山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼157号「長野県・姨捨山のかんむり伝説」

【概略】
『大和物語』。『今昔物語』の姨捨伝説の姥捨山は正式には冠着山。
冠着とは冠を着けるという意味。「天の岩戸」で活躍したあの天手
力男命が、天の岩戸を背負ってやってきて、この山でひと休み。ず
れた冠着けなおしたのが名前の由来。名月の山としても有名です。
・長野県千曲市、筑北村の境

▼157号「長野県・姨捨山のかんむり伝説」

【本文】
「信濃の国更級といふ所に男住みけり」ではじまる『大和物語』(平
安時代に成立)の姨捨伝説(第156段)。

「信濃の国更級といふ所に男住みけり。若き時に親死にければ、を
ばなむ親の如くに若くよりあひ添ひてあるに、この妻(め)の心い
と心憂きこと多くて、この姑(しうとめ)の、老いかがまりて居た
るを常に憎みつゝ、男にもこのをばのみ心のさがなく悪しき事を言
ひ聞かせければ、昔の如くにもあらず、おろかなる事多く、このを
ばのためになりゆきけり」とつづきます。

そして、親代わりに育ててくれた老いたおばを、捨ててくるよう
嫁にせめられ、一度は山におき去りにしましたが、思いあまって
途中で連れもどすという話です。

『今昔物語』巻第三十 本朝付雑事(信濃国姨母棄山語第九・しな
ののくににをばをやまにすつることだいく)に「今昔(いまはむ
かし)、信濃ノ国更級(さらしな)ト云フ所二住ム者有(あり)ケ
リ。年老(おい)タリケル姨母(をば)ヲ家二居(す)ヘテ、祖(お
や)ノ如クシテ養(やしなひ)テ、年来(としごろ)相副(あひそ
ひ)テ過(すぐ)シケルニ…」と、同じような内容で載っていま
す。

しかし、長野県姥捨山(おばすてやま)というのは別名で、正式
には冠着山(かむりきやま)というんだそうであります。山頂広
場の杉の大木のわきに冠着神社があって、更級郡戸倉町(いまの
千曲市戸倉)方面を向いて建っています。

また、神社裏手くぼ地に冠着山権現の石の祠があって、東筑摩郡
坂井村(同郡筑北村)側を向いています(普通、神社や祠は、そ
れを建立した集落の方向を向いて建っている)。

冠着とは、頭にのせる冠を着けるという意味だそうです。『古事記』
にある「天の岩戸がくれ」の時活躍したあの天手力男命(あめの
たぢからおのみこと)が、天の岩戸を背負ってやってきて、この
山でひと休み。ずれた冠を着けなおしたのが名前の由来といいま
す。

姨捨伝説ができる前、ここは名月の山として有名だったそうで、『古
今和歌集』にも「わが心なぐさめかねつさらしなや姥捨山にてる
月をみて」(巻十七)とうたわれています。

▼【データ】
【山名】・冠着山(かむりきやま)・姨捨山(おばすてやま・うばす
てやま)・冠山(かぶりやま)・古名更級山・俗名チョボ山。・手力
男命がこの山で休み、冠を正したため。棄老伝説。

【所在地】
・長野県千曲市戸倉(旧埴科郡戸倉町)、同県千曲市上山田(旧更
級郡上山田町)、同県東筑摩郡筑北村(旧東筑摩郡坂井村)との境。
しなの鉄道戸倉駅の西5キロ。JR篠ノ井線冠着駅から歩いて1時
間30分で冠着山(かむりきやま・姨捨山)。三等三角点(1252.2m)
と冠着神社がある。地形図に山名冠着山(かむりき・姥捨山)と三
角点の標高と神社記号(鳥居)の記載あり。

【位置】
・三角点:北緯36度28分07.9秒、東経138度06分23.9秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「麻績(長野)」(国土地理院「地図閲覧サ
ービス」から検索)。5万分の1地形図「長野−坂城」

【参考文献】
・「角川日本地名大辞典20・長野県」市川健夫ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・「今昔物語 巻第三十 本朝付雑事」信濃国姨母棄山語第九:日本
古典文学全集24「今昔物語4」馬淵和夫ほか校注・訳(小学館)1995
年(平成7)
・「遠山奇談」(浄林坊辨惠著)筆名華誘居士:「日本庶民生活史料
集成」第16巻(奇談・紀聞)(山一書房)1989年(平成元)
・「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・「日本歴史地名大系20・長野県の地名」(平凡社)1979年(昭和54)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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