山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼404号「北ア・燕岳燕山荘の熊騒動」

・【概略】
手軽に登れる燕岳は家族連れで混み合う。食べ物も散らかすため動
物が出没「熊注意」の立て札もある。夜中、熊が山小屋の米びつを
あさりはじめて大騒ぎ。付近には十数匹の熊が棲ついているという。
熊が人間の食べ物の味を覚えてしまったらしい。
・長野県安曇野市と大町市との境

▼404号「北ア・燕岳燕山荘の熊騒動」

【本文】
燕岳は、風化した花崗岩が独特の造形を造っており、また大天井岳
や槍ヶ岳、黒部源流の山々などが遠望できる絶景地。麓から近距離
で山小屋燕山荘は、家族連れで混み合っています。この山は北アル
プスの中でも登山者の多いことで有名。

なかでも地元中・高校生の集団登山は年間90校、1万人もにのぼる
という。昭和14年(1939)から戦後の教科書切り替えまで、文部省
の国定教科書・小学校6年生前半に使われた「小学国語読本」にも
掲載されています。

「出発。」山田先生の声が中房温泉旅館の前にひびき渡った……。「燕
岳に登る」という書き出しではじまる、この名文は地元の人の心に
残っており、いまも中学校の登山のしおりに掲載されているそうで
す。

これだけの人の集まる山、当然食べ物も散らかすため、動物が出没
するようになります。

ある夏、雲ノ平・双六・槍方面からの縦走後最後の夜を燕山荘のテ
ント場で過ごしました。そばに「熊注意」の立て札。夜中、山小屋
の中が大騒ぎ。熊が台所の米びつをあさりはじめ、熊除けスプレー
が効き過ぎて泊まり客まで鼻を真っ赤にして飛び出してきます。

聞くところによると付近には十数匹の熊が棲ついているという。人
間の食べ物の味を覚えてしまった熊はどうなるのでしょうか。

▼【データ】
【山名】・燕岳。「ツバクロ」か「ツバクラ」か。ツバクロは東京言
葉であり、本当はツバクラが正しいとの地元の主張もあったが、最
近は「ツバクロ」で定着している。1897年(明治30)年代最高点の
岩山・ツバメ岩に登る人が多くなり燕を代表名とするようになっ
た。山容がツバメが左右の羽を広げたような形をしている。またツ
バメのような黒い山肌をしている。ツバメが多くすむ山だからとい
う説がある。

【所在地】
・長野県安曇野市穂高(旧南安曇郡穂高町)と大町市との境。JR
大糸線穂高駅からタクシー中房温泉、歩いて4時間で燕山荘。山荘
の北側に写真測量による標高点(2704m)。地形図に山荘名と標高
点の標高の記載あり。

【位置】
・燕山荘:【緯度経度】北緯36度23分57.9秒、東経137度42分
55.2秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

・標高点:写真測量による標高点(2794m)。【緯度経度】北緯36
度24分0.24秒、東経137度42分55.1秒(国土地理院「電子国土
ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「槍ヶ岳(高山)」(国土地理院「地図閲覧
サービス」から検索)。5万分の1地形図「高山−槍ヶ岳 」(「電子
国土ポータルWebシステム」から検索)

【山行】北アルプス単独縦走
・某年8月16日(土・快晴)燕岳探訪

【参考文献】
・「角川日本地名大辞典20・長野県」市川健夫ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・「信州山岳百科・1」(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・「日本歴史地名大系20・長野県の地名」(平凡社)1979年(昭和54)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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