とよだ 時 「山の伝承伝説」民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画展】

▼171号「中ア・空木岳木曽殿越え」

【概略】
空木岳北側の木曽殿越という鞍部。源平合戦の時、木曽冠者・源義
仲が馬もろともに太田切本谷を下り、伊那谷に侵入していった所と
いう。伊那の平家方・笠原平吾昭直の兵はクモの子を散らすように
逃げてしまったという。以後、ここを木曽の殿越と呼んだという。
・長野県駒ヶ根市と大桑村との境

▼171号「中ア・空木岳木曽殿越え」

空木岳(うつぎだけ・2864m)は、中央アルプス主脈の中央にあり、
その名は春になっても残雪が山頂あたりに白く輝き、すでにふもと
で咲いている植物のウツギの花が梢に群がっている感じから来てい
るという。

その空木岳の北側主稜に「木曽殿越・きそどのごえ」という鞍部が
あります。ここは標高2480m、北アルプス・立山の一ノ越、同じく
北アルプス槍ヶ岳西鎌尾根硫黄乗越(いおうのっこし)についで3
番めに高い乗越(のっこし)だそうです。

源平の合戦の時、木曽冠者(木曽の殿)・源義仲は、いとこの源頼
朝の旗揚げにこたえ挙兵しました。そのことを記した本に「吾妻鏡」
(鎌倉幕府が編纂した歴史書)があります。

その巻一・治承四年(1180)九月七日の項の記述です。伊那の平家
方人(かたうど)笠原平五頼直と戦っていた源氏方木曾の方人村山
七郎義直らは、形勢不利と見て木曾に飛脚を飛ばし応援を乞います。

「仍って木曾、大軍を率ゐ來たりて、競ひ至るの處、頼直其威勢に
怖れて逃亡す」。このとき義仲は、空木岳の北側肩の乗越から馬も
ろともに太田切本谷を下り、伊那谷に侵入していったのだというの
です。

そのためここを木曽の殿越と呼んだといいます。この乗越をおそる
おそるのぞきこみ「昔の人はすっごいなァ」といたく感心したこと
がありました。

家の帰ってから早速調べてみたら「そんの伝説はあるが史実はない
……」ときたもんだ。まったく百科事典はそっけない。

▼【データ】
【地名】・木曽義仲、伊那攻め伝説による。

【所在地】
・長野県駒ヶ根市と長野県木曽郡大桑村との境。JR中央本線倉本
駅から6時間で木曽殿越(きそどのごし2580m)。木曾殿山荘があ
る。地形図に木曽殿越の文字のみ記載。標高数字なし。

【位置】
・【木曽殿越】緯度経度:北緯35度43分23.33秒、東経137度48
分29.12秒)(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検
索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「空木岳(飯田)」(国土地理院「地図閲覧サ
ービス」から検索)

【山行】中ア縦走
・第3日目:1990年(平成2)9月23日(日・晴れ)探訪:1990年(平
成2)9月22日(土)〜27日(木)「伊那市駅・内ノ萱駒ヶ岳神社里宮
・発電所取り入れ口(桂小場)・やっとこ峠・聖職の碑・濃ヶ池・
木曽駒ヶ岳・宝剣岳・檜尾岳・木曽殿越え・空木岳・南駒ヶ岳・越
百山・大平宿・飯田駅」

【参考】
・「信州山岳百科・2」(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・「角川日本地名大辞典20・長野県」市川健夫ほか編(角川書店)1
990年(平成2)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・「吾妻鏡」鎌倉幕府が編纂した歴史書:岩波文庫「吾妻鏡」(1〜
5)龍 粛訳注(岩波書店)1997年(平成9):岩波文庫「吾妻鏡」
巻一・治承四年九月七日(龍 粛訳注)(岩波書店)1997年(平成
9)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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山旅イラスト【ひとり画通信】
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