とよだ 時 「山の伝承伝説」民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画展】

▼180号 北丹沢・焼山のホコラ

焼山の山頂に建つ3つの祠。ここは以前は鳥屋、青野原、青根の旧
3村の境界で、境界争いによる出火からたびたび山火事が起きたと
いう。そこで村々が集まり境界にそれぞれ石祠を建て焼山権現をま
つった。これが建ってからは山火事もなくなったという。祠はそれ
ぞれの村の方向を向いて建っている。
 (本文は下記にあります)

▼180号「北丹沢・焼山のホコラ」

【本文】
丹沢主脈の末端にある焼山の山頂には3つの祠が建っています。焼
山は江戸幕府編纂の「新編相模國風土記稿」の毛利庄のうち、鳥屋
村の項には「焼山嶽 当村及び青根原青根三村接壌の境上にあるが
故に、三村にて記す」などと記されている山。

ここはいまでこそ相模原市の旧津久井町になっていますが、以前は
鳥屋、青野原、青根の旧3村の境界で、入会地になっていたのだそ
うです。山仕事の村境となればとかく紛争がつきものです。

その上、境界争いによる出火からかたびたびの山火事。山の名前ま
で焼山と呼ばれるしまつ。

このままではいけないと3つの村が集まり、話し合い。境界をはっ
きりさせるためそれぞれの村が石祠を建てたと伝えます。

この祠は3つとも焼山権現という神をまつり、青根社は青根方面を、
鳥屋社は鳥屋方面を、また青野原社は青野原方面を向いて建ってい
ます。これが建ってからは山火事もなくなったということです。

9月の蒸し暑い日に蛭ヶ岳から姫次(ひめつぐ)を経由して祠をス
ケッチに行きました。疲れた体には同じようなものを3つも描くの
は、ちとうんざりです。

祠は建て直されたものもあるのか、青根社には昭和22年の文字が、
鳥屋社には明治32年の銘があり、わきにハートを逆さにしたような
紋が彫ってありました。

▼【データ】
【山名】・境界争いによる出火からかたびたびの山火事がでた。

【所在地】
・神奈川県相模原市(旧津久井郡津久井町)。中央本線藤野駅の南方
9キロ焼山。
・山頂に二等三角点(1059.6m)がある。

・地形図に山名と三角点の標高の記載あり。付近に何も記載なし。
付近を東海自然歩道が通る。

【位置】
・【三角点】緯度経度:北緯35度32分19.89秒、東経139度09分
49.4秒(電子国土ポータルWebシステムから検索)

【基準点の詳細】
・基準点:(基準点コード:TR25339214301)(点名:焼山)(冠字選
点番号:記入なし)(種別等級:二等三角点)(基準点成果状態:正
常)(地形図:東京−上野原)(測地系:世界測地系)(緯度経度:
緯度 35°32′19.8886、経度 139°09′49.3567)(標高:1059.57
m)(基準点現況状態:正常 20060718)(所在地:神奈川県相模原
市大字青根字八重石80番地の1)(点の記図閲覧:可)(国土地理
院「基準点成果等閲覧サービス」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「青野原(東京)」(国土地理院「地図閲覧サ
ービス」から検索)。5万分の1地形図「東京−上野原」(「電子国
土ポータルWebシステム」から検索)

【山行】西丹沢野宿
・第2日目:1990年(平成2)9月9日(日・快晴)焼山探訪:1990
年(平成2)9月8日(土)〜9日(日)「西丹沢から焼山・神ノ川支流
野宿」

【参考文献】
・「かながわの山」植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
・「新編相模国風土記稿」江戸幕府(1830・天保1)編纂の地誌(巻
之121村里部津久井縣巻之6):大日本地誌大系23「新編相模国風
土記・5」編集校訂・蘆田伊人(雄山閣)1980年(昭和55)
・「尊仏2号」栗原祥ほか(さがみの会)1989年(平成1)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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山旅イラスト【ひとり画通信】
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