山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼226号 「奥多摩・三頭山の祠とミツバツツジ」

【概略】
三頭山の東峰には祠があります。昔、三頭山は水戸嶺といってい
ました。ある時、山が荒れ出し、村人が占った結果、水戸嶺にオ
オモノヌシクシカマタという神が天下り「山の恵みに感謝するよ
うに」とのお告げ。村人は早速祠を建て、この神を祀ったところ、
山の荒れはピタリと止みました。祠を「鹿留御前社」といってい
ましたが、いまは「三頭御前」と呼んでいます。
・東京都桧原村と奥多摩村の境

▼226号 「奥多摩・三頭山の祠とミツバツツジ」

【本文】
東京都の山奥多摩の三頭山(みとうさん・1531m)は、ピークが3
つあって、各峰の呼びかたが地図の上でも混乱していてまぎらわ
しい。現在、中央峰の標識のあるところが本当は西峰で、三角点
のあるのが中央峰、また祠のある峰が東峰なのだという。長い間
どうしてそのままにしてあるのでしょうか。何か理由があるので
しょうか。

さて、三頭山のその東峰に三頭御前というの祠があります。秋川
市の岡部駒橘(こまきつ)氏によると、ここにはこんな伝説があ
るといいます。昔、三頭山は「水戸嶺」といっていたのだそうで
す。ある時、山が荒れ出し、岩が飛んでくるような大風が吹きだ
しました。これは山の神が怒っているに違いない。村人は、エカ
ツとミトカツという兄弟を大和の国に占いをさせるため向かわせ
ました。

大和の国で占った結果、水戸嶺(いまの三頭山)に神が天下り、「山
の資材は村のかて。その恵みに感謝するように」とのお告げが下
りました。天下った神は「オオモノヌシクシカマタの神」という
神さまだという。そして神のお告げでは「人々が神を祈る場所は、
鹿留山(かずまやま)または鹿妻山(かづまやま)ともいわれ、鹿
留御前社(かずまごぜんしゃ)というところ」という。つまり鹿留
山(かずまやま)とは水戸嶺(いまの三頭山)のことです。

村人は早速三頭山に祠を建て、「オオモノヌシクシカマタの神」を
まつりました。すると不思議に山の荒れはピタリと止んだのでし
た。そして大和の国に占いに行った兄弟の兄(エカツ)をもその
功績として同じ三頭山にまつるようになり、「鹿留御前社」と呼ぶ
ようになります。いまはオオモノヌシクシカマタ神を祀った祠を
いまは三頭御前と呼んでいます。

昔は鰐口(わにぐち・お寺や神社の軒にあり参拝する時ぶら下が
っている布の緒をもって鳴らす)や矢じりも供えられていたそう
ですが、いつか紛失してしまったということです。また弟のミト
カツも、三頭山北東にある御前山に「鹿止(かのと)御前社」と
して、まつってあるといいます。

(※多くの山々の伝説に出てくる神々は、自分をまつれとか、自
分をまつる祠や神社を造れとか、なかには供え物が少ないとへそ
を曲げる神さままで出てきます。神さまも人間くさくてかわいい
ものですネ)。


▼【データ】
【所在地】
・東京都西多摩郡奥多摩町と東京都西多摩郡檜原村、山梨県北都留
郡小菅村と山梨県上野原市旧上野原町各地区名(旧北都留郡上野原
町)との境。JR五日市線武蔵五日市駅の西19キロ。JR五日市線
武蔵五日駅からバス・数馬から2時間で三頭山(最高峰は中央峰で
1531m)。東峰に三等三角点(1527.52m)、中央峰に写真測量によ
る標高点(1531m)がある(西峰にはない)。四阿がある。地形図
に山名と三角点の標高と標高点の標高の記載あり。西峰より南方向
400mに避難小屋がある(地形図には建物記号のみ記載、避難小屋
の文字はない)。

【名山】
・日本山岳会選定「日本三百名山」(第234番):日本百名山以外に2
00山を加える。
・岩崎元郎選定「新日本百名山」(含まれず)
・山梨県選定「山梨百名山」(第69番)

【位置】
・【標高点(中央峰)】緯度経度:北緯35度44分20.08秒、東経139度
00分50.01秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検
索)

・三角点(東峰):北緯35度44分18.94秒、東経139度00分50.59秒

【地図】
・2万5千地形図「猪丸(東京)」(別の図葉名と重ならず)(国土地
理院「地図閲覧サービス」から検索)

【山行】奥多摩・三頭山
・某年10月19日(日)探訪

【参考】
・『角川日本地名大辞典13・東京都』北原進(角川書店)1978年(昭
和53年)
・東京都西多摩郡檜原村文化財専門委員

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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