山旅通信【伝承と神話の百名山】とよだ 時

……………………………………

▼山旅1132号-(百伝32)苗場山苗の田んぼと祝い歌

【説明略文】
苗を植えたような、まるで湿地植物の稲田がたくさんならんだよ
うな苗場山の山頂。苗場山とはよくいったものです。秋には穂を
つけ、蛙やイナゴまで出るといい、「常の田にかはる事なし」と鈴
木牧之が自著『北越雪譜』に書いています。
・新潟県津南町と湯沢町と長野県栄村との境。

▼山旅1132号-(百伝32)苗場山苗の田んぼと祝い歌

【本文】
 長野と新潟県境にまたがる苗場(なえば)山の山頂は約4平方
kmの平原。スキー場として知られ、上越新幹線・越後湯沢駅方面
からスキー場を通り、最後のリフトを過ぎて3時間足らずで山頂で
す。山頂は高山植物の花が咲き乱れる湿原いっぱいに、苗を植え
た稲田のような小さな池が広がっています。

 池の水の中に生えるタテヤマスゲ、エゾホソイなどは秋になると
穂をつけ、カエルやイナゴまでいるというから面白い。池の大きさ
は5〜10m。深さ20〜40センチ。これが約600個も散らばってあ
るのですからそれはミゴトです。

 その様子から山ろくの村人は、神がここに天降り田植えをしてい
るのではないかと、山上に作物の守護神「伊米(いめ)神社」を祭
ってあります。祭神は、死んだ自分の体から穀物が生やしたとい
う神話から、食物の神とされている保食神(うけもちのかみ)(『日
本書紀』神代上)とのこと。神社には保食神の女体の銅製神のほ
か、浅間大神、八海山大神、役(えんの)行者などの石碑も鎮座
しています。


 地震のことを昔の人は「ない」と呼んだという。いまでも予知
できない地震。突然の大地の揺れに人々は、恐ろしい地震は得体の
知れないほどおおきいこの山から起こるのだと考え、「なえ(い)
場山」といったという説もあります。『大日本地名辞書』(明治時
代後期に出版された日本初の全国的地名辞典)にも、地震の古語
「ナイ」からではないかと記述しています。

 江戸後期の越後の文人・鈴木牧之(ぼくし)は苗場山山頂の様
子を『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』のなかで述べています。「苗
場山は越後第一の高山なり、魚沼郡にあり登り二里といふ。絶頂
(ぜってう)に天然の苗田(なへた)あり。依て昔より山の名に
呼(よぶ)なり。峻岳(じゅんがく)の巓(いただき)に苗田あ
る事甚奇なり。余(よ)其奇跡を尋ねんとおもふ事年(とし)あ
りしに、文化八年七月偶(ふと)おもひたちて友人四人…(中略)
…。其日は三ツ俣といふ駅に宿り、次日暁を侵(おか)して此山
の神職にいたり、おのおの祓(はらひ)をなし案内者を傭(やと)
ふ。…(中略)…。

 おのおの忙怕(おづおづ)あゆみて竟(つひ)に絶頂(ぜって
う)にいたりつきぬ。…。絶頂に小屋在、こゝにのぼる人必その
小屋に一宿する事なりといへり。…是(この)絶頂は周(めぐり)
一里といふ。莽々(まうまう・ノヒロキ)たる平蕪(へいぶ)高
低(たかひく)の所を不見(みず)、山の名によぶ苗場(なへば)
といふ所こゝかしこにあり。そのさま人のつくりたる田の如き中に、
人の植(うゑ)たるやうに苗に似たる草生(お)ひたり、苗代(な
はしろ)を半(なかば)とりのこしたるやうなる所もあり。


 これを奇なりとおもふに、此田の中に蛙(かへる)蝗螽(いなご)
もありて常の田にかはる事なし、又いかなる日てりにも田水(てん
すゐ)枯(かれ)ずとぞ。二里の巓(いただき)に此奇跡を観るこ
と甚不思議の?山(れいざん)なり。…絶頂にも石に刻して苗場大
権現とあり、案内者は此石人作にあらず、天然の物といへり。俗伝
なるべし」とあり、文化8年夏に苗場山に登ったときのことを述
べています。

 山頂の伊米神社(いめじんじゃ)は三国街道の宿駅に里宮があ
ります。その里宮の記録と思われるものが、すでに平安時代の『延
喜式』の「神名帳」という文書に載っていているというから古い。
また嘉永年間(1848〜1854・江戸時代)、「勇道坊」というお坊さ
んの記した「苗場山略縁起」と称する文書も残っています。

 「平城天皇御宇大同元丙戌(ひのえいぬ)年天台聖教大阿闍梨
法印霊雲上人、北国弘道の時、暫く此山に止りたまふ折から、深
山に慶雲たなひきしを見て、妙智悟道の上人深山にわけ入り、終
に頂に登りけるとき、白髪の翁あらわれ、吾上人を待事久し、吾
は此山の地神明神なり、…

 …五穀成就生物(せいぶつ)群生(ぐんしょう)国土安穏を守
るべし、上人共に人法を擁護すべしと神勅ありき、誠に十方(じ
っぽう)諸国土無殺不現身(むせつふげんしん)の金言むなしか
らず、信心渇仰の輩(ともがら)願望すみやかに満足すること、
響の声に応ずる如しと即開山と成れり、…


 …この山の由来委しきを尋るに上野信濃越後三ヶ国にわたりし
ゆゑ三国峠といふ険しきたうげ有り、下れば魚沼郡三俣駅是より
登山の道法(みちのり)絶頂まで五里あり、いただきの広さ四方
へ三里余南の方一体に田面(たのも)の形あり、春の頃田毎に苗
植あり、青々として群生す、秋にいたれば稲実るその頃、苅取の
にもて何方へ持ちはこび玉ふやらん、凡人の知る所にあらず、…

 …田のほとりの小高き処に苗場三国稲成の神社あり、是鎮守な
り、夫よりむかふに当たりて大岩屏風形、此処神楽殿と称す、西
の方花壇花畑有り種々の草木茂り合、四季の花ひらくこと誠に美
しきなり、折節是山の諸人遙に岳々をめぐり、所々霊験田面に奇
代なる事希有の霊山也」(『山岳宗教史研究叢書16』から)。

 この平城天皇の大同年間の開山というのが本当かどうかにせよ、
湯沢北方の六日町付近には6世紀から8世紀にかかる古墳群も発
見されており、かなり古くから文化も開けていたらしい。

 また「苗場山開闢記」という文書もあります。それには「苗場
山作神守護神と奉称者、人皇四十五代聖武天皇天平丁丑(ひのと
うし)年御草願之地にして、尋も祭神者我勝々命保食(うけもち)
命天児屋根神(あめのこやのかみ)、大己貴命(おおなむちのみこ
と)、猿田彦命、鈿女命(あめのうずめのみこと)、事代主命(こと
しろぬしのみこと)、右七社伊米大神と奉際也。…


 …其後道乃形もなくの處、今年小赤沢村より幸対談之上開闢仕、
五穀十穀萬種津物守護座々須事疑なし。依之伊米大神と奉称候也。
百姓安く穏に観応成就を給也。小千谷社中連印を以、小赤沢村江書
残し置候也。明治九子年第七月、越後国魚沼郡、行者廣井源定儀
(印)、以下先達、世話係など連名」(『山岳宗教史研究叢書17』)。

 この山は、八海山とともに古くから信仰の山だといい、毎年夏
には、苗場山修験講の講中団体登山が行われました。いまでもかつ
て水垢離(みずごり)をとった祓川(はらいかわ)や雷清水、神楽
ヶ峰などの行場名が残っています。

 ところで各地の山々には大男の伝説が残っています。富士山に腰
掛けて東京湾の水で顔を洗ったというダイダラ法師とかデーデッポ
とか呼ばれる怪人。苗場山にもいたらしく、柳田國男は「山の人
生」のなかで「…信州戸隠でも大雨のあと、畑などの土に2,3
尺の足跡のあるのを度々見たといい、越後の苗場山でも雨後に山
上に登れば、長さ尺余の足跡を見ることがあると『越後野志』(え
ちごやし)巻六に書いてある」とあります。大昔は、ここだけで
はなく、あちこちに大男の「足跡」があったようです。

 また苗場山の長野県側山麓の秋山郷は、平家の落人伝説もある
秘境の豪雪地帯。ここは前出の鈴木牧之が『秋山紀行』を著してか
ら一躍有名になった所で、民俗の宝庫といわれています。


 その秋山郷の民話です。「秋山郷は平家の落ち武者が隠れ住んだ
といわれている。いつのころか中津川の岸辺に、恐ろしい化け物
がすみはじめ人々を苦しめた。切り立つ崖の下は、青黒くよどむ
水が妖気をたたえ、「くろどぶ」と呼ばれていまた。

 その崖にぽっかりと口を開けているほら穴があり、そこに身の
丈1丈あまりもあり、髪はあくまで長い女のバケモノがすみつい
た。バケモノは日か月かとみがまうばかりのふたつの目をランラ
ンと光らせて人を襲う。

 人の話によると、越後から山越えしてきた薬売りは、商売道具
の薬箱を放り出し、はいずるように逃げ出したという。また、化
け物に出会うだけで、3日後に死んだものもあるという。これで
は用事があっても上野原村へも大秋山村へも行けたもんじゃない。
人々は大秋山村の主達(おもだち)である福原平右衛門のところ
に押し掛けた。「なんとかしてくんなさろ」。

「……」。そういわれても、福原平右衛門にもよい考えは浮かば
なかった。しかし、われこそは平家の子孫であるという強いプラ
イドがあった。「そうだ、とかげ丸があるではないか。あの刀はト
カゲが近づくや、即座に真っ二つに体が裂けて死んでしまうとい
う名刀だ。これでその「くるどぶのバケモノ」を退治しに行こう」。


 翌日、平右衛門は、とかげ丸を腰に差してバケモノを退治しに
家を出た。しばらく行くと川岸の向こうの洞窟の岩に、うつぶせ
になって長い髪の毛を女がいた。そばへ近づくと、女は髪の毛を
一振りして立ち上がった。とたんに背丈が1丈あまりにも伸びて、
らんらんと光る眼で平右衛門におどりかかってきた。

 「ウワッ、バケモノだ!」。と、その時キラッと光るものが宙を
飛んだ。「ギャーッ」。見ると真っ二つに切り下げられたバケモノ
が中津川の川面に引き込まれていくのが見えた。平右衛門の腰の
刀は、何事もなかったようにさやに収まっていた。念のため引き
抜いてみると、とかげ丸にはべっとりと血がついていた。

 それから数年後、秋山郷は飢饉に見舞われた。作物は実らず、
山の木の実も身をつけなかった。大秋山村はひとり残らず飢えて
死んだ。平右衛門も同じだった。名刀とかげ丸の行方は分からな
い……」。民話は、こんなふうに終わっています。

 秋山にはこんな祝い歌も残っています。「のよさ節」です。「お
らうちの衆は、おらうちの衆は、嫁をとること、ノヨサ忘れたか、
忘れはせぬが、忘れはせぬが、稲の出穂見て、ノヨサ嫁をとる、
嫁とってくれりゃ、嫁とってくれりゃ、一駄刈る草、ノヨサ二駄
狩る、二駄の草も、二駄の草も、鎌はいらない、ノヨサ手でむし
る」。


 また「秋山烏踊り(からすおどり)」もあります。「♪盆踊り、
品(しな)のよいので、小娘が、小娘が、品のよいので、小娘が、
小娘が、袖を引き止め、お泊まりと、お泊まりと、袖を引き止め、
お泊まりと」。なんとも素朴な盆踊り歌ではあります。

 さらに「秋山おけさ」というのもあります。「酒の肴や菜漬けが
よかろナ(ヨイヨイ)、わしとお前がヤーエサーアエ、なずくよに、
さした盃、中見てつがれよ、中に鶴亀、五葉の松……」。

 ある年の6月、上越新幹線・越後湯沢駅方面からスキー場を通
り、最後のリフトを過ぎて3時間足らずで苗場山山頂です。祓川
コース登山道わきの笹薮は、シノダケのタケノコ取りのシーズン
真っ最中で地元の人がにぎやかです。楽しそうな様子に、ついつ
られて竹やぶにもぐり込みます。あったあった。ここにもあそこ
にも。

 こんなあんなで、時間ばかり経ってなかなか先に進めません。
また苗場山近くの雷清水の水を汲んでいたら、遠くで歓声が上が
りました。そばへ行ってみたらシラネアオイの花が群生していま
す。日光とはまた趣が違うすばらしさ。私たちも負けずに歓声を
あげました。

 山頂はまだ残雪が多い。その日は山頂ヒュッテ前の雪の中から
わずかに地面が顔を出したところにテントを張りました。張り終
えたころはすっかり遅くなってしまいました。早速夕食の支度で
す。さっきの採りたてのタケノコの皮をむいてスープに入れまし
た。冷えた体に温かいスープが入っていくのが分かります。これ
だからテント山行はやめられません。何を食べても最高のごちそ
うでありました。


▼苗場山【データ】
【所在地】
・新潟県中魚沼郡津南町(つなんまち)同県南魚沼郡湯沢町と長
野県下水内郡(しもみのちぐん)栄村との境。上越線越後湯沢駅
の西15キロ。上越新幹線越後湯沢駅からタクシー第2リフト町営
駐車場下車、歩いて3時間40分で苗場山。山頂に一等三角点(2
145.3m)と伊米神社、苗場山頂ヒュッテ、遊仙閣がある。

【地図】
・2万5千分の1地形図「苗場山(高田)」

【山行】
・某年6月24日(土・くもり)

▼【参考文献】
・『秋山紀行』鈴木牧之:『鈴木牧之全集・上巻』(宮榮二編)(中央
公論社)1983年(昭和58)
・『角川日本地名大辞典15・新潟県』田中圭一編(角川書店)19
89年(平成1)
・『山岳宗教史研究叢書16・修験道の伝承文化』五記重編 (名著出
版)1981年(昭和56)
・『山岳宗教史研究叢書17』「修験道史料集1・東日本編」五来重編
(名著出版)1983年(昭和58)
・『信州山岳百科・3』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平
成17)
・『新編会津風土記』1809年(文化6)編纂(全120巻):『大
日本地誌大系・新編会津風土記・5』(雄山閣)1933年(昭和
8)
・『鈴木牧之全集・上巻』『北越雪譜』、『秋山紀行』(宮榮二編)(中
央公論社)1983年(昭和58)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成
9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『日本山岳名著全集・2』(日本アルプスと秩父巡礼・田部重治
 山の想い出・小暮理太郎)(あかね書房)1962年(昭和37)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成
9)
・『日本の民俗20・長野』向山雅重(第一法規)1975年(昭和
50)
・『日本の民話7・妖怪と人間』宮本常一ほか監修・松谷みよ子ほ
か編(角川書店)1973年(昭和48)
・『日本歴史地名大系15・新潟の地名』(平凡社)1986年(昭
和61)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2004
年(平成16)
・『山の憶い出』小暮理太郎(『日本山岳名著全集・2』(日本アル
プスと秩父巡礼・田部重治 山の想い出・小暮理太郎)(あかね書
房)1962年(昭和37)
・「山の人生」:『柳田国男全集・4』柳田国男(ちくま文庫)19
89年(昭和64・平成1)

…………………………………………………

【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
……………………………………
 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

山旅通信【ひとり画展】題名一覧へ戻る
………………………………………………………………………………………………
「峠と花と地蔵さんと…」トップページ
【戻る】