山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼161号「埼玉秩父・両神山の伝説」

・【概略】
両神山は日本武尊が筑波山から8日間この山を身ながらやってきた
という八日見山(やうかみ)語源説、それに対して竜神(頭)山(り
ゅうかみやま)といっていたという説がある。「りゅう」が「りょ
う」になまったのか。なぜこの山に竜神をまつったのかは不明。
・埼玉県大滝村と両神村との境

▼161号「埼玉秩父・両神山の伝説」

埼玉県秩父の名山・両神山(りょうかみさん・1723m) は、奈良時
代に役ノ行者(役ノ小角)が開山した山といい、江戸時代は多くの
修験者の修行の道場だったそうです。

そのため山中のあちこちに石仏が建っていて、その数300体以上と
いわれます。山頂下の平坦部にある両神神社奥の院は、その名前の
通り日本神話に出てくる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊
(いざなみのみこと)の両神をまつっています。

この山の両神信仰は8世紀初め、一位道人という人が広めたと伝え
られます(清滝小屋から旧道に行くと途中にある一位ガタワという
ところは、一位道人と関係があるのでしょうか。

かつて一位ガタワには一位道人の墓と称する自然石があったという
話もあります)。しかし、これはあとになってつけ足したものだと
いうからまぎらわしいことです。

かつて東北麓の埼玉県小鹿野町側ではこの山を八日見山(ようかみ
やま)と呼び、これが両神山の語源だとされています。それに対し
て東麓直下の両神村側(いまは合併して小鹿野町両神地区)では竜
神(頭)山(りゅうかみやま)といっていたというのです。

「りゅう」が「りょう」になまったのでしょうか。竜の山は古くは
竜王の山。なぜこの山に竜神をまつったのかは不明ですが、山頂北
側八丁尾根に竜頭神社の奥宮があり、北麓の小鹿野町坂本地区には
竜頭神社里宮があります。

清滝小屋テント場の朝食はお雑煮としゃれました。一位ガタワ経由
で山頂に向かいます。途中にあるノゾキ岩は直下300mの大絶壁。
岩の上からの展望は紅葉の山なみがうねり合わさりすばらしい。

それぞれに別の方向を向くふたつの両神神社を過ぎて登山道わきに
建つ石神を眺めながら山頂へ。両神山頂からの眺めは、遠くは少し
ガスがかかっていますが遠くに蓼科山、富士山も雲の上から顔をの
ぞかせています。

めざす八丁尾根は、夜露、朝露で岩がぬれて滑りやすい。家族連れ
のわがパーティーにとってはさけた方がいいと一位ガタワ経由白井
差へ下った(地権者と行政のトラブルで通行止めになっている。09
年5月現在)のでありました。

▼【データ】
【山名】両神山(りょうかみさん)異名:八日見山(ようかみさん)、
竜神山(りゅうかみさん)、竜頭山(りょうかみさん)、鋸山、ヤオ
カミサン。由来:伊弉諾、伊弉冉尊の両神。八日見説:日本武尊が
八日間この山を見続けた。竜頭(ヤオカミ)説:雨乞い(大蛇)、
?(おかみ)神、高オカミ神、闇オカミ神説。

【名山】
・(第65番)日本百名山(深田久弥選定・日本二百名山、日本三百
名山にも含まれる)・(含埼玉県)新日本百名山(岩崎元郎選定)

【所在地】
・埼玉県秩父郡小鹿野町(旧秩父郡小鹿野町・旧秩父郡両神村)と
埼玉県秩父市大滝(旧秩父郡大滝村)との境。秩父鉄道三峰口駅の
北西14キロ。西武線秩父駅からバス・小鹿野乗り換え出原から歩い
て4時間で両神山(標高1723.0m)。二等三角点と両神神社奥ノ院
がある。地形図に山名と三角点の標高の記載あり。

【位置】
・三角点:(標高1723.0m、二等三角点)(北北緯36度01分24.24秒、
東経138度50分28.75秒)。(電子国土ポータルWebシステムから検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「両神山(長野)」

【参考文献】
・「角川日本地名大辞典11・埼玉県」小野文雄ほか編(角川書店)
1980年(昭和55)
・「古代山岳信仰遺跡の研究」大和久震平(名著出版)1990年(平
成2)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・「日本歴史地名大系11・埼玉県の地名」小野文雄ほか(平凡社)
1993年(平成5)
・「両神山・風土と登山案内」飯野頼治著(実業之日本社)1975年
(昭和50)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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山旅イラスト【ひとり画通信】
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