山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼240号 「丹沢・大山の石尊大権現の道標」

【概略】
昔は、富士講のお参りのル−トに、大山から富士へ、また富士の帰
りに大山へ寄る者もあったという。つまり、大山と富士山はセット
だったらしい。その時代の道標が大山南側の肩の石尊大権現の石柱
に彫られています。・神奈川県伊勢原市と秦野市との境

▼240号 「丹沢・大山の石尊大権現の道標」

【本文】
 「不動まで行くのも女だてらなり」。今どきこんなことを書くと
女性たちにどやされそうな川柳です。私がいっているのではありま
せんからね。江戸時代の川柳ですからね。石尊大権現で知られる相
模(神奈川県)の丹沢大山は雨降山(あふりやま)ともいい、山頂
の阿夫利(あふり)神社本社の中にある大岩は、かって石尊大権現
(石尊信仰)の聖地です。

 ここも江戸時代は女人禁制で、女性が登れるのはいまの阿夫利神
社下社までで、山頂の奥ノ院へは登れなかったといいます。かつて
大山参りをする江戸庶民は、出立前に水垢離(みずごり)をとるの
がしきたりだったといいます。

 その唱え言葉に、「南無帰命頂礼、さんげさんげ(懺悔懺悔)、六
根罪障、おしめにはつだい(大峰八大の誤りではないかという)、
大山大聖不動明王、石尊大権現、大天狗、小天狗」とあります。唱
え言葉の通りいまも、山頂奥ノ院には狛犬の台座に大天狗、小天狗
の文字があります。

 また下社から山頂へ登る途中にも同じ文字が彫ってある石尊大権
現の石柱が目につきます。石柱には「これより右富士浅間道」とあ
ります。昔は富士講による富士登山ル−トに大山から富士へ、また
富士の帰りに大山へ寄るのが通例だったといいます。これはその時
代の道標のようです。



▼【データ】
★【所在地】
・神奈川県伊勢原市と秦野市との境 小田急伊勢原駅からバス、大
山ケーブル下社駅、さらに歩いて1時間あまりで石尊大権現の石碑。
地形図になにも記載なし。石碑より南西方向約500mに阿夫利神社
下社がある。

★【位置】
・石尊大権現の石碑:北緯35度26分01.06秒、東経139度13分57.8秒

★【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」

★【山行】
・某年7月19日(木・晴れ)探訪

★【参考】
・「山岳宗教史研究叢書・8」(日光山と関東の修験道)宮田登・宮
本袈裟雄編(名著出版)1979年(昭和54)
・「図聚 天狗列伝・東日本編」知切光歳著(三樹書房)1977年(昭
和52)
・「古代山岳信仰遺跡の研究」大和久震平著(名著出版)1990年(平
成2)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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山旅イラスト【ひとり画展通信】
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