とよだ 時・山の伝承民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画展】

▼242号 「北ア・五色ヶ原のシナノキンバイ」

【概略】
立山の室堂を出発、一ノ越から南下したところにある五色ヶ原。ゆ
うべ遠くで鳴っていた雷もけさはどこかへ。遠く槍が岳を望む五色
が原は池塘と残雪と湿原そしてお花畑。コバイケイソウの中にシナ
ノキンバイが目を楽しませてくれました。
・富山県富山市と立山町との境

【本文】

北アルプス立山室堂(富山県)を出発、一ノ越(いちのこし)から
雄山(おやま)とは反対側に南下。龍王岳からザラ峠を越えて薬師
岳方面に向かいます。しばらくして黒部湖に下る分岐の下に五色ヶ
原という所があります。

五色ヶ原は、東は黒部湖を隔てて後立山連峰、遠く槍ヶ岳も望める
広々とした平地です。池塘(ちとう)が点在するなかに高山植物が
咲き乱れる別天地で、まさに自然がつくった大庭園です。昔から立
山信仰の聖地雄山神社の本尊立山権現のお遊びの花畑だといわれる
のもうなずけます。

ここはまた安土桃山時代の天正12(1584)年、富山城主佐々成政
が徳川家康に援軍を乞うため、芦峅寺の佐伯三左ェ門十三郎父子を
案内役に一行17人が厳冬の中、ザラ峠から五色ヶ原を経て信州に
出た故事で有名なところ。

家康との会談は不調に終わり、帰りの道もまたこの道を戻ったとい
う説があります。その時、雪の山中で平家の猛将悪七兵衛景清に出
会ったという興味ある伝説があります。

平景清といえば平安末から鎌倉初期の部将です。400年近くも時代
がずれた話です。もしかして、景清の後裔が立山山中に逃れ住んで
いたのか、景清自身の亡霊だったのかと、もっぱらのうわさだった
という。

一昨日は剱岳から北へ延びる早月尾根の伝蔵小屋(いまは早月小屋)
から昨日は剱沢泊まり。長い行程のせいか五色ヶ原キャンプ場に着
くころはかなりぐったり状態です。

テントを張り、夕食をとるのもそこそこにシュラフに潜り込みまし
た。遠くで雷鳴が聞こえています。夜、山小屋の従業員が、テント
場代を徴収に来たのも気がつかなく熟睡しました。

翌朝は天も抜けるような晴天です。遠く槍が岳を望む五色が原は池
塘と残雪と湿原そしてお花畑。コバイケイソウの中に、梅の形をし
た金色の花が群生するシナノキンバイが目を楽しませてくれまし
た。

そしていつかここで立山権現といっしょに遊んでみたいなどと、滅
相もないことを考えたりしました。シナノキンバイは、漢字で「信
濃金梅」。長野県に多くキンバイソウに似た花の意味だそうです。

▼五色ヶ原【データ】
【所在地】
・富山県富山市旧大山町各地区名(旧上新川郡大山町)と富山県中
新川郡立山町との境。立山室堂から歩いて5時間で五色ヶ原テント
場(2500m)。地形図になにも記載なし。一帯の地名として五色ヶ
原の文字あり。テント場より北西方533mに五色ヶ原山荘がある。

【位置】
・テント場:北緯36度32分14.07秒、東経137度35分50.52秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「立山(高山)」

【参考】
・「山岳宗教史研究叢書10・白山・立山と北陸修験道」高瀬重雄編
(名著出版)1977年(昭和52)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・「秘録・北アルプス物語」朝日新聞松本支局(郷土出版)1982年
(昭和57)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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山旅イラスト【ひとり画通信】
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