山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼342号「栃木県・庚申山鋸山のテント」

【概略】
庚申信仰の山・庚申山の最高点を越えて皇海山に向かいます。ちょ
っとした獣道に迷って時間をとられ、くさり場の手前薬師岳にテン
トを張りました。翌朝は雲一つない快晴。空中のように見える鋸山
のせまい頂きに誰かのテントが朝日に当たっていました。
・栃木県足尾町

▼341号「栃木県・庚申山鋸山のテント」

▼山旅【画っ展】341号「栃木県・庚申山鋸山のテント」
【本文】
 路傍でよく見る石仏・庚申塔(こうしんとう)。これは昔行われ
ていた「庚申待ち」の供養塔です。60日に1度回ってくる十二支の
庚申(かのえさる)の夜、村人たちが、むらのお堂に集まって講を
組み、ご馳走を食べながら過ごし、一晩中眠らずに健康長寿を願っ
たもの。いまでも千葉県船橋市行々林(おどろばやし)集落ではつ
づいています。


 その庚申信仰の大本山・栃木県日光市の庚申山(1892m)は、奇
岩がならび、昔から信仰の山として栄えました。この庚申山の奥山
が皇海山(すかいさん・2144m)。その庚申講の本山が足尾にある庚
申山(1892m)だといいます。


 かつてこの山には、長い年月を生き抜いた一匹の白いサルがすん
でいたといい、サルが申(さる)に通じるところから庚申山と名付
けられて信仰されたのだそうです。そんなところから庚申山は「猿
の浄土」とも呼ばれています。サルはまた『古事記』などの天孫降
臨の神話で、道案内をした猿田彦の猿にも通じるため、この山には
猿田彦神をも祭っています。


 この山は、日光を開山したことで有名な勝道上人が奈良時代の
784(延暦3)年に開いたとされ、山伏たちの修行の道場だったと
いう。駒掛山から鋸山へ連なる『鋸十一峰』は地蔵岳、薬師岳、蔵
王岳、剣の山など、いかにもそれらしい名前のピークが続いていま
す。


 奥にそびえる皇海山(すかいさん)は庚申山の奥の院で、山頂の
すぐ東側に青銅の剣が建っていて、「庚申二柱大神」の文字と東京
庚申講の先達の木林惟一の名も書かれています。


 その皇海山は、庚申山の山頂にある標高点を越えて、薬師岳から
鋸尾根を経由、屹立する鋸山から急坂を下り登り返した先にありま
す。かつては、交通が不便でなかなか訪れることもできなかった山
でしたが、近年は近くまで林道が通じ車で来る人も多い。


 ある年の5月、庚申山はガスの中。途中、不明瞭な山道が左へ直
角に曲がるところでシカが荒らした場所があり、道が四方八方へ延
びています。そんなことからあっちへウロウロ、こっちへウロウロ
とし、時間を取られてしまいました。


 結局時間切れで夕方になってしまいました。仕方なく、すぐ先の
薬師岳にテントを張りました。翌朝は雲一つない快晴。テントを出
てみると、アララ、空中にあるようなテッペン(天辺)のせまい鋸
山に何か光っています。山頂に張った登山者のテントが、朝日に反
射していたのでした。


▼【データ】
【山名・地名】
・庚申信仰。年劫を経た白猿が棲んでいたといい、猿が申に通じる
ことから庚申山と呼ばれた。猿の浄土とも呼ばれた。

【所在地】
・栃木県日光市(旧上都賀郡足尾町)。わたらせ渓谷鉄道通同駅の
北西6キロ。わたらせ渓谷鉄道通胴駅からタクシー・銀山平から3
時間20分で庚申山。写真測量による標高点(1892m)がある。地形
図に山名と標高点の標高記載あり。標高点から東方513mにコウシ
ンソウの自生地がある。東南730mに庚申山荘がある。

【位置】
・標高点:写真測量による標高点(1892m)。【緯度経度】北緯36度
40分23.11秒、東経139度21分40.54秒(国土地理院「電子国土ポー
タルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「皇海山(日光)」(国土地理院「地図閲覧
サービス」から検索)

【山行】庚申山・皇海山
・某年5月29日(日・快晴)探訪

▼【参考】
・「関東百山」横山厚夫ほか(実業之日本社)1985年(昭和60)
・「角川日本地名大辞典9・栃木県」大野雅美ほか編(角川書店)1
984年(昭和59)
・「日本歴史地名大系9・栃木県の地名」寶月圭吾(平凡社)1988
年(昭和63)
・「民間信仰辞典」桜井徳太郎(東京堂出版)1984年(昭和59)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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山旅イラスト【ひとり画展通信】
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