山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼338号 「北ア・裏銀座烏帽子岳のコマクサ」

【概略】
名前の通り烏帽子形をした岩峰の頂上。裏銀座コースの起点でもあ
り、江戸時代は信州側では「水のとう山」と呼んでいたという。う
だるようなブナ尾根。テント設営後烏帽子岳に向かった。岩峰上に
は鎖や針金をつかまって登る。砂礫ではコマクサが露に濡れていた。
・富山市と長野県大町市との境

【本文】

全国に烏帽子の名のつく山は多く「日本山名総覧」で調べたら101
座もあるのには驚きました。北アルプス・長野県と富山県境にある
烏帽子岳(えぼしだけ・2628m)も名前の通り烏帽子形をした岩峰
です。

烏帽子岳から三ツ岳・野口五郎岳・鷲羽岳・三俣蓮華岳・双六岳・
樅沢岳・槍ヶ岳を目指す裏銀座コースの起点でもあります。江戸時
代は信州側では「水のとう山」と呼ばれていたという。江戸中期か
ら後期にかけてはよく雨乞いのための千駄焼が行われた記録があり
ます。

また越中側では昔は折岳と呼んだと江戸時代後期の絵図にありま
す。これはこの山の山頂があたかも折って組み立てたように天の向
かってそびえているだからだという。この山は明治30年代までは裸
山で秋草のころなど中尾根の背からどこまでも山なみが眺めること
ができたと古書にあります。

いまのように樹林帯ができたのは、明治37、8年の日露戦争が終わ
り、殖産興業・富国強兵の政策が叫ばれ、裸の傾斜面に植林されて
からだと「和村史」にあるそうです。

ある年の8月中旬、うだるようなブナ尾根を登り、通り雨の後の烏
帽子小屋テント場に設営後烏帽子岳を往復しました。なるほど岩を
折ったというか割ったというかしたような形の花崗岩が積み重ねた
ような岩峰です。岩峰上には鎖や針金をつかまって登ります。

テントに帰る途中、付近の砂礫ではコマクサが露に濡れていました。
あたりにほかの草は見あたりません。やはり高山植物の女王。ここ
でも孤高を守っているようです。

さあ、きょうから裏敏座、表銀座、常念岳、蝶ヶ岳、徳本峠、霞沢
岳、島々谷へと11日かけての縦走の初日です。急坂がつづいたブナ
尾根を登り続けたのきょうの疲れ。テントに入り夕飯をとって早め
にシュラフにもぐり込んだのでありました。「日本二百名山」のひ
とつ。

▼【データ】
【山名】・烏帽子岳(烏帽子の形から)・水のとう山・折岳(折って
立てたような鋭峻な岩峰に由来)・三吉岳(三吉捕縛事件)

【名山】
・(ナシ)日本百名山(深田久弥選定・日本二百名山、日本三百名
山にも含まれる) ・(56番)日本二百名山(深田クラブ選定・日
本百名山以外に100山を加える・日本三百名山にも含まれる) ・
(ナシ)新日本百名山(岩崎元郎選定) ・(?)花の百名山(田
中澄江選定)

【所在地】
・富山県富山市旧大山町各地区名(旧上新川郡大山町)と長野県大
町市との境。JR大糸線信濃大町駅の南西19キロ。JR大糸線信
濃大町駅からタクシー高瀬ダム下車さらに歩いて6時間30分で烏
帽子岳。写真測量による標高点(2628m)がある。地形図に山名
と標高点の標高の記載あり。付近に何も記載なし

【位置】
・【標高点】緯度経度:北緯36度28分46.19秒、東経137度39分

【地図】
・2万5千分の1地形図「烏帽子岳(高山)」(国土地理院「地図閲
覧サービス」から検索)

【山行】北アルプス裏銀座から表銀座・常念岳・徳本峠縦走
・某年8月18日(金・晴れ)烏帽子岳探訪

【参考】
・「日本歴史地名大系16・富山県の地名」(平凡社)1994年(平成6)
・「日本歴史地名大系20・長野県の地名」(平凡社)1979年(昭和54)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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山旅イラスト【ひとり画展通信】
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