山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼360号「中ア・木曽駒ヶ岳木曽側の霊神碑」

【概略】
木曽駒ヶ岳から木曽側へ下る途中にあるりっぱな心明霊神像。入念
にスケッチし、写真を撮って麦草岳から木曽福島駅へ向かった。し
かし、どうもおかしい。道が変だ。いつか上松駅に出ていたのだ。
何か霊神像に対し失礼があったのでしょうか。
・長野県宮田村と木曽町、上松町との境

▼360号「中ア・木曽駒ヶ岳木曽側の霊神碑」

【本文】
木曾駒ヶ岳は、中央アルプスの主峰となる山で、駒ヶ岳のほかに中
岳(2920m)と前岳(2883m)を含んだ名前になっています。木
曽駒ヶ岳は、長野県宮田村と同県木曽町、同県同郡上松町との境に
位置しています。

この駒ヶ岳のふもとの伊那谷をはさんだ東方に、長野県と山梨県の
境にもうひとつ駒ヶ岳があってまぎらしい。そこで東側の駒ヶ岳を
甲斐駒ヶ岳とか東駒ヶ岳と呼び、こっちの駒ヶ岳を木曽駒ヶ岳とか
西駒ヶ岳と呼んで区別したのだそうです。

木曽駒ヶ岳は長野県の木曾地方と伊那地方の間を屏風を立てたよう
に連なっていて、「三十六峰八千渓」ともいうそうです。全国各地
にある駒ヶ岳は、たいがい馬に関係することに由来しています。

ここ木曽駒ヶ岳も馬に関係した山。晩春のころ、天竜川東岸から見
ると、中岳に右下を向いた黒い馬の雪形があらわれます。それはま
るで東側直下にある池「駒飼ノ池」の水を飲もうとしているように
も見えるそうです。

そんなことから、昔は農作業の目安になっていました。とくに「こ
の形の最もうるはしき頃、田の代(苗代)をつくる」といわれたそ
うです。

また、山中に神馬が住むと記事が江戸中期の説話集『新著聞集』と
いう本にもあり、古くから信仰登山が盛んに行われてきたという。
山頂には木曽側と伊那側両方に駒ヶ岳神社が建っています。

この山も木曾御嶽山の行者の御嶽教の影響を受けた山です。そのた
め、修行を積んだ行者の霊は神として山に祭られるという御嶽講独
特の霊神碑があちこちに見受けられます。

木曽駒ヶ岳から木曽側へ下る途中、玉ノ窪小屋上にもりっぱな霊神
碑・心明霊神像があります。そばの岩に座り込んで入念にスケッチ
し、写真を撮って玉ノ窪小屋の先から細いふみあとをたどり麦草岳
に着きました。

人っ子ひとりいない山頂で昼寝を楽しみ、木曽福島駅へ向かいます。
途中で何かおかしい。どうも道を間違えているらしい。目の前にあ
らわれた奇美世滝の標識。いつか上松駅への登山道を下っていたの
でした。

駒石はどこにあったのか。ピーク2406方面への分岐さえ見逃したの
か。いつの間にか小野川沿いに上松コースを歩いていたのでした。
霊神碑に対し何か失礼があったのでしょうか。

▼霊神碑【データ】
【所在地】
・長野県木曽町と上松町との境。JR飯田線駒ヶ根駅からバス、ロ
ープウエイ千畳敷から歩いて2時間40分で霊神碑。付近に何もなし。
霊神碑より西方向直線約48mに玉ノ窪小屋がある。霊神碑より西方
向直線約95m木曽福島方面下山道に写真撮影による標高点(2776m)
がある。

【位置】
・【霊神碑】緯度経度:北緯35度47分21秒、東経137度47分57
秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「木曽駒ヶ岳(飯田)」

【山行】
・某年9月6日(日・晴、ガス)木曽駒霊神碑

【参考】
・「新著聞集」椋梨一雪原著、神谷養勇軒編:「日本随筆大成第二期
第5巻」日本随筆大成編輯部編(吉川弘文館)1994年(平成6)所

・「新稿日本登山史」山崎安治著(白水社)1986年(昭和61)
・「信州山岳百科・2」(信濃毎日新聞社)1983年(昭和58)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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山旅イラスト【ひとり画展通信】
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