とよだ 時 「山の伝説伝承」民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画展】

▼304号「山梨県都留二十六夜山の石碑」

【概略】・
山梨県都留市の二十六夜山頂に建てられた二十六夜待の石碑。山麓
の法能集落の人たちが建てたものといい、蚕や作物の豊作、商売繁
盛を祈ったという。二十六夜の月といえばかなり細い月。そんな月
明かりを頼りに昔の人たちは、夜道の山をここまで登ってきたので
しょうか。
・山梨県都留市

▼304号「山梨県都留二十六夜山の石碑」

かつて月の出を待って礼拝し、ごちそうを持ち寄って食べる月待(つ
きまち)という行事がありました。すっかりすたれてしまったいま
でもその講中が記念に建てた「○○夜塔」の石碑を見ることができ
ます。

旧暦1月とか7月の26日の夜精進供養したのが二十六夜待(まち)
の行事です。二十六夜待講は二十六夜塔を建てました。

二十六夜待講の本尊は災害よけ、縁結びに霊験のある愛染明王とい
う仏さまで、この明王の絵像や「二十六夜尊」の掛け軸を掛けて礼
拝します。

農家では蚕や作物の豊作の願い、商人は商売繁盛を祈ったという。
また愛染明王を守り神とする染め物業者も月待をしたそうです。

二十六夜の月待は近くの丘や山に登って、また海岸に出て月を拝む
風習もあるという。

ここ都留市のその名も二十六夜山頂上には二十六夜待の石碑が建っ
ています。この山も旧暦の1月と7月の26日の夜、地元の村人た
ちが山頂で山々の端から出る月を拝む行事があったという。

「新日本山岳誌」によれば、その夜、月の光の中から阿弥陀如来や
観音菩薩、勢至菩薩があらわれるという。村人は餅や米、野菜など
を月に供え、諸悪・災害除けと養蚕守護を祈ったのだそうです。

石碑は山麓の都留市法能集落の人たちが建てたものといい、嘉永
7?年(1854・江戸後期)7月26日と読める銘があります。

二十六夜の月といえばかなり細い月。そんな月明かりを頼りに昔の
人たちは、夜道の山をここまで登ってきたのでしょうか。

なお同県上野原市秋山にも二十六夜山があって秋山二十六夜山と呼ば
れ、1889年(明治22)の旧暦7月に建てられたものだそうです。

▼【データ】
【所在地】
・山梨県都留市。富士急行赤坂駅から歩いて4時間で道志二十六夜
山。三等三角点(1297.3m)ち二十六夜待ちの碑がある。地形図に
三角点の標高のみ記載、山名なし。付近に何も記載なし。

【ご利益】
・【二十六夜待の碑】:災害よけ、縁結び、豊作、商売繁盛

【位置】
・【三等三角点】緯度経度:北緯35度31分39.4秒、東経138度56
分48.65秒(電子国土ポータルWebシステムから検索)

【基準点の詳細】
・基準点:(基準点コード:R35338272601)(点名:廿六夜山)(冠
字選点番号:内 78)(種別等級:三等三角点)(基準点成果状態
:正常)(地形図:甲府−都留)(測地系:世界測地系)(緯度経度
:緯度 35°31′39.3974、経度 138°56′48.6555)(標高:1297.2
6m)(基準点現況状態:正常 19920501)(所在地:山梨県都留市大
字大野字廿六夜3522番地)(点の記図閲覧:可)(国土地理院「基
準点成果等閲覧サービス」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「都留(甲府)」(国土地理院「地図閲覧サ
ービス」から検索)。5万分の1地形図「甲府−都留」(「電子国土
ポータルWebシステム」から検索)

【山行】
・1995年(平成7)11月19日(日):1995年(平成7)11月18日(土)
〜19日(日):道志山塊・野宿」

【参考】
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・浜沢側登山口の説明板
・下尾崎側登山口にも説明板
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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山旅イラスト【ひとり画通信】
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