山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼406号「北ア・五龍岳の本名」

・【概略】
五龍岳は昔は餓鬼岳と呼んでいたといいます。明治時代に登山者の
聞き違いからお上の地形図にも五龍岳と載ってしまいました。でも
地元では餓鬼岳と昔の名前で呼びつづけています。そこでお上は、
富山県側にある2128mの無名峰を無理やり餓鬼岳と命名しました。
それが今に残っているといいます。
・長野県大町市と富山県宇奈月町との境

【本文】は下方にあります。

▼406号「北ア・五龍岳の本名」

【本文】
今回は北アルプス後立山連峰の五龍岳のお話しです。ただ、いまの
時代、龍の文字は古くさい。五竜岳と書きたいところですが、本名
は五龍(固有名詞)岳だとのこと。これでまいります。

山の名前は大昔から決まっていたわけではありません。南麓の村で
は北山、東麓の村では西山、またその山の前にある(と思っている)
村では裏山てな具合です。それがいまのように統一された山名にな
るにはいろいろな変遷があったようです。五龍岳もそのひとつ。き
り立った断崖を信州の方言では、菱(ひしとかりょう)と呼ぶそう
です。五龍岳はまさに「菱」の山です。

この山には、春先に武田信玄の家紋・武田菱に似た雪形ができます。
武田家の菱なので尊敬の「御」をつけて「御菱(ごりょう)山」と
呼んでいたそうです。明治の末期、登山者がゴリョウというのを五
龍と当て字したのがきっかけで、「お上」が1931年(昭和6)5月
に発行した、5万分の1の地形図にも五龍岳と掲載されてしまいま
した。そんなわけでこの山は「五龍岳」が本名になってしまったと
いいます。

一方、崖の山は、そのままではただの崖岳。ガケ岳がガキ岳となま
り仏教用語の「餓鬼」の字を当てるようになります。ここ五龍岳も
崖の山。江戸時代から餓鬼岳(がきだけ)と村人は呼んでいたそう
です。しかし、明治の末に登山者が紹介した名前のとおり、いつの
間にか五龍岳と名前を変わってしまっています。

それでも地元では昔どおり餓鬼岳と呼び続けます。困ったお上は、
なんとか別に餓鬼岳をつくり、村人にそこを餓鬼岳と呼ばせたいと
考えます。ちょうど北西・富山県側にある2128mの無名峰がありま
した。そこでを無理やり餓鬼岳と命名してしまいます。それがいま
の唐松岳の西にある餓鬼岳。そしてそのまま、いまに残っていると
いうことです。

そういえば、もとの餓鬼岳(いまの五龍岳)に突き上げる黒部川の
支流・餓鬼谷もその東側直下を流れていて、関係ありそうに見えま
す。うまい場所を見つけたものです。

また、山岳信仰で賑わった立山の富山県方面(自分の住んでいる土
地が表だとしている)から見て、信仰する立山の後ろにあるので後
立山(うしろたてやま)だとし、それをそのまま読んで後立(ごり
ゅう)としたという説があります。

さらに実際に立山の後ろにあるのは鹿島槍ヶ岳であるところから、
「後立山」は鹿島槍ヶ岳だとする説もあるそうですよ。このような
わけでいまでも、五龍岳には、餓鬼ヶ岳・割菱ノ頭(わりびしのあ
たま)・御稜岳・割菱岳(わりびしだけ)などの異名があります。
山の名前が決まるにもいろいろとあるもんですねェ。

▼【データ】
【山名】五龍岳(ごりゅうだけ)・餓鬼ヶ岳・割菱ノ頭(わりびし
のあたま)・御稜岳・割菱岳(わりびしだけ)・この地方の方言で菱
(ひし・りょう)は断崖・割菱の意味で、この山の岩肌に走る岩稜
から割菱ノ頭・割菱岳といった説。武田の勢力下にあった頃、武田
菱に似た岩稜を御稜(ごりょう)と読んだ説。また富山方面から見
て信仰で賑わった立山の後ろにある後立山(うしろたてやま)を後
立(ごりゅう)と読んだという説がある。

【所在地】
・長野県大町市と富山県黒部市宇奈月町旧地区(旧下新川郡宇奈月
町)との境。大糸線神城駅の西8キロ。JR大糸線神城駅からテレ
キャビンを利用歩いて8時間で五龍岳。写真測量による標高点(28
14m)と三等三角点(停止【亡失】)(基準点成果等閲覧サービスで
あらわれる)がある。地形図に五龍岳の山名との標高点の標高の記
載あり。

【電子国土ポータル】
・標高点(標高2814m、写真測量による標高点)(緯度経度:北緯3
6度39分30.24秒、東経137度45分9.63秒)(国土地理院「電子国土ポ
ータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「神城(高山)」or「十字峡(高山)」(2図葉
名と重なる)(国土地理院「地図閲覧サービス」から検索)。5万分
の1地形図「大町−高山」(国土地理院「電子国土ポータルWebシス
テム」から検索)

【山行】後立山連峰縦走
・某年8月2日(日・快晴)五龍岳探訪

【参考】
・『角川日本地名大辞典16・富山』(角川書店)1991年(平成3)
・『北アルプス白馬連峰 その歴史と民俗』長沢武(郷土出版社)1986
年(昭和61)
・『信州山岳百科・1』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「旅と伝説」三元社(昭和17年2月号)「山と地形のことば」高
橋文太郎:「民俗学資料集成29」(岩崎美術社)
・『日本歴史地名大系16・富山県の地名』(平凡社)1994年(平成
6)

山と田園の画文作家
【とよだ 時】
【ゆ-もぁ-と】・民画・漫画

………………………………………………………………………………………………
山旅イラスト【ひとり画展通信】
題名一覧へ戻る