山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼370号 「西丹沢・むかし道復活トレース」

【概略】
昔あった西丹沢の菰釣山から折戸峠・浅瀬へ抜ける登山コース。う
っすらと踏みあとも残っていて静かな山歩きが楽しめる。覆い重な
るヤブをこぎ、剪定ばさみや鎌で木の枝や笹を刈り込む登山道整備。
毎週のように山通いしている間に今年も暮れてしまった。
・神奈川県山北町と山梨県道志村の境

▼370号 「西丹沢・むかし道復活トレース」

【本文】
丹沢を昔は大山周辺・表丹沢・東丹沢・西丹沢・裏丹沢の5つに分
けていました。しかし裏だ表だは差別にもつながりどうもまずい。

一時、東丹沢・中央丹沢・西丹沢と区分した時もありましたが、い
まは東丹沢と西丹沢の2つに分けるのが普通なのだそうです。

つまり、丹沢山塊の中央部、犬越路を境にし、北の神ノ川、南の中
川川を結び、東を東丹沢、西側を西丹沢とするわけです。「それで
はその境目にあるバス停を西丹沢というのはどういうわけだ?」う
む、まあまあそこのところはそれ、あまり深く考えないこと。

昔、西丹沢の西の端っこ菰釣山から大栂・折戸峠・椿丸・浅瀬へ抜
けるコースがありました。途中崩壊したところはあるものの、うっ
すらと踏みあとも残っていて静かな山歩きが楽しめます。

覆い重なるヤブをこぎ、剪定ばさみや鎌で木の枝や笹を刈り込みな
がらの登山道整備。ここのところ、こんなはかない旧道復活を願い、
かつてのハイキングコースをトレースのため、毎週のように山通い。
こんなことしている間に1996年(平成8)も暮れてしまいました。

ちなみに菰釣山は江戸時代、甲斐国と相模国との国境争いで甲州・
平野村の名主が幕府に告訴。そのとき、自ら菰を吊るしてこの山の
山頂にたてこもり生活したのが山名の由来だという。

また戦国時代、武田信玄が小田原城攻めをした時、西丹沢を越えて
行ったのは有名な話。その時、この山に菰を吊るし、むしろばたで
進軍の合図をしたとのいい伝えもあります。

道志側では菰釣山をブナノ丸、大丸尾(山容が丸みを帯びているた
め)とも呼んでいるといいます。また四季を通じ、雲や霧に覆われ
がちなことから雲吊山がなまって菰釣となったとする説もありま
す。

▼菰釣山【データ】整理すみ
【山名・地名】・こもつるしやま・こもつりやま
・【異名、由来】:ブナノ丸、大丸、尾雲吊山

【所在地】
・神奈川県足柄上郡山北町と山梨県南都留郡道志村との境。富士急
行十日市場駅の南東11キロ。小田急新松田駅からバス、西丹沢から
畦ヶ丸経由で6時間20分で菰釣山。写真撮影による標高点(1379m)
とベンチと反射塔がある。三等三角点(1348.2m)は山頂から南直
下の薮の中にある。

地形図上には山名と標高点記号とその標高、三角点記号とその標高
のみ記載。山頂標高点より南方向直線約210mに三角点がある。ま
た山頂標高点より北東方向直線約700mに避難小
屋がある。

【位置】
・【山頂標高点】緯度経度:北緯35度27分49.36秒、東経138度58
分42.55秒(電子国土ポータルWebシステムから検索)

・【三等三角点】緯度経度:北緯35度27分42.54秒、東経138度58分4
2.94秒(電子国土ポータルWebシステムから検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「御正体山(甲府)」。5万分の1地形図「甲
府−山中湖」

【山行】
・某年11月30日(土・晴れ)菰釣山探訪

【参考文献】
・「角川日本地名大辞典14・神奈川県」伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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山旅イラスト【ひとり画展通信】
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