とよだ 時 「山の伝承伝説」民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画展】

▼179号「北ア・後立山連峰の八峰キレット」

【概略】
八峰キレットは、剱岳の八峰(やつみね)岩峰と区別してハチミネ
と呼んでいる。かつて登山者はこの切れこみを黒部川側へ大きく下
り、また登り返すルートをとって通過したという。ここを初めて通
ったのは、名前の通り八(はち)という猟師だとされている。
・長野県大町市と富山県宇奈月との境

▼179号「北ア・後立山連峰の八峰キレット」

北アルプス後立山連峰の八峰キレットは、剱岳の八峰(やつみね)
岩峰と区別してハチミネと呼んでいます。八峰キレットはいまでこ
そクサリやハシゴが頑丈に取り付けられて、道が狭くすれちがいが
できないところもあるものの、シーズンになると交通整理の係りを
おくほどのにぎわいぶりです。

しかし、かつては大変な難所で、登山者はこの切れこみを黒部川側
へ大きく下り、また登り返すルートをとって通過したといいます。
ここを初めて通ったのは、名前の通り八(はち)という猟師だとさ
れています。

登山者としては、明治44年7月通過した中村孝二郎一行。ちなみに
積雪期の通過は、昭和6年春の京大パーティーだとか。ところで江
戸時代初めまでは、黒部川から立山あたりまでが信州のものと考え
られていたそうです。

地図を見ると、黒部川の流れから信州側に食い込む沢は、東谷、棒
小屋沢、新越沢、鳴沢、大スバリ沢、小スバリ沢、針ノ木谷と多少
の違いはあるものの「沢」とつけられたものが多い。

それに比べて越中側には仙人谷、雲切谷、剱沢、内蔵助谷、御前谷、
御山谷、中ノ谷、ヌクイ谷など圧倒的に「谷」が多いことからも分
かるという。

しかし、加賀藩前田家は信州松本藩の攻撃を恐れ、勝手に立入禁止
にしてしまいました。慌てた松本藩が抗議しますが、7万石と10
0万石の力の差はどうにもなりません。

天保年間にいまの境界に押し切られてしまったといいます。やはり
大国のエゴにはかなわなかったようです。

▼【データ】
【地名】・八(はち)という猟師が初めて通過した。

【所在地】
・長野県大町市と富山県宇奈月との境。JR大糸線神代駅からバス
・テレキャビン、アルプス平から徒歩7時間で五竜岳、さらに4時
間で八峰キレット。

・写真測量による標高点(2518m)がある。そのほかは何もなし。

・地形図に八峰キレットと標高点の標高記載あり。標高点より北方
向102mにキレット小屋がある。

【位置】
・【八峰キレット】緯度経度:北緯36度37分57.31秒、東経137
度45分8.42秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」か
ら検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「十字峡(高山)」or「神城(高山)」(2図
葉名と重なる)(国土地理院「地図閲覧サービス」から検索)

【山行】後立山連峰(千国白馬大池から爺ヶ岳・扇沢)縦走
・第8日目:1987年(昭和62)8月2日(日・快晴)八峰キレット
探訪:1987年(昭和62)7月26日(日)〜8月3日(月)「新宿駅
・千国駅・源長寺・山の神尾根・天狗原・白馬大池・小蓮華山・白
馬岳・天狗の頭・不帰嶮(かえらずのけん)・唐松岳・五竜岳・鹿
島槍ヶ岳・冷池・爺ヶ岳・扇沢出合・信濃大町・松本駅・新宿駅」
:家内と同行

【参考】
・「アルパインガイド27・白馬岳・後立山連峰」高橋伸行(山と渓
谷社)1979年(昭和54)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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山旅イラスト【ひとり画通信】
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