山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼415号「奥秩父・金峰山南側広場のお宮」

・【概略】
奥秩父の金峰山五丈岩のわきを通り南側にまわるとせまい広場があ
ります。ここには昔、山宮(本宮)があり、甲府市、山梨市、牧丘
町などにある金桜神社の山宮(本宮)だったという。なかには金の
大黒天がまつられていて、江戸末期、それを盗もうと盗賊が火をつ
けてしまい、本殿が焼失してしまったという。いまは壊れた祠がポ
ツンとあります。
・山梨県甲府市と長野県南佐久郡川上村との境。

▼415号「奥秩父・金峰山南側広場のお宮」

【本文】
奥秩父の金峰山(山梨県と長野県境)は標高2599m。深田久弥選
定の日本百名山の一つ。また新日本百名山(岩崎元郎選定)、山梨
百名山(山梨県選定)、信州百名山(清水栄一選定)、花の百名山(田
中澄江選定)などにも選ばれています。

山梨県側では「キンプサン」とか「キンプウサン」と呼び、ほかに
キンプゼン、キンポウザン、キンプザンなどとも呼ばれるようです。
しかしいまでは「キンプサン」、「キンポウサン」が一般的になりま
した。

信玄文書には「金風山」と書かれています。また江戸時代の地誌「甲
斐國志」に幾日峰(いくひのみね)とありますが、これは鎌倉前期
の順徳天皇・順徳院(承久(じょうきゅう)の乱・討幕計画失敗)
の「続千載集」にある「千隈川春行水ハ澄二ケリ消えテ幾日ノ峯ノ
白雪」の歌からきたものだそうです。

山頂には、五丈岩と呼ばれる5立方mくらいの大岩と、三等三角点
(2595.03m)と標高点(2599m)、金桜神社の山宮(本宮)の跡が
あります。また北西方向に金峰山小屋もあります。

江戸中期の儒学者荻生徂徠(おぎゅうそらい)が著した本『峡中紀
行』に、奥秩父金峰山山頂は黄金の地だとあります。西麓には金山
(かなやま)という地区もあり、武田氏の時代の金の採掘場所とも
いうことから、金鉱にかかわる山なので金峰山の名がついたとする
説があります。

天文年間(1532〜55年)以降、長野県側川上村も武田氏の領有にな
りました。村内にも金山があって、ここでも武田信玄の命令で金を
採掘したといわれます。

山頂の五丈岩のわきを南(山梨県側)にまわり込むと、ちょっとし
た広場があり壊れかけた石祠と石灯篭が建っています。甲府市、山
梨市、牧丘町などにある金桜神社の山宮(本宮)ですがいまはすっ
かり荒れ果てています。

甲府市御岳町にある金桜神社の社伝では、はじめ五丈岩に少彦名命
(すくなひこなのみこと)をまつりましたが、のち日本武尊が須差
之男命(すさのおのみこと)と大己貴命(おおなむちのみこと)を
合祀し、社殿を広場に建立したのが山宮のはじまりとしています。

かつて山宮には金製の大黒天がまつられていましたが、江戸も末期
の慶応年間(1865〜67)に盗難にあい、さらに放火され山宮は焼失
していまったということです。こんなとろにもドラマが埋もれてい
るですね。

▼金峰山【データ】
【山名】
・金峰山(きんぷさん、きんぷぜん、きんぷうさん、きんぽうざん、
きんぷざん)・幾日峰(いくひのみね)

【所在地】
・山梨県甲府市と長野県南佐久郡川上村との境。JR中央本線韮崎駅
の北東24キロ。JR中央線韮崎駅からバス増富温泉から瑞牆山荘経
由、7時間で金峰山(きんぷさん)。五丈岩と三等三角点(2595.03
m)と標高点(2599m)、金桜神社の山宮(本宮)跡がある。

・地形図に山名と三角点の標高と標高点の標高の記載あり。三角点
より北西方向380mに金峰山小屋がある。

【位置】
・標高点:北緯35度52分17.81秒、東経138度37分31.69秒
・三角点:北緯35度52分17.4092秒、東経138度37分31.1284秒

【地図】
・旧2万5千分の1地形図「金峰山(甲府)」or「瑞牆山(甲府)」(2
図葉名と重なる)

【山行】金峰山・大弛峠・川端下(かわはけ)
・某年4月29日(金)金峰山探訪

【参考】
・『角川日本地名大辞典19・山梨県』磯貝正義ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・「峡中紀行」(荻生徂徠):『峡中紀行』河村義昌訳注 雄山閣):江
戸中期の儒学者荻生徂徠(おぎゅうそらい)
・『信州山岳百科・3』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・『山の憶い出』小暮理太郎:『日本山岳名著全集2』(あかね書房)
1962年(昭和37)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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