とよだ 時 「山の伝承伝説」民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画展】

▼395号 西丹沢世附川山神沢・南朝後醍醐天皇の御陵?

【前文】
西丹沢世附川支流、山神沢の乗越にポツンと建つトタン小屋があり
ます。なかに16個の菊の紋章を刻んだ台座の上に山ノ神の祠が鎮座
まします。南北朝時代の争乱の時、南朝の後醍醐天皇が奈良吉野山
を脱出します。そして山北の河村城主河村氏の案内で山北町の都夫
良野の集落に都を定めたという話があります。しかし、後醍醐天皇
はついに世附の奥で崩御したという伝説があります。これぞ天皇の
御陵(ダイゴさま)でしょうか。

▼395号 「西丹沢・世附川山神沢の祠」

【本文】
「西丹沢に南朝後醍醐天皇の御陵?」
【本文】
西丹沢の神奈川県山北町酒匂川(さかわがわ)流域は、かつては川
村という地名だったといいます。川村は河村とも書き、その名は鎌
倉〜戦国時代の記録にすでにあらわれ、あの『吾妻鏡・あづまかが
み』(鎌倉幕府が編纂した幕府自身の歴史書)にも河村郷と記載さ
れています。

河村城の城主でこのあたりを支配していたのが河村氏です。その起
源は、波多野(はたの)遠義の子秀高がここに住み、河村と名のっ
たことに始まるという。そんなことから、昔は西丹沢はすべて河村
郷の一部でした。

河村氏は、南北朝争乱の時、南朝の後醍醐(ごだいご)天皇に味方
して兵を挙げました。関東一帯がすべて北朝についたあとも孤高奮
闘、最後まで河村氏は南朝方についていました。四面楚歌のなかで、
それが出来たのも最後の逃げ場所として、後ろに西丹沢の深い山々
があったためだろうという。

ところで、西丹沢の山中に「世附(よづく)御陵」という言葉があ
ります。それは後醍醐天皇の御陵(ごりょう)であるといういいつ
たえがあります。それを「ダイゴさま」というのだそうです。

伝説によると天皇は争乱の時、奈良吉野山を脱出、河村氏の案内で
山北町の都夫良野(つぶらの)の集落に都を定めましたが、ついに
世附の奥で崩御したというのです。

その御陵(ダイゴさま)の場所を長年研究した人がいて、ついに世
附川の支流悪沢が本流と合流するあたりの天幕魔王社と、白幡社が
ならんで建つあたりと特定したといいます。昭和6〜8年、大資本
を投じ、発掘調査を行い評判になったことがあるという。

ある年の5月、山神沢の乗越にポツンと建つトタン小屋を訪れまし
た。なかに十六菊の紋章を刻んだ台座の上に山ノ神の祠が鎮座。こ
れが「ダイゴさま」か。社の前の石段はスギ林の中に消えています。

大正時代にはダイゴさまのお宝物が埋蔵されているという噂もたっ
ていたという。その後の成り行きについてはいまでは知るよしもあ
りません。小屋のわきには熊の捕獲用のドラム缶が転がっていまし
た。


▼山神沢【データ】
【所在地】
・神奈川県足柄上郡山北町。小田急新松田駅からバス浅瀬入口下車、
歩いて2時間30分で山神沢。地形図に地名標高ともなし。

【位置】
・山神沢:北緯35度25分16.14秒、東経138度58分43.9秒)

【地図】
・2万5千分の1地形図「駿河小山(甲府)」or「御正体山(甲府)」

【山行】
・某年5月18日(日曜日・晴れ)丹沢シダンゴ山から世附川山神沢
山行時探訪

【参考文献】
・『吾妻鏡』:岩波文庫『吾妻鏡』(1〜5)龍(りょう)粛(すす
む)訳注(岩波書店)1997年(平成9)
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・「丹沢・桂秋山域の山の神々」佐藤芝明(自費出版)
・『日本歴史地名大系14・神奈川県の地名』鈴木棠三ほか(平凡社)
1990年(平成2)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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山旅イラスト【ひとり画信】
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