山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼206号 「東京奥多摩・酉谷山のトリ」

【小概略】
ことし(1993年)はトリ年。トリの山では身近に奥多摩の酉谷山が
あります。昨年冬、山の会のガイドブックの構成取りまとめを担当。
調査のため酉谷山肩の小屋跡でテントを張りました。雪はまだない
時期でしたが、翌朝起きてみたらスズタケは霜で白く張り付き、細
い水場は凍てついていました。
・東京都奥多摩町と埼玉県秩父との境。

▼206号 「東京奥多摩・酉谷山のトリ」

【本文】
突然ですがトリ年のエトの山は各地にありますが、東京周辺の人に
とって身近な山として奥多摩の酉谷山(とりだにやま)があります。

山名は日原川にそそぐ酉谷にちなむとも、酉谷のトリは「通り」で
あり昔は日原地区から秩父大血川へ通じる山道があったのではない
かという(宮内敏雄著『奥多摩』)説もあります。

また昔、カスミ網で鳥を捕るときおとりの鳥を置く小屋があったと
ころの「鳥屋」から由来しているという説もあります。

かなり以前、ある社会人の山の会70周年記念誌「東京の山100山・5
0コース」というガイドブックを「山と渓谷社」から出版するにあ
たり、構成取りまとめを担当したことがありました。

調査執筆は会の幹事に役割分担して戴いたのですが、出版社からの
追加調査依頼に会社員の方々は日程の都合がつかず、結局、職業が
フリーの漫画屋の身である自分が出かけ、取材するはめになりまし
た。

12月半ば1週間の食糧とテント持ち奥多摩の山々をまわりました。
まずはじめに酉谷山から登りました。縦走路からはずれたヤブの中
の木の幹には熊の爪跡があります。

またあたりにフンもころがっています。酉谷山の三角点、道標など
の確認、写真などを点検後、テントは肩の小屋跡に張りました。小
屋跡といっても何もない小平地(いまは1997年(平成9)に新築さ
れた小さな酉谷避難小屋が建っている)。

雪はまだない時期でしたが、夜中に目がさめるほど寒い。翌朝起き
てみたらスズタケは霜で白く張りつき、細い水場は凍てついていま
した。テントのついた霜をはたくのに骨がおれます。

遠く山々の上から照らす太陽をまぶしく感じながらきょうの日程を
考えます。まだまだ鋸尾根、三頭山、笹尾根方面に行かねばなりま
せん。霜にぬれてずしりと重くなったテントの入ったザックを背中
に乗せ、天祖山から日原鍾乳洞方面へ下ったのでありました。

▼酉谷山【データ】
【異名・由来】
・異名:天目山(てんもくさん)

・由来:そばを流れる酉谷にちなむ説、トリは「通り」で秩父へ抜
ける山道があった説。カスミ網猟でおとりの鳥を置く「鳥屋」があ
ったという説。

【所在地】
・東京都西多摩郡奥多摩町町と埼玉県秩父市(旧秩父郡荒川村)と
の境。JR青梅線奥多摩駅からバスで東日原、さらに歩いて5時間
30分で酉谷山。二等三角点(1718.3m)がある。地形図に酉谷山(天
目山)の文字と三角点の標高と記載あり。付近に何も記載なし

【位置】
・三角点:北緯35度53分49.54秒、東経139度00分37.05秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「武蔵日原(東京)」。5万分の1地形図「東
京−秩父」

【山行】奥多摩長沢背綾・鋸尾根・浅間尾根・三頭山
・某年12月15日(日・快晴)探訪

【参考】
・『角川日本地名大辞典13・東京都』北原進(角川書店)1978年(昭
和53年)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)。

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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山旅イラスト【ひとり画通信】
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