とよだ 時・山の伝承民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画展】

▼238号 「奥武蔵・妻坂峠の一里地蔵」

【概略】
秩父から江戸、鎌倉へと通じる主要な道筋だった妻坂峠。鎌倉時代、
秩父の庄司・畠山重忠は鎌倉に遠征。その時、妻を峠まで見送らせ、
名残を惜しんだのが名の由来。正丸峠を通る国道299号線と西武秩
父線ができてからは訪れるのはハイカ−ばかりだ。
・埼玉県名栗村と横瀬町との境

▼238号 「奥武蔵・妻坂峠の一里地蔵」

埼玉県奥武蔵大持山と武川岳の鞍部である妻坂峠は、古くは秩父か
ら江戸や鎌倉への重要な道筋だったといいます。

鎌倉時代のはじめ、源頼朝の妻政子の父・北条時政は、後妻の牧の
方の娘婿・平賀朝雅を将軍にたてようと画策します。

この陰謀に巻き込まれた秩父の庄司・畠山重忠は、息子が時政に殺
された鎌倉に遠征。その時、妻を峠まで見送らせ、名残を惜しんだ
のがこの峠の名の由来だそうです。山ろくには「なごり惜しいや妻
坂峠……」という里謡も残ります。

また旅の夫婦がここで突然夫がいなくなってしい、妻が探しまわっ
たがどうしても見つからない。悲しみのあまり妻は鳥になってしま
ったという。

いまでもこのあたりで「オットットー、オットットー」と鳴く鳥は、
旅人の妻が夫を探している姿なのだという伝説もあります。ここは
ハイキングに絶好の場所。

ポツンと建っている地蔵尊の周りには、何組ものパーティがくつろ
いでいます。地蔵尊には「武(州?)妻坂奉造□之□」の文字が読
めます。1747(延享4)年の建立で、「秩父郡名栗邑(むら)山中
村」と彫られています。

▼【データ】
【所在地】
・埼玉県飯能市(旧入間郡名栗村)と埼玉県秩父郡横瀬町との境 
西武秩父線飯能駅からバス・名郷から歩いて1時間45分で妻坂峠。
地形図に峠名のみ記載。付近に何も記載なし。

【名峠】
・井出孫六選定「日本百峠」(第26番・埼玉県県)

【位置】(標高点、三角点)(電子国土ポータル)
・【妻坂峠】緯度経度:北緯35度56分0.16秒、東経139度07分
17.5秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「秩父(東京)」or「正丸峠(東京)」(2図
葉名と重なる)

【山行】
・1993年(平成5)10月24日(日・快晴)「本八幡駅・池袋駅・飯能
駅・名郷駅・大場戸橋・妻坂峠・武川岳・蔦岩山・焼山・二子山・
芦ヶ久保駅・西武池袋駅・新宿駅・本八幡駅」:1993年(平成5)10
月24日(日・快晴)「奥武蔵・妻坂峠・武川岳」単独行(

【参考】
・「日本歴史地名大系11・埼玉県の地名」(平凡社)1993年(平成5)
・「ものがたり奥武蔵」神山弘ほか(金曜堂出版部)1984年(昭和5

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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山旅イラスト【ひとり画通信】
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