とよだ 時 「山の伝承伝説」民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画展】

▼292号 「群馬県・上毛三山・妙義山の奥ノ院」

【概略】
南北朝時代の名臣・花山院長親が出家し、明魏(みょうぎ)法師と
名を変えてこの山に流れつき亡くなったため、いままで白雲山と行
っていた山の名を明魏(妙義)山と改めたという。中腹には「大ノ
字」、また近くには岩室の中に奧之院がある
・群馬県松井田町・富岡市と下仁田町との境

▼292号 「群馬県・上毛三山・妙義山の奥ノ院」

【本文】
奇岩怪岩がそびえ、日本の三大奇勝として知られる群馬県の妙義
山(相馬岳・1104m)。妙義山とは主峰の白雲山と金鶏山、金洞山
を合わせた総称だそうです。

大昔の人たちは奇岩怪石のこの山を波己曽(はこそ)山といって
いたという。波己曽とは岩社(いわこそ)の意味で岩がご神体。(『妙
義山』)だといいます。奥の院への登山道わきにある「影向岩」
がそれだとの説があります。

山麓の村々には波己曽神社がまつられ、それぞれ妙義山の方向を
向いて建てられているという。その昔、日本武尊がこの白雲山に
波己曽(はこそ)神という神の社を建てたため、このあたりを波
己曽の山と呼んだという伝説もあります。

のち、南北朝の明徳5年(1394年)、南朝の名臣といわれる花山院
長親(かざんいんながちか)という人が出家して、耕雲明魏(こ
ううんめいぎ)法師と名前を変えてこの山に流れつき亡くなった
といいます。

民衆はその明魏法師を慕って妙義山の祭神とし、山の名を明魏(妙
義山)と変えたという。ただ『妙義山』の一節「妙義信仰」(近藤
義雄)は、この説に従えば「妙義」の名は、南北朝末期からとな
り、年代的にこじつけの感があるとしています。

また「白雲山妙義大権現由来」の文献によれば、妙義大権現は比
叡山十三代目の座主法性坊尊意僧正だとしています。僧正は天慶
3年(940)に逝去しましたが、のち碓氷峠にあらわれ白雲山に来
山。

「われは比叡山座主(ざす)尊意僧正なり。宿世の縁でこの山に
住し、衆生を済度せん」と託宣しました。以後妙義権現と敬われ
たという。このほか、足利尊氏が法名を妙義としたなどの説があ
るようです。

白雲山東麓中腹「大ノ字岩」と呼ばれる岩場には「大」の字をか
かげたやぐらがあり、「大ノ字」と呼んでいます。これは妙義大権
現にちなんだ「大」なのだそうです。

「大ノ字」の奥には奥の院の岩窟があって、「白雲山妙義大神」の
石碑と大黒天、観音などの石像が祭られています。奥の院の岩窟
は幅約6m、奥行き約10m、高さ約10mという大きなもの。

これこそ波己曽神の奥の院であり、現在も妙義神社の奥の院とさ
れているそうです。ただ先の「妙義山」によれば、かつて奥の院
には大日如来がまつられており「大ノ字」の「大」は大日如来の
「大」ではないかとしています。大日如来像は、明治の廃仏棄釈
の時に壊され、廃棄されたかいまはありません。

▼奥ノ院【データ】
・【所在地】
・群馬県安中市松井田町(旧碓氷郡松井田町)・同県富岡市旧妙義
町各地区名(北甘楽郡旧妙義町)と同県甘楽郡下仁田町との境。信
越本線松井田駅の南西4キロ。

・JR信越本線松井田駅からバス妙義神社前下車、1時間10分で
奥ノ院。地形図になにも記載ばし。奥ノ院より北東65mに大ノ字が
ある。東南513m妙義神社がある

・【ご利益】
・武勇長久、商売繁盛、学業成就、合格祈願

・【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
・【奥ノ院】北緯36度18分06.47秒、東経138度45分26.45秒

・【地図】
・2万5千分の1地形図「松井田(長野)」or南軽井沢(長野)(2
図葉名と重なる)

・【参考】
・「角川日本地名大辞典10・群馬県」井上定幸ほか編(角川書店)1
988年(昭和63)
・「山岳宗教史研究叢書16・修験道の伝承文化」五記重編 (名著出
版)1981年(昭和56)
・「山岳宗教史研究叢書・17」(修験道史料集1・東日本編)五来重
編(名著出版)1983年(昭和58)
・『妙義山』(歴史と信仰の山)(あさを社)1981年(昭和56)
・「図聚天狗列伝・東日本編」知切光歳(三樹書房)1977年(昭和5
2)

【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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