り、石霊はいなくなった」ということです。

ある秋、三斗小屋温泉に一泊、茶臼岳の無限地獄の熱湯でゆで卵を
作り、南月山を通り、温泉神社といまでは県の指定史跡になってい
る殺生石を訪ねました。殺生石があるこのあたり一帯は湧き出る硫
黄ガスと酸性の温泉水で草木一本生えていません。

芭蕉も「石の毒いまだほろびず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見え
ぬほどかさなり死す」と『おくのほそ道』に書いています。現在は
噴出量は減少しているといいますが、かつてはそのありさまを見た
当時の人たちは、妖狐玉藻前の執念のなせるわざと思ったのも無理
もないような不気味な光景でありました。

▼【データ】
【所在地】
・栃木県那須郡那須町。JR東北本線黒磯駅からバス、那須湯本下
車殺生石。地形図に殺生石名と石碑記号のみ記載。付近に鳥居記号
がある

【位置】
・【殺生石】緯度経度:北緯37度06分6.98秒、東経139度59分
56.55秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・旧2万5千分の1地形図「(那須岳(日光)」or「那須湯本(白河)」
(2図葉名と重なる)

【山行】三斗小屋から温泉神社山行
・某年11月29日(日・雪)那須殺生石探訪

【参考】
・『玉藻前物語』(文明2年・1470・鎌倉時代初期)まだ殺生石につ
いては記されていない。
・『日本伝説大系4・北関東』(茨城・栃木・群馬)渡邊昭五ほか(み
ずうみ書房)1986年(昭和61)
・『日本妖怪異聞録』小松和彦(小学館)1992年(平成4)
・『日本歴史地名大系9・栃木県の地名』寶月圭吾ほか(平凡社)1
988年(昭和63)
・『和漢三才図会・10』(東洋文庫487)(巻第66〜巻第68)寺島良
安(島田勇雄ほか訳)(平凡社)1988年(昭和63)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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