山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼205号 「北八ツ・蓼科山の井戸神」

【概略】
形が富士山に似ているので諏訪富士とも呼ばれている蓼科山。山頂
にある蓼科神社はもと高井大明神という土地の神。高井とは高いと
ころにある井戸のことで、ここに降る雨がふもとに泉となって湧く
ため、村人は井戸のもとであるこの山をあがめ拝んだのだという。
・長野県立科町と茅野市の境

▼205号 「北八ツ・蓼科山の井戸神」

山の形が富士山に似ているので、諏訪富士とも呼ばれている蓼科山
(たてしなやま・2530m)。八ヶ岳の一番北にそびえています。山
頂はゴロゴロした岩の広場で、その中に蓼科神社の奥社の祠があり
ます。

明治8年にいまの蓼科神社と名前を変える前は、民衆にあがめられ
た高井大明神という地主神だったといいます。高井とは、高いとこ
ろにある井戸ということだそうです。

この山に降った雨は、地下にしみこみ、ふもとのあちこちに泉とな
ってわき出て、村々をうるおてくれます。村人はこの山の恵みに敬
意をもって高井大明神とあがめたのだそうです。

かつてこの山にもライチョウがいたという記録が江戸後期1834年
(天保5)成立の「信濃奇勝録・しなのきしょうろく」(井出道貞
著)にあるそうです。

しかし、1929(昭和4)年、博物学者の矢沢米三郎という人が調査
の結果、絶滅を報告しています。

また寛政10年(1798)刊の紀行文「遠山奇談・とおやまきだん」(華
誘居士著)には、この山で落雷と一緒によく落ちてくる雷獣という
獣のことが出ています。

それによると雷獣は、体毛は針のようで鳥のように口ばしがあり、
尾は狐のようで鷲よりも爪が鋭かったそうです。

夏も終わり、台風が仙台沖に去ったある日、女神茶屋から蓼科山に
登りました。ペンキの印がついた大石をたどって山頂へ。山頂の広
場は私ただひとり。岩の上に寝ころんで、ゆっくりと流れる雲をな
がめます。久しぶりに命の洗濯をしたような気がしました。

▼【データ】
【山名】たてしなやま。異名:立科山(たてしなやま)、諏訪富士
(すわふじ)、高井山(たかいやま)、飯盛山(いいもりやま)、位
山(くらいやま)。

【所在地】
・長野県北佐久郡立科町と同県茅野市との境。JR中央線茅野駅か
らバス・親湯入口から歩いて4時間30分で蓼科山。一等三角点(253
0.3m)と蓼科神社の奥宮がある。地形図に山名と三角点の標高、
蓼科山頂ヒュッテの記載あり。三角点より北東方78mに蓼科山頂ヒ
ュッテがある。

【位置】
・三角点:北緯36度06分13.42秒、東経138度17分42.23秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「蓼科山(長野)」

【山行】木曽駒ヶ岳・麦草岳・木曽御嶽・蓼科山
・某年9月9日(水・快晴)探訪:

【参考】
・「信州山岳百科・2」(信濃毎日新聞社)1983年(昭和58)
・「角川日本地名大辞典20・長野県」市川健夫ほか編(角川書店)1
990年(平成2)
・「遠山奇談」後篇「巻之四」第二十一章 たてしな山に雷獣雷鳥あ
る事(浄林坊辨惠・筆名華誘居士著)寛政10年(1798)刊の紀行文。
:「日本庶民生活史料集成16・奇談奇聞」編集委員代表・谷川健一
(三一書房)1989年(平成元)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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