とよた 時・山岳ゆ-もぁ画
山旅漫歩゚【ひとり画通信】

▼233号 「中ア・木曽駒ヶ岳聖職の碑」

【概略】
大正2年8月、中箕輪小学校の集団登山。木曽駒頂上は天候悪化。
小屋は全壊でハイマツを屋根がわりに一晩過ごした。翌朝、暴風雨
のなか下山したが途中で次つぎに倒れ校長以下11人が遭難死した。
その記念碑・聖職の碑は木曽駒北東の将某頭山近く天水岩付近にあ
る。
・長野県宮田村と木曽福島町との境

▼233号 「中ア・木曽駒ヶ岳聖職の碑」

中央アルプス長野県の木曽駒ヶ岳(2956m)の、本峰北東に派生す
る尾根上にある天水岩近くの岩に聖職の碑(いしぶみ)「遭難記念
碑」があります。

これは伊那の中箕輪小学校の職員生徒・同窓会員が、集団登山中に
遭難した時の記念碑。死者11人というこの大遭難事件は、新田次郎
の小説にもなり、映画化もされました。

大正2(1913)年8月、赤羽校長以下37人の一行は、ふもとの登山
口を元気に出発しました。天気は上々、一行は希望にあふれ、まわ
りの景色を楽しみながら尾根を歩きます。

しかしやっと木曽駒ヶ岳頂上についたのもつかの間、天気が急変し
てしまいます。台風に出くわしたのです。頼みにしていた山小屋は
柱だけの壊れ放題。

一行は、しかたなく穴を掘り、ハイマツを屋根がわりにして一晩を
過ごしました。

翌日も朝から暴風雨。赤羽校長の判断で下山を決意しましたが、寒
さと疲労で倒れる生徒。

懸命に介抱しますが時すでに遅く、職員校長たちも体力の限界。次
々に倒れて行く教え子たちを見ながら自らも凍死したということで
す。

数年前の9月のある日、JR飯田線伊那市駅からタクシーで内ノ萱
に入り桂小場(かつらこば)から歩きだしました。聖職の碑のある
天水岩付近は乾いた砂場の小広場。

大岩に「遭難記念碑」と文字があり、わきに説明板が建っています。
いつか見たテレビ映画の一シーンが思い出されます。木曽駒ヶ岳山
頂から天水岩までは晴天時で歩いて1時間半の所。

同行の女性が手を合わせています。そばを若者がいそぎ足に通り過
ぎていきました。ちなみに天水岩は通年水が枯れないといわれる不
思議な岩だそうですが、私が訪れた時は下界も水不足だったせいか
乾いていました。

▼【データ】
【所在地】
・長野県上伊那郡宮田村(みやだむら)と長野県木曽郡木曽町(旧
木曽郡木曽福島町)との境。JR飯田線駒ヶ根駅からバス、しらび
平からロープウエー、千畳敷から歩いて2時間10分で聖職の碑。そ
のほかは何もなし。地形図になにも記載なし。碑より北東方向約55
0mに西駒山荘がある。

【位置】
・【聖職の碑】緯度経度:北緯35度48分7.03秒、東経137度49分34
秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「木曽駒ヶ岳(飯田)」

【山行】中ア縦走
・第2日目:1990年(平成2)9月22日(土・晴れ)探訪:1990年(平
成2)9月22日(土)〜27日(木)「新宿駅・上諏訪駅・伊那市駅・内
ノ萱駒ヶ岳神社里宮・発電所取り入れ口(桂小場)・やっとこ峠・
聖職の碑・濃ヶ池・木曽駒ヶ岳・宝剣岳・檜尾岳・木曽殿越え・空
木岳・南駒ヶ岳・越百山・大平宿・飯田駅・上諏訪駅・新宿駅」

【参考】
・「山の神々イラスト紀行」とよた 時(東京新聞出版局)1997年(平
成9)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平
成17)
・「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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山旅イラスト【ひとり画通信】
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