山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼176号「東京・高尾山の天狗伝説」

【概略】
南北朝時代の永和年間(1375〜79)、僧・俊源大徳が高尾山の滝で
修行中、夢の中で飯縄権現を感得。その像をまつって本尊とし、修
験道の道場としたといいます。この飯縄権現は長野県飯縄山の天狗
・飯綱三郎の分家格。白狐に乗った荼吉尼天の姿だ。
・東京都八王子市

▼「東京・高尾山の天狗伝説」

東京都民の山・高尾山には真言宗薬王院有喜寺があって、真言宗の
関東三山(成田山新勝寺、川崎平間寺)のひとつに数えられていま
す。

この山は奈良時代、聖武天皇の勅願により行基菩薩がみずから薬師
如来を刻み、諸人救済のため高尾山上に仏像を安置、本尊として開
山したのがはじまりということになっています。

その後600年たった、南北朝時代の永和年間(1375〜79)、僧・俊源
大徳が修行中、夢で飯縄権現を感得し,その像をまつって本尊とし、
修験道の道場としたといいます。

この飯縄権現は、長野県飯縄山の天狗・飯綱三郎(いづなのさぶろ
う)の分家格。右手に宝剣、左手に索縄を持ち白狐に乗った荼吉尼
天(だきにてん)の姿です。

室町時代末期、日本画家の狩野元信が鞍馬山の天狗「鞍馬大僧正坊」
をイメージし、今までのトビのようなカラス天狗と違った「かっこ
いい」、鼻の高い山伏姿の天狗を描き出しました。

以来、各地の天狗信奉者が次々に、いままでの烏天狗からこの大天
狗の姿に乗り換えてしまいました。そんな中で飯縄系の山々は昔の
烏天狗のままでおしとおしています。

しかしいま一般の人にとっては、天狗といえば赤ら顔の鼻の高い、
高下駄を履いた山伏姿をイメージします。そこで駅やお寺の境内に
は鼻高天狗を置いてあります。

それほど狩野元信の描いた天狗姿は浸透してしまっているのです
ね。しかし、本尊は白狐に乗った荼吉尼天姿をしています。

ちなみに飯縄系天狗の山は箱根の最乗寺、静岡の秋葉山、群馬の迦
葉山、日光の前山古峰ヶ原などがあります。

▼【データ】
【山名】・高尾山(たかおさん)・高雄山。

【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」、深田クラブ選定「日本二百名山」、
日本山岳会選定「日本三百名山」、岩崎元郎選定「新日本百名山」
ともに含まれず
・田中澄江選定「花の百名山」(第1番フクジュソウ)

【所在地】
・東京都八王子市。中央線高尾駅の南西4キロ。京王高尾線高尾山
口駅からケーブルカー・高尾山駅から歩いて45分で高尾山。

・山頂に二等三角点(599.2m)とビジターセンター、レストラン
ハウス、やまびこ茶屋がある。山頂直下に薬王院(有喜寺)がある。

・地形図に山名と三角点の標高と高尾ビジターセンターの文字の記
載あり。三角点より東方向486mに薬王院がある。

【ご利益】
・【薬王院(有喜寺)】:除災開運・招福・商売繁盛

【位置】
・三角点:北緯35度37分30.55秒、東経139度14分36.99秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「与瀬(東京)」or「八王子(東京)」(2図
葉名と重なる)

【参考文献】
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「図聚天狗列伝・東日本編」知切光歳(三樹書房)1977年(昭和5
2)
・「全国神社仏閣ご利益小事典」現代神仏研究会編(燃焼社)1993
年(平成5)
・「高尾山の山岳宗教」山本秀順:(「山岳宗教史研究叢書8・日光
山と関東の修験道」(名著出版1979年(昭和54)所収
・「天狗の研究」知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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