とよだ 時 「山の伝承伝説」民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画展】

▼416号「北ア・五色ヶ原と佐々成政の埋蔵金」

・【概略】
戦国時代の1584(天正12)年、12月(旧暦11月)、ザラ峠から五
色ヶ原を通り信州へ抜けたという佐々成政。その後山中に隠したと
される軍資金のうわさ。伝説の鍬崎山とその北側のカラ杉谷で小判
を実際に拾った人もいるといいます。
・富山県富山市と立山町との境

▼416号「北ア・五色ヶ原と佐々成政の埋蔵金」

【本文】
富山城主・佐々成政の真冬の立山越えの話は有名です。天正12(15
84)年12月(旧暦11月)、成政は浜松の徳川家康に会いに出発しま
す。

冬の立山は、想像以上にきびしく、吹雪に襲われ凍傷になやまされ、
食糧も底をつくありさま。

1ヶ月後、一行が信州野口村大出(いまの大町市大出)にたどりつ
いたときは遭難寸前。立山越えのコースは一般的に、立山・常願寺
川・ザラ峠・五色ヶ原・黒部川の平・針ノ木峠・籠川谷・野口村の
ルートとされています。

成政が秀吉に降伏したのは翌天正13(1585)年。成政はその直前に
家臣に軍資金を黒部の山中に埋めさせたという。この埋蔵金探しは
最近まで続けられ実際に伝説の鍬崎山とその北側のカラ杉谷で小判
を拾った人もいるといいます。

ある年の8月、ザラ峠を越え、五色ヶ原でテントを張りました。立
山と薬師岳の中間にある五色ヶ原は、東は黒部湖を隔てて後立山連
峰、遠く槍ヶ岳も望める広々とした平地。

池塘が点在するなかに高山植物が咲き乱れる別天地は、まさに自然
がつくった大庭園。昔から立山信仰の聖地雄山神社の本尊立山権現
のお遊びの花畑だといわれるのもうなずけます。

途中通ってきたザラ峠。なるほど荒廃してはいますが常願寺川方面
へ下る道がいまもあります。五色ヶ原は池塘と残雪、高山植物の花
で埋まっています。

新婚さんらしい2人が、近くのヒュッテに泊まっているのか、素肌
をまっ赤に日焼けして雪遊びをしていました。お互い、いい持代に
生まれました。

▼【データ】
【所在地】
・富山県富山市旧大山町各地区名(旧上新川郡大山町)と富山県中
新川郡立山町との境。立山室堂から歩いて5時間で五色ヶ原テント
場(2500m)。地形図になにも記載なし。一帯の地名として五色ヶ
原の文字あり。テント場より北西方533mに五色ヶ原山荘がある。

【位置】
・五色ヶ原テント場の位置:【緯度経度】北緯36度32分14.07秒、
東経137度35分50.52秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシス
テム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「立山(高山)」(別の図葉名と重ならず)(国
土地理院「地図閲覧サービス」から検索)

【山行】早月尾根・剱岳・五色ヶ原・薬師岳縦走
第4日目:1986年(昭和61)7月29日(月・快晴)五色ヶ原探訪
:1986年(昭和61)7月26日(金)〜8月1日(土)「上野駅・魚津
駅・富山地方鉄道上市駅・馬場島バス停・早月尾根・伝蔵小屋(早
月小屋)・剣岳・剱沢・立山室堂・ザラ峠・五色ヶ原・スゴ乗越・
薬師岳・太郎兵衛平・折立バス停・有峰口駅・富山駅・上野駅」

【参考】
・「山岳宗教史研究叢書10・白山・立山と北陸修験道」高瀬重雄編
(名著出版)1977年(昭和52)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・「秘録・北アルプス物語」朝日新聞松本支局(郷土出版)1982年
(昭和57)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

………………………………………………………………………………………………
山旅イラスト【ひとり画通信】
題名一覧へ戻る