とよた 時・山岳ゆ-もぁ画
山旅漫歩゚【ひとり画通信】

▼221号「北ア・白馬乗鞍天狗原の祠」

【概略】
昭和2年北城村(いまの白馬村)の後藤敏氏が建てた白馬岳神社。
白馬岳神社頂上に建てようとしたが、国立公園内はだめとの大町営
林署の返事に、当時その外だった天狗原に建てたもの。昭和33年に
いまの石造りの祠に建てかえた。小蓮華山の鉄剣も同じものという。
・長野県小谷村

▼221号「北ア・白馬乗鞍天狗原の祠」

山の名前が統一していなかった昔は村々で勝手な山名を使い、境界
もはっきりせず、入会権にからむ境界争いが各地で起こったといい
ます。

北アルプス北部の白馬乗鞍岳(2469m)も江戸中期の正徳3年(1713)
から山麓の細野村、新田村、塩島村の3村に、10年にもおよぶ境
界争いがあったといいます。

享保7年(1722)になり、ついに幕府役人が出向き見分け登山をす
ることになりました。ついては、登山道の整備のための人足など、
地元から1200人が出動するという裁定事件があった記録がありま
す。

この山は、南斜面に白い残雪の鶏の雪形があらわれて遠く安曇野あ
たりからも確認でき、小蓮華山の子馬の雪形とともに春の風物詩に
なっています。

さて、白馬岳(しろうまだけ・2932m)から乗鞍岳を通り東側の栂
池に下る途中に天狗っ原(てんぐっぱら)があります。

綱の張った木道を歩いていると、道から少し離れた左側の岩の上に
石祠が目に入ります。こんな所に何の祠だろうとけげんに思った人
も多いと思います。

これは、1927(昭和2)年北安曇郡北城村(今の白馬村・はくばむ
ら)の後藤敏という人が建てた白馬岳神社で、天照大神(あまてら
すおおかみ)を祭っているそうです。

白馬岳神社というからには白馬岳の山頂に建てたいところ。後藤は、
日本画家大町桂月が書いた雑誌の記事に影響を受けて白馬岳山頂に
神社建立を決意しました。

しかし、大町営林署は国立公園の中に建ててはならぬとの返事。そ
こで仕方なく当時国立公園外だった天狗原に計画を変更。南小谷村
役場の了解をとりつけ、地元の青年たちの協力で木製の神殿を担ぎ
上げましたが、台風などに耐えきれず、吹き飛ばされてしまいまし
た。

その後、2度ほど作り直したのち、1958(昭和33)年、白馬村の援
助で、石造りの祠に立て替えたものだそうです。路傍のちょっとし
たものにも歴史はあるものです。それにしても昔の人の執念はすご
いですね。

▼【データ】
【所在地】
・長野県北安曇郡小谷村。JR大糸線中土駅の西南西9キロ。JR
大糸線白馬駅からバス、栂池高原から歩いて1時間で天狗原。写真
測量による標高点(2204m)と、白馬岳神社の祠がある。地形図に
天狗っ原の文字と標高点の標高の記載あり。標高点より西方向268
mに乗鞍岳がある。

【位置】
・【標高点】緯度経度:北緯36度46分56.19秒、東経137度48分
48.6秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「白馬岳(富山)」(国土地理院「地図閲覧
サービス」から検索)

【山行】
・第2日目:1990年(平成2)8月2日(木・快晴)探訪:1990年(平
成2)8月1日(水)〜5日(日)「新宿駅・白馬駅・栂池ヒュッテ・
白馬大池・白馬岳・杓子岳・鑓温泉・猿倉・白馬駅・新宿駅」:「白
馬岳・鑓温泉」:ヤマケイ白馬岳自然調査取材

【参考文献】
・「北アルプス白馬連峰 その歴史と民俗」長沢武(郷土出版社)1986
年(昭和61)
・「信州山岳百科・1」(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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