山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼414号「北ア・三俣蓮華岳の山賊」

・【概略】
北アルプスの中心部三俣小屋は終戦直後、モーゼル拳銃と猟銃を持
った凶悪犯が住み着き、黒部一帯を荒らしまわっていたといいます。
縁あって譲り受けたいまのご主人は友人2人と偵察に行きました。
途中、命カラガラ逃げてきた猟師に会うようなしまつ。おそるおそ
る小屋に入ります…。

▼414号「北ア・三俣蓮華岳の山賊」

【本文】
黒部川源流にある三俣蓮華岳(みつまたれんげだけ)直下の三俣山
荘は、ハイマツに囲まれ気持ちのよい所です。三俣蓮華岳は、信州
(長野県)側の呼び名です。

飛騨(いまの岐阜県北部)の猟師がこの山で熊を撃ち、そのレンゲ
肝(肝臓)をクマノイ(熊の肝、胆嚢)と間違えて食い、これを見
た信州の猟師が嘲笑して、「レンゲ喰みの岳」と称し、この話を名
ガイド上条嘉門次が日本山岳会の長老たちに聞かせ、それで山岳会
は三俣蓮華岳と命名したのだそうです(『富山県山名録』)。

この話は先年の夏、山荘のご主人伊藤正一先生から聞いたものです。
戦時中、三俣蓮華の小屋の持ち主が戦死してしまい小屋は荒れ放題
だったという。

ある時、縁あって伊藤正一氏が持ち主になりました。ところがその
小屋は、拳銃で武装した前科30何犯の山賊一味の棲み家になってい
るとのうわさがあるところ。

そこでご主人は、友人2人と偵察に行きました。途中、命カラガラ
逃げてきた猟師に会うようなしまつ不安に駆られながら2人は、お
そるおそる山小屋に入ります。

小屋の主人になりすました山賊は「客」にせっせともてなしていま
す。そして「親の代から真面目にやっているので信用ができた」な
どと応対。あげくの果ては「山では助け合わなくては…」と宿料を
まけてくれるしまつ?

大ボラを吹く荒くれ者ではあるが、あながち話のわからぬ男でもな
さそうです。よく話してみると、里のウワサも誤解らしく、先の猟
師も勘ちがいと分かりました。

氏は山賊を更生させようと、身元保証人になり、警察や営林署をま
まわり、記者会見などして名誉回復に努めます。以後一味と暮らし、
協力を得て小屋の再建をはかったという。

昔はおおらかだったのですね。なお、この話は「黒部の山賊・北ア
ルプスの怪」という本になって実業之日本社から出版されています
(最近山と渓谷社からも出版されたと聞きます)。

なお、三俣山荘、雲ノ平山荘、水晶小屋のスタンプに私のデザイン
したものがあります。丸い大きなスタンプですので、よかったら記
念に押してください。

▼三俣蓮華岳【データ】
【山名】三俣蓮華岳(みつまたれんげだけ)・鷲ノ羽岳・西鷲羽岳
・三国三つからみ・山ヶ国出合・三ツカシラ。鷲羽岳(三俣蓮華岳)。
日本山岳会3国境にあるレンゲの山・三俣蓮華岳と命名。三俣蓮華
岳は信州側の呼称。三俣蓮華岳は大正期に登山した大関久五郎によ
ってつけられたといわれる。一説にレンゲ肝(肝臓)に由来との説
もある。

【所在地】
・長野県大町市と富山市、岐阜県高山市との境。大糸線信濃大町駅
の南西27キロ。JR高山本線高山駅からバス、新穂高温泉終点から
歩いて延べ10時間30分で三俣蓮華岳。三等三角点(2841.2m)があ
る。地形図に三俣蓮華岳の文字と三角点標高の記載あり。

【位置】
・三角点:緯度 36°23′23.9635、経度 137°35′15.8291

【地図】
・2万5千分の1地形図「三俣蓮華岳(高山)」

【山行】雲ノ平・高天原・焼岳
・某年7月31日(木・晴れ)三俣蓮華岳探訪

【参考】
・「黒部の山賊・北アルプスの怪」伊藤正一(実業之日本社)1995
年(平成7)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「富山県山名録」橋本廣ほか(桂書房)2001年(平成13)
・「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

………………………………………………………………………………………………
山旅イラスト【ひとり画展通信】
題名一覧へ戻る