山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼344号「奈良県・大和葛城山の土蜘蛛」

【概略】
大昔、葛城山に土蜘蛛が住んでいて、暴れ廻るので葛の蔓の網で捕
らえたという。土蜘蛛は、古代に朝廷に服従しなかった先住の人た
ちのことで、このあたりは、古代から大和朝廷に従わない部族が多
かったらしく、時々このような記述を見かける。
・奈良県御所市と大阪府千早赤阪村との境

▼344号「奈良県・大和葛城山の土蜘蛛」

【本文】
 大和葛城山(葛城山960m)は、大阪府千早赤阪村と奈良県御所
市との境にある山。南ろく水越峠を越えてすぐ金剛山(1125m)
があります。このあたり、北は生駒山地から二上山、大和葛城山、
金剛山からさらに南下、西に曲がって神福山、タンボ山、紀見峠へ
の金剛山脈。


 その先、岩湧山、和泉葛城山へと、大阪府・和歌山県境の「和泉
山系」が続いています。この和泉山系にも葛城山があるため、区別
するため大和、和泉をつけているのだそうです。さて大和葛城山は、
異名を北葛城山といい、古名を戒那山(かいなヶ岳)、また河内地
方では篠峰(しのがみね)ともいっていたそうです。


 かつては金剛山も葛城山だったといいます。あの役行者小角は、
このふもと奈良県御所市の出身。小さい時からこのあたり山々で
修行をしていたらしい。当然このあたりは修験道発祥の地。金剛
山(葛城山)も修験道の山として発展します。


 山が栄えるにつれ、俄然このあたり山々が有名になり、次第に
金剛山系・和泉山系を含めて「葛城山」と呼ばれていたようです。
春には山腹にカタクリの花が、初夏には、「一目100万本」といわ
れるツツジの群落が山一帯を彩ります。冬季には樹氷も見られるら
しい。山頂からは奈良盆地が一望できます。


 山頂の北側には天神森があって天神社がまつられています。葛城
山ロープウエイで山頂まで行けば、徒歩10分で山頂に立てること
から大勢の市民に親しまれています。


 なお、葛城山ロープウエイのふもとの櫛羅(くじら)には、弘法
大師が名づけたという櫛羅の滝があり、この滝のうたれると不動明
王の功徳があるといわれたそうです。櫛羅(くじら)滝(不動滝)
にそそぐ安位川(あにがわ)は、葛城山の東支峰天神山の竜王社
(葛城天神摂社)前の小沼が水源。この川の流域の村々は、当川
の急激な出水と、反面絶対量の水不足のため、しばしば干ばつに
悩まされました。


 そこで村人は天を仰いで雨乞いをしました。天神山竜王社の雨
乞い行事は有名で、俗に「火振り」とか「雲破り」と称し、竜神
の小沼に婿養子を投げ入れ、神の怒りを鎮め降雨を願ったとそう
です。この「婿いじめ」には里謡にも「婿に行くにも永井城下へ
行くな、旱魃(ひやけ)やというて婿洗う」とうたわれました。


 私の訪れた11月、さっきまで快晴だったのに大和葛城山山頂に
着くころは霞んでしまい、奈良盆地一望はままなりませんでした。
大和葛城山の山頂からの下り、ロープウエイのある天神ノ森へ向
かう道は、なだらかな舗装道路がつづきます。その途中に立て札
があって、こんなことが書かれています。


 「1200年前に編集された『日本書紀』の神話のなかに大昔、葛
城山に手足の長い土蜘蛛のような古代人が住んでいて、暴れ廻る
ので、その人たちを葛(かづら)の蔓で編んだ網で捕らえた。だ
からこの山一帯をかつらぎといった。そのころこの山系は金剛山
をも含めてすべて葛城山と称していた」とあります。


 土蜘蛛は、古代に朝廷に服従しなかった先住の人たちのことを
中央から蔑視して呼んだ称だそうで、『古事記』(中巻)や『日本
書紀』の(巻第三)、『常陸国風土記』などの神話や伝説にも登場
しています。


 『日本書紀』(巻第三)に、「塩土(シオツツ)の翁から東の方
の良い土地があるということを聞いた神武天皇は、45歳の時そこ
に都をつくろうと、兄弟や子どもたちと舟軍を率いて、東征の旅
に出ました。


 しばらくして、安芸国埃宮(あきのくに、えのみや・広島県安芸
府中町多家神社)につきました。翌年、己未(つちのとひつじ)の
春2月20日、諸将に命じて士卒を選びだし訓練しました。このと
きに、三ヶ所の土賊、すなわち新城戸畔(ニイキトベ)という女賊
と、居勢祝(コセノハフリ)という者、さらに猪祝(イノハフリ)
という者が、天皇に服従しませんでした。


 そこで天皇は派兵して皆殺しにさせまました。また葛城村には、
身丈が短く、手足が長い土蜘蛛という者がいるといいます。まるで
侏儒(ひきひと)と似ているといいます。神武天皇の軍は、あた
りに生えている葛(かずら)で網を作って、土蜘蛛たちを覆い被せ、
捕えてこれを殺しました。そこでその邑(むら・村)を改めて葛城
(かずらき)と名づけた」と、地名の由来を解説しています。


 土蜘蛛は、背が低いが手足が長く、洞くつに住んでいて、よそ
の国の人が来るとその穴にかくれてしまうという。この大和の国、
葛城地方は古代から大和朝廷に従わない部族が多かったらしく、
時々このような記述を見かけます。


 大和葛城山の南、金剛山の東麓・高天集落の付近にも土蜘蛛が
住んだあととされる「蜘蛛窟」があり、見に行ったことがありま
す(山旅漫歩゚【ひとり画展】612号)。蜘蛛窟は杉林の中にあり、
径2m位の場所がコンクリートで固められ石碑も建っています。


 そこから伸びる踏み跡一本。ザックをおろし、結構な距離「歩
いた歩いた」。やっとたどり着いてみれば、枯れ葉で埋まった同じ
ような、くぼ地がポツンとあるだけです。ク〜ッ!。登山靴で切
り株を蹴りつけてやりました。



●(大和)葛城山【データ】
▼【山名・地名】大和葛城山(やまとかつらぎさん)
・【異名、古名】北葛城山・天神森、天神ノ森、古名・戒那山(か
いなヶ岳)、篠峰(しのがみね・河内地方での呼び方)

▼【所在地】
・奈良県御所市(ごせし)と大阪府千早赤阪村との境。和歌山線
・近鉄五所線五所駅からバス葛城ロープウェイ前下車・ロープウ
ェイで葛城山上駅、歩いて30分で大和葛城山。二等三角点(959.2
m)がある。

▼【名山】
・日本山岳会選定「日本三百名山」(第280番):日本百名山以外に
200山を加える。

▼【位置】
・三角点:北緯34度27分22.2秒、東経135度40分56.26秒

▼【地図】
・2万5千分の1地形図:「御所(和歌山)」

▼【山行】
・某年11月2日(水曜日・快晴)

▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典29・奈良県」永島福太郎ほか編(角川書店)
1990年(平成2
・『古事記』:新潮日本古典集成『古事記』西宮一臣校注(新潮社)
2005年(平成17)
・『新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・岩波文庫『日本書紀1』坂本太郎ほか校注(岩波書店)1996年
(平成8)
・岩波文庫『日本書紀2』坂本太郎ほか校注(岩波書店)1996年
(平成8)
・『日本歴史地名大系30・奈良県の地名」(平凡社)1981年(昭和56)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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