山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼421号 「奈良県・洞川竜泉寺の伝説」

・【概略】
夫に本当の姿を見られた白蛇の妻は幼子に眼球を残し池に戻ってい
った。幼子は母の眼球をなめて育てられたがそれもなくなった。そ
の時再び姿をあらわした母親は残る片方の目を差し出した。竜泉寺
に伝わる伝説です。竜泉寺は飛鳥時代、役ノ行者が八大竜王をまつ
ったという。

▼421号 「奈良県・洞川竜泉寺の伝説」

【本文】
いまでも女人禁制がつづく奈良県大峰山の山上ヶ岳(さんじょうが
たけ)。その登山口、洞川(どろかわ)集落にある大峰山竜泉寺は
真言宗醍醐(だいご)派の名刹です。山上ヶ岳への入峰者は必ずこ
の竜泉寺で水行したという。ここには寺創建に関わる伝説がありま
す。ずっと昔の話です。

洞川の村はずれに茂助という若者が母親と一緒に住んでいました。
母親が亡くなってしまったあと、身寄りとてなく茂助は全くのひと
りぼっちになってしまいました。

茂助は人づきあいが下手でしたが正直で、雇われの山仕事をしてい
ましたが黙々と働きますので重宝されていました。ある夏の夕暮れ
時、山仕事からの帰り道に谷底にある古池のほとりで苦しんでいる
若い女性に会いました。

たいへんな苦しみようなので茂助は、助けおこして家へつれもどり、
置き薬などをのませて介抱しました。看病のかいがあってかやがて
病気はおさまっていきました。

女性はおきぬといい、遠い国から行方知れずの父を探しに旅をして
きて身を寄せるあてなどないとのこと。茂助のすすめるままに居つ
いた女性はとうとう茂助と夫婦になりました。

やがて玉のような男の子が誕生、茂助は前にも増して仕事に精を出
しました。そんな幸福な日々が続いたある日、妻のおきぬは茂助に
真剣な顔つきをしていいました。

「これからは、山から帰ってきたときは必ず表から声をかけてから
家に入ってきてください。わけは聞かないでください」。不思議な
ことをいうものだ。茂助はけげんに思いました。

そんなある日、茂助は突然部屋に入ってしまいました。そこには部
屋いっばいにとぐろを巻いて赤ん坊に添い寝している自蛇がいたの
です。

白蛇は「あなたは約束を破り、とうとう私の正体を見てしまいまし
た。あなたともこの子とも別れて池へ帰らなければなりません」。「こ
の子はあなたの手で育ててください。お乳を欲しがるときにはこの
目をなめさせてください」。

そういうと白蛇は自分の片目をえぐって取りだし茂助に差し出しま
した。そしてそれっきり姿をかくしてしまったのです。赤ん坊がお
乳を欲しがって泣くときには残していった目玉をなめさすと、不思
議にもスヤスヤ眠りにつきました。

赤ん坊はまるまる太って大きくなっていきました。しかし、目玉は
だんだんと小さくなり、とうとうなくなってしまいました。赤ん坊
はお乳をもとめて泣きさけびました。

茂助は困りはて、どうしていいか分からぬまま、泣きさけぶ子ども
を背負い妻の帰っていった池のほとりをさまよいました。すると池
の面がにわかに大きくざわめきたち、片目の白蛇が姿をみせたので
す。

「みんな知っております。よくここに来てくれました。もう少しで
この子もお乳がいらなくなるでしょう。その間残っている目玉をな
めさせて育ててください」。

慌てて止める茂助に「可愛いこの子のためなら見えなくなっても構
いません。ただ昼夜の区別がつかなくなります。できたら朝は三つ、
夜は六つの鐘を鳴らして下さい」。

白蛇は残っている目玉を茂助に渡すとまた池の底に姿を隠しまし
た。茂助は骨をけずるような苦心のすえ、池のほとりに望み通りの
お寺を建てました。

それが洞川の竜泉寺だったのです。境内にある竜王堂とよぶ鐘楼か
らは、きょうも朝は三つ、夜は六つの鐘の音が大峰山麓に鳴り響い
ているのです。

▼【データ】
【所在地】
・奈良県吉野郡天川村(合併なし)。近鉄吉野線下市口駅からバス1時
間半で洞川集落竜泉寺。すぐそばに村立資料館がある。

【位置】
・【竜泉寺】緯度経度:北緯34度16分10.04秒、東経135度52分
45.1秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「中戸(和歌山)」or「洞川(和歌山)」(2
図葉名と重なる)(国土地理院「地図閲覧サービス」から検索)

【山行】
・某年4月8日(土・晴れ)洞川集落竜泉寺探訪

【参考】
・「日本の伝説13・奈良の伝説」岩井宏美ほか(角川書店)1976年
(昭和51)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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山旅イラスト【ひとり画展通信】
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