山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼368号 「丹沢表尾根・二ノ塔とヤマユリ」

【前文】
表尾根二ノ塔の広場の真ん中に、支柱に囲まれて大きなヤマユリが
咲いている。かつては丹沢でも普通に見られたヤマユリ。そのころ
のことを知っている人が大事にしているのだろうか。でも大きな花
はつけるものの案外やぶの中で咲きたがっているのかも知れない
…。
・神奈川県秦野市

▼368号 「丹沢表尾根・二ノ塔とヤマユリ」

【本文】
 神奈川県と山梨県、静岡県にまたがる丹沢。その南側部分、と
くに神奈川県秦野市方面を表丹沢というそうです。なかでもその
名も表尾根は日帰り縦走路として交通の便もよく人気があります。
ここは昔から修験道入峰修行の場だったそうです。

 丹沢大山は昔から相模大山として知られていたようで、遠く奈
良時代に行基菩薩が大山を開こうしましたがなしえなかったとい
われています。

 次に大山に登った京都・東大寺の良弁(ろうべん)大僧正が山
中にお堂を建て、雨降山大山寺(あふりさんだいせんじ)と号を
つけてこの山の開山に成功したのだそうです。のちに、大山も修
験道・山岳修行の中心地として栄えてきて山伏たちが次々に入山。

 大山からヤビツ峠、塔ノ岳方面へと表尾根を開いていきます。
そして修験道の本尊・大日如来を表尾根上のいまの木ノ又大日の
ブナの巨木の股に安置したといいます。その後、その手前(いま
の新大日)にも如来をまつりました。

 そして、次第に塔ノ岳から丹沢山、蛭ヶ岳と奥に修行の場を広
げていったのだそうです。いま、ヤビツ峠・富士見橋から登りは
じめ、車道を横断してさらに登山道に入り登りつづけます。

 樹林の中にこわれたブロックの壁のようなものがあります。これはこわ
れた寒沢小屋跡だそうです。そこからひたすら登りつめると、かつてはそ
こに月見山荘がありましたが火事で焼失してしまいました。

 すぐ上は二ノ塔の頂上(1120m)です。別名太平山(たいへいざん)と
も、鷹休(たかやすみ)と呼ばれたところ。一番最初から突然二ノ塔とは
不思議ですが、一ノ塔はふもとの加羅古(唐子)神社(秦野市横
野)をいうといいます。

 ここの「からこさま」伝説は、唐から不死の薬を探しに来た徐
福にからませています。これについては、山旅通信539号に延べて
あります。

 もうずいぶんの昔、まだ昭和のころ、二ノ塔の広場の真ん中に、支柱
に囲まれて大きなヤマユリが咲いていました。以前は丹沢でも普
通に見られたヤマユリ。そのころのことを知っている人が大事に
しているのでしょうか。

 でも大きな花はつけるものの案外やぶの中で咲きたがっている
のかも知れませんね…。しかしその後はとんと見かけなくなりま
したがヤマユリは根づかなかったのでしょうか。

 またここから山頂から南へ下ると、日本武尊の足跡(山旅通信1
024号を参照)の遺跡があります。その昔、日本武尊が大山に兵を進
めてきました。のどが渇きましたが水がありません。日本武尊は、そばに
あった岩石に乗り踏みつけました。

 すると、大きな岩石の下から清水が湧き出したというのです。この水は
どんなに干ばつが続いても水が枯れたことがなかったという。一度訪れて
はいかがでしょう。

▼二ノ塔【データ】
【所在地】
・神奈川県秦野市。小田急小田原線秦野駅の北北西8キロ。小田
急秦野駅からバス、ヤビツ峠から歩いて40分で旧ヤビツ峠。また
1時間45分で二ノ塔(標高1140m)。地形図に山名のみ記載。
【位置】
・二ノ塔:北緯35度26分3.08秒、東経139度11分43.84秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」
【参考文献】
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵(角川書店)1984年
(昭和59)
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本伝説大系・5」(みずうみ書房)1986年(昭和61)
・『日本歴史地名大系・神奈川』平凡社1990年(平成2)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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山旅イラスト【ひとり画展通信】
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