山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼291号 「北ア・立山室堂の残雪」

【概略】
立山の室堂は夏の立山銀座の表玄関。ここは雄山直下にあり、弥陀
ヶ原の東端にある台地。雄山から大汝山へ向かう途中で見下ろす室
堂平はどこかで見た風景だ。そうだ、山岳案内書の写真と同じ、白
い雪の田んぼが見事に散らばっている。
・富山県立山町

▼291号 「北ア・立山室堂の残雪」

【本文】
室堂の室は洞窟の「窟」で、行者などが籠もる場所です。「堂」は
お堂などというように神や仏をまつる建物です。要するにお籠も
り堂の意味だそうです(北陸白山にも室堂があります)。

北アルプス立山の中継基地室堂平(富山県)はバスターミナル、
休憩所やホテル、電報や電話などが完備され、夏山立山銀座の表
玄関になっています。

ここは立山雄山直下にあり弥陀ヶ原の東端にある台地。灼熱の地
獄谷、深く沈んだミクリヶ池、血の池といわれたミドリヶ池など
が近くにあります。また修験道の修行場だったところで、近くを
歩くと石仏や石塔がたくさん見られます。

崖下の玉殿の岩屋は、霊感を得て立山を開山した滋興上人が修行
したところ。その昔、立山信仰で訪れた越中の人たちが泊まった
玉堂岩屋や、ほかからきた人たちが泊まった虚空蔵岩屋などの遺
跡も残っています。

室堂の名は江戸時代のはじめ、加賀藩が修験行者のために室を建
てたのに由来するそうで、いまの室堂小屋は江戸時代中期の1715
(正徳5)年に、加賀藩が立山禅定者(ぜんじょうしゃ)のため
の宿泊所として設置したものという。

1752(宝暦2)年、奥山廻りの山小屋として再興したものだそう
です。江戸時代の唯一の泊まり場所だったわけですね。明治以後
は訪れる人が増えるにしがたい室堂小屋は増築しました。

室堂平は、1971(昭和46)年立山黒部アルペンルートが開通して
からは美女平からの高原バスの終点になっていて、ほとんど観光
地になっていて、シーズンになると郵便局や交番まで設置されま
す。

また、立山連峰の雪が溶け、地面にしみ込み、2千年以上もの時
代を経てこの高地にわき出す「立山殿の湧水」は、1968年(昭和4
3)、立山トンネル貫通工事の時発見したもの。

それを室堂バスターミナルに水飲み場として設置、訪れる人のの
どを潤す名所になっています。雄山から大汝山へ向かう途中、見
下ろした室堂平はどこかで見た風景。

そうだ、案内書の写真と当たり前ながら「うり二つ」なのです。
白い雪の田んぼが見事に散らばっています。どこから撮ろうか、
にわかカメラマンになり1枚撮ってきました。

▼【データ】
【地名】室堂平バスターミナル。室堂は立山の信仰登山のため、16
95年(元禄8)に金沢藩の参籠所としてつくられた。のち享保年間
(1716〜36)に山小屋になった。わが国で最も古い山小屋

【所在地】
・富山県中新川郡立山町。富山地方鉄道立山線立山駅の東14キロ。
富山地方鉄道立山駅からケーブル、美女平駅からバス、立山室堂平。
電子基準点(標高2441.24m)と電子基準点(付)(標高2432.55m)
がある。地形図に室堂平、室堂ターミナル、自然保護センター、郵
便局記号、病院建物記号、交番建物記号、官公署建物記号、電子基
準点記号とその標高(2432.6m)の記載あり。

【位置】
・電子基準点:【緯度経度】(三角点位置・北緯36度34分37.17秒、
東経137度35分45.47秒)(国土地理院「電子国土ポータルWebシステ
ム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「立山(高山)」。5万分の1地形図「高山
−立山」

【山行】早月尾根から薬師岳縦走
・某年7月29日(月・快晴)室堂探訪

【参考】
・「角川日本地名大辞典16・富山県」坂井誠一ほか編(角川書店)
1979年(昭和54)
・「郷土資料事典16・富山県」(人文社)1997年(平成9)
・「山岳宗教史研究叢書・16」五木重編著(名著出版)1981年(昭
和56)
・「旅と伝説」三元社(昭和17年2月号)「山と地形ことば」高橋
文太郎:「民俗学資料集成29」(岩崎美術社)
・「富山県山名録」橋本廣ほか(桂書房)
・『山の伝説・日本アルプス編』青木純二(丁未出版)1930年(昭
和5)

【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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