とよた 時・山岳ゆ-もぁ画
山旅漫歩゚【ひとり画通信】

▼234号 「和歌山・田辺市闘鶏神社の弁慶」

【概略】
武蔵坊弁慶は源平合戦のころ田辺にいた熊野別当湛増の子であると
し、闘鶏神社には弁慶の産湯の釜がある。?増は源平いずれにつく
か迷い、赤鶏と白鶏とを7回闘わせ、赤鶏がすべて逃げたので白旗
の源氏についた。以後ここを闘鶏神社と改めたという。
・和歌山県田辺市湊

▼234号 「和歌山・田辺市闘鶏神社の弁慶」

JR紀勢本線、和歌山県紀伊田辺駅前構内には大きな武蔵坊弁慶の
銅像が建っています。近くの闘鶏神社(とうけいじんじゃ)にも弁
慶と父親、それに闘鶏の像を建ててあり、そばの石の説明版に神社
の由来を掲げてあります。

弁慶は源平合戦のころ田辺にいた熊野別当湛増(たんぞう)の子で
あるとし、ここ闘鶏神社には弁慶の産湯の釜もあるそうです。

源平合戦は一ノ谷の戦いから海上戦に移っていきました。海上戦と
なれば当時最強の熊野水軍の動向が勝敗に大きな影響を与える存在
です。

熊野水軍の統率者弁慶の父・熊野別当湛増に源平双方からの働きか
けは激しさを増していました。

義経の命を受けた弁慶は、急きょ田辺に帰り父湛増を説得しました。
湛増は赤鶏と白鶏とを7回闘わせて神意を確かめました。その結果、
赤鶏がすべて逃げたので白旗の源氏の勝利を確信しました。

湛増は熊野水軍総勢2000人あまりを率いて壇ノ浦に出陣。源氏の勝
利に尽くしたという。文治元(1185)年3月のことでした。以後こ
こを闘鶏神社と改めたという。

だだっ広い境内は静まりかえったような静寂さ。観光客らしい姿が
ちらほらと見受けられました。

▼【データ】
【所在地】
・和歌山県田辺市湊。JR紀勢本線田辺駅から5分で闘鶏神社。地形
図に神社名のみ記載。

【ご利益】
・【闘鶏神社】:商売繁盛・必勝祈願・厄除け・病気平癒ほか

【位置】
・【闘鶏神社】緯度経度:北緯33度43分45.91秒、東経135度23
分1.51秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「紀伊田辺(田辺)」

【山行】和歌山県南部川村から大峰山縦走
・第1日目:1993年(平成5)9月9日(木・雨のち晴)探訪:1993
年(平成5)9月9日(木)〜17日(金)「東京駅・新大阪駅・紀伊田辺
駅・闘鶏神社・南部駅・熊野本宮・前鬼の里・弥山・行者還岳・山
上ヶ岳・五番関・青根ヶ峰・吉野・京都駅・東京駅」:単独行

【参考】
・「神社辞典」白井永二ほか(東京堂出版)1986年(昭和61)
・「闘鶏神社石碑説明版」武蔵坊弁慶・熊野水軍出陣800年祭実行委
員会
・「闘鶏神社木製説明版」田辺市・田辺市観光協会

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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