とよた 時・山のゆ-もぁ-と(イラスト)
山旅漫歩゚【ひとり画通信】

▼381号 「北ア・徳本峠登山口島々集落」

【概略】
かつては島々谷から徳本峠を越えるのが上高地への本道だったとい
う。当時上高地にあった牧場に放し飼いのため上げる牛馬もこの道
を利用したという。島々集落は旅館などがならび、飛騨国松城主三
木秀綱とその奥方をまつる社のある島々神社もある。
・長野県松本市

▼381号 「北ア・徳本峠登山口島々集落」

【本文】
長野県旧南安曇郡安曇村から松本市に編入された北アルプス上高地
徳本峠登山口の島々集落。

1927年(昭和2)にいまのように中ノ湯から上高地入りの道が完成
しましたが、その前は島々谷から徳本峠を越えるのが上高地への本
道だったという。

当時あった上高地牧場に放し飼いのため追い上げる牛馬もこの道を
利用したという。

その入り口・島々集落は、槍ヶ岳の南東麓が源流の梓川(あずさが
わ)と島々谷川の合流点(土渡・ど)に形成された段丘上の集落。
長野県松本市安曇村の中心集落になっています。

ここは昔から両川の洪水による被害が多く、そのあとにできる砂地
(洲・す)を「しま」ともいうので、島々の地名もこのことに由来
しているのではないかといわれています。

江戸時代は、近くの松本藩番所詰め役人の交替時の馬の曳き出しを
請け負ったり、また乗鞍岳山麓の藩営の銀山への米の付きあげなど
を請け負いを科せられたという。

その一方、この村だけに官山の薪の伐り出すことが許されていた。
これを島々木と呼んでいたという。

8月の末、長い山旅を終えて徳本峠から島々谷を下りてきました。
谷から広い林道に飛び出ると道路わきに伝説の島々谷で悲劇一生を
終えた飛騨国松城主三木秀綱の奥方の二俣慰霊碑が建っています。

林道からバス通りに飛び出ました。島々集落は旅館などがならび、
桜並木の島々谷入り口には立派な道標も建っています。落ち着いた
感じの集落です。

バス停近くには庚申塔が建立されています。そばに鎮座する島々神
社境内にも三木秀綱と奥方をまつる社がありました。いくら見間違
えたとはいえ、自分たちの手で殺めた村人の奥方への思いが伝わる
ようでした。

▼島々神社【データ】
【所在地】
・長野県松本市安曇(旧南安曇郡安曇村)。長野電鉄新島々駅から
バス、島々下車。三木秀綱と奥方をまつる社がある。地形図上に鳥
居の記号のみ記載。神社名記載なし。

【位置】
・【島々神社】緯度経度:北緯36度11分4.45秒、東経137度47
分18.7秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「上高地(高山)」or「波田(高山)」

【山行】
・1995年(平成7)8月28日(月・晴風強し):1995年(平成7)
8月17日(木)〜8月28日(月)「新宿駅、松本駅、大糸線信濃大町駅、
七倉、烏帽子岳、野口五郎岳、水晶岳、雲ノ平、高天原、黒部源流、
三俣蓮華岳、双六岳、槍ヶ岳、大天井岳、常念岳、蝶ヶ岳、大滝山、
徳本峠、霞沢岳往復、島々集落、新島々駅、松本駅、新宿駅」:北
アルプス裏銀座から表銀座縦走(単独行)

【参考】
・「日本歴史地名大系20・長野」(平凡社)1990年(平成2)
・「角川日本地名大辞典20・長野」(角川書店)1991年(平成3)
・「上高地物語・その発展と源流・続」横山篤美著(信州の旅社)1
991年(平成3)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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山旅イラスト【ひとり画信】
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