とよだ 時 「山の伝承伝説」民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画展】

▼371号 「南ア・甲斐駒ヶ岳黒戸尾根の鳥居」

【概略】
8月の黒戸尾根。何年か前の3月に登ったときは鳥居の下は這って
も通れないほど雪が積もっていたのに、いまは当たり前ながら雪も
なくまるで別のところのよう。いまはこの尾根から登る人は滅多に
なく、昔、講中の人たちがここでご来迎したなんてウソのようだ。
・山梨県北杜市と長野県伊那市の境

▼371号 「南ア・甲斐駒ヶ岳黒戸尾根の鳥居」

【本文】
南アルプス甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ)の山名については、@肩
に銀の翼が生えた白馬・天津速駒(あまつはやこま)が山中に棲ん
でいたという説、A「聖徳太子伝暦」などにあるように、聖徳太子
の黒駒が空を飛び、ここに降りたという話からついた名前だ。

またB山梨県巨摩(こま)郡第一の峰だから。Cいやいや高麗人の
コマだ、良馬の産地があるからだ、雪渓に馬の姿の雪形が出るから。
はては山容が駿馬の駆ける形に見えるからだなどの説が目白押しで
す。

一方、長野県側では伊那谷を隔て、東西に駒ヶ岳があり、甲斐駒を
東駒、木曽駒を西駒と呼びました。また、赤河原岳とか花崗岩が風
化して白く見えるところから白崩山といっていたという。

甲斐駒ヶ岳山頂から東南に派生した摩利支天には山頂にそれを象徴
する鉄剣が奉納されているところからその山名があり、手力男命が
まつられているという。

夏真っ盛りの8月、黒戸尾根を登ってみました。何年か前の3月、
登ったときは雪の中から鳥居が顔を出す程度で、這ってもその下を
くぐれないほど雪が積もっていたのに、きょうは当たり前ながら雪
もなくまるで別のところのようです。

いまはこの尾根から登る人は滅多になく、昔、講中の人たちがここ
でご来迎したなんてウソのようです。

ちなみにこの鳥居は、明治の神仏判然令(神仏分離)で国家神道
に基づく尊皇皇国思想全盛の時、関係者が甲斐駒ヶ岳山頂に駒嶽神
社本社の建造を目指したが果たさず、1914年(大正3)に8合目
に本社鳥居だけが造られたもの。

横手駒嶽神社も社殿が新築されたのは昭和初期になってからだとい
う。しかもいまの宗教法人「駒嶽神社」となったのはさらに遅れて
1946年(昭和21)のことなのだそうです。

▼八合目鳥居【データ】
【所在地】
・山梨県北杜市白州町(旧北巨摩郡白州町)と長野県伊那市長谷(旧
上伊那郡長谷村)との境 JR中央本線韮崎駅からタクシーで竹宇
駒ヶ岳神社、黒戸尾根経由、歩いて8時間で八合目鳥居。そのほか
付近に何もなし。付近に何も記載なし。

【位置】
・【八合目鳥居】】緯度経度:北緯35度45分35秒、東経138度14
分36秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
2万5千分の1地形図:「甲斐駒ヶ岳(甲府)」or「長坂上条(甲府)」
(2図葉名と重なる)

【山行】
・1995年(平成7)8月4日(金)甲斐駒ヶ岳黒戸尾根八合目鳥居
探訪:【1995年(平成7)8月3日(木)〜8月6日(日)「新宿駅・
韮崎駅・竹宇駒ヶ岳神社・横手分岐・黒戸尾根五合目小屋泊・七丈
小屋・甲斐駒ヶ岳・早川尾根小屋泊・広河原・甲府駅・高尾駅」南
ア・黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳山行

【参考】
・「峡中紀行」に「相伝豊聡王所畜驪駒飲是渓而生」:「日本歴史地
名大系・山梨」(平凡社)1995年(平成7)
・「裏見寒話」全6巻(野田成方編):甲斐国の地誌 宝暦2(1752)
年成立。
・「甲斐国志」(松平定能(まさ)編集)1814(文化11年):(「大日
本地誌大系」(雄山閣)1973年(昭和48)
・「日本歴史地名大系・山梨」(平凡社)1995年(平成7)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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