山旅通信【伝承と神話の百名山】とよだ 時

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1122号(百伝22)磐梯山「空海と怪物夫婦」

【略文】
会津磐梯山は磐(いわ)の梯(はしご)の山だといいます。磐梯
山には、手長足長という怪物夫婦がすんでいましたが、弘法大師
がやってきて、小さな箱の閉じこめて山頂にまつったそうです。
それがいま山頂に積まれた、岩の間に埋められている磐梯明神の
石碑なのだそうです。
・福島県猪苗代町と磐梯町、北塩原村との境。

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1122号(百伝22)磐梯山「空海と怪物夫婦」

【説明本文】
 ちょっと古いですが、♪笹に黄金がなりさがる…と歌われる福
島県の会津磐梯山(1819m)。その磐梯(ばんだい)とは岩のハシ
ゴだといいます。それも天に達するような磐(いわ)の梯(はし
ご)の意味だそうです。天に達するとは大げさですが、この山は
平安時代初期、大同元(806)年の爆発前の磐梯山は標高2200m
はあったと推測されています。当時、2200mはやはり天に達する
高さだったでしょうね。

 別名を、見方によっては富士山の形に見えるというので会津富
士とか會津嶺(あいづね)というそうです。山頂は360度の展望
で、東を見れば、安達太良連峰、阿武隈の山々が、南には猪苗代
湖や那須連峰、日光連山、そして時には富士山も見られるといい
ます。さらに西方は遠くに飯豊連峰・南会津の山々、近くは猫魔
ヶ岳。北を望めば遠く朝日連峰・月山・鳥海山、眼下には裏磐梯
の湖沼群が指呼のうちです。

 高山植物としては、磐梯山にしか生育しないバンダイクワガタ、
ウスユキソウ、ミヤマキンバイ、ミヤマシャジン、イワインチン、
またハクサンチドリ、エゾオヤマリンドウ、ヤマハタザオなどの
花が見られます。いま山頂にある祠には、神道の皇高天原命とか
かれた石碑がまつられ、もとからの地主神である磐梯明神の石碑
はその下に積まれた石の間にあり、風雨にさらされています。

 この山にも雪形ができます。4月中旬、表磐梯からは虚無僧の
雪形があらわれ、その下にヘビの雪形が出るといい、また頂上東
側斜面には、鉤(かぎ)の雪形があらわれるといいます。虚無僧
雪は、天蓋(てんがい・編み笠)に長着物姿で、尺八まで持って
います。ヘビの尾は竜ヶ沢まで伸びているといいます。南方から
は虚無僧姿でなく牛に見えるので「牛雪」と呼ばれているそうで
す。

 この雪形がはっきりと見えるようになると、苗代(なわしろ)
に種をまいて、農作業を進めるのだそうです。湖南地方では虚無
僧雪を見て種籾をまくという。4月下旬になっても形がはっきり
せず、山肌が一面に真っ白なときは1週間ほど作業を遅らせると
いいます。無理にまいても低温で「苗くされ」になるというので
す(『猪苗代湖南民俗誌』・『東北の山岳信仰』)。

 そもそも磐梯山は、平安時代初期には火山活動が活発で、噴火
の際の岩屑物などの爆発被害で、農作物の不作がつづき、病脳山
(やまうさん)と呼ばれるほど山ろくの村人を困らせていました。
そこへ弘法大師空海がやってきて、民心安定、五穀豊穣を祈願し
たとのことです。

 福島県磐梯町にある「奥州会津恵日寺(慧日寺)縁起」に「磐
梯山、もとは病脳山(やまうさん)とて魔魅(まみ)住み居て常
に祟りをなし農産物を害せり。のみならず山麓に民家あまたあり
しに大同元年、大爆発を起こさせ月輪荘、更科荘が一夜に湖に化
し、溺死者数知れず。この災害を聞きて空海この地に来たりて、
八田野稲荷の森にて秘法を行せしにより、魔魅は別峰烏帽子岳に
逃げ去りぬ。この時山神、形を現しければ空海これを祝いて磐梯
明神と称し、舞楽を奏して明神と名づく」とあります(『新編会津
風土記』による)。

 そんな記述からこんな伝説が残っています。その昔、病脳山(磐
梯山)と明神ヶ岳(1074m・柳津町と会津美里町(旧会津高田
町)?)とに両足を踏ん張って立つような怪物「足長」と、猪苗
代湖の水を手ですくって会津中にばらまく「手長」という夫婦の
怪物がすんでいました。

 この怪物は、いたずら好きの乱暴者で、雲を呼んでは会津一帯
を真っ暗にし嵐を起こすわ、作物を荒らすわで、村人は困り果て
ていたという。そんなとき弘法大師空海がやってきました。大師
は村人の話を聞き、「それはお困りであろう。ひとつ拙僧が何とか
して差し上げよう」と、病脳山の頂上に登って怪物夫婦に会って
問答をしたといいます。

 大師は手長足長に向かい、「お前たちは何でもできると威張って
いるようだが大きくなることができるか」といいいました。怪物
夫婦はあざ笑い、「なにお、それしき」とばかり、見る間に天まで
届く大きさになりました。それを見た大師は「大きくはなれるが、
わしの手の平に乗るような小さくはなれまい」。「何を言う。俺た
ちに出来ないことはない」手長足長は、みるみる小さくなって大
師の手に乗りました。

 大師はすかさず用意していた石の箱に入れふたをして、呪文を
唱え出られなくしてしまいました。「お前たちは、いままでさんざ
ん悪いことをしてきた。本来なら許せぬが、み仏に免じて神とし
て磐梯の山中にまつってやる。これからは、人々のために尽くす
のだぞ」と、石の箱を山頂に埋め、磐梯明神として祭ったといい
ます(『日本伝説大系』)。

 いまでも山頂に積まれた岩の間に、磐梯明神の石碑が埋められ
ています。空海に救われた村人は、山名を磐梯山と改名。山頂の
肩にある弘法清水と空海の大使像は、この伝説がもとになってい
るそうです。

 やがて空海は山麓に恵日寺を創建し、山号を磐梯山としたとい
う。空海がこの寺にとどまること3年、大同5年(平安時代)、徳
一に寺を継がせて京に帰った(「奥州会津恵日寺縁起」)とありま
す。しかし、これについては何の証拠もなく、実際には磐梯山爆
発による災害鎮護のため、空海のあとを継いだとされる徳一上人
が古城ヶ峰南麓磐梯町に恵日寺を建て、磐梯山の神・磐梯明神を
鎮守(磐梯神社は恵日寺のわきにある)としたものだろうという
ことになっています。

 またこんな伝説があります。平安初期噴火以来、11世紀も眠り
つづけてきた福島県の磐梯山が、1888年(明治21)、に突然爆発し
ました。その結果、いまの馬蹄形カルデラができたことは有名で
すよね。ところが、この爆発を予知した男がいるというのです。

 爆発当日の明治21年7月15日、磐梯山の温泉で湯治を楽しんで
いる人たちがいました。しかしその中の1人の男が夕べから何か
考え込んでいます。そして「何か胸騒ぎがする。あしたの朝早く
山を下りると」いうのです。翌朝、男は仲間が「せっかくきたの
に」と、とめるのも聞かず家に帰っていきました。

 ふだんから奇行が目立つため、ほかの人たちは「またいつもの
くせがはじまった」と気にもとめませんでした。が、その後朝飯
を炊いていると、山の鳥やキツネ、ウサギが麓に向かって一斉に
移動をはじめたのです。不安になった一行は急きょ山を下りるこ
とにしました。いまのJR磐越西線翁島駅近くまできたころ、大
音響とともに小磐梯山が吹っ飛び、北麓の集落は埋没し461人もの
死者を出してしまいました。

 その結果、岩屑流で裏磐梯にたくさんの沼や湖ができていまし
た。あとになって仲間たちは男にすがりつくようにして「お前の
おかげで助かった」と涙を流して喜び合ったということです。こ
の地震を予知した男は、福島県湖南の秋山(いまの郡山市福良)
に住む遠藤幾太郎という人だったそうです。幾太郎はよく「稲荷
の神憑き」になる人だったとありますが、なんとも不思議な話で
すね。

 ある年の10月、磐梯山は紅葉がまっ盛り。裏磐梯五色沼近くの
キャンプ場にテントを張りっぱなしにして、五色の沼の色をめで
ながらスキー場から磐梯山に登りました。茶色になって白煙をは
き、キツイ硫黄の臭いを嗅ぎながら、登山道わきの赤く熟したグ
ミを摘んで口に運びます。中ノ湯あたりから地元中学生の集団登
山と出くわしました。

 ワイワイガヤガヤ、歩いている登山道のを子どもたちが追い抜
いてうっとうしい。弘法清水小屋前はそのほかの登山者も混じっ
てそれこそ芋を洗うようです。それからは道も一段と細くなり、
押すな押すなのにぎやかさになってしまいました。山頂へ登る階
段は順番待ちの列。足長どころか「くび長」になるありさまでし
た。

▼磐梯山【データ】
【所在地】
・福島県猪苗代町と磐梯町、北塩原村との境。磐越西線猪苗代駅
の北西7キロ。JR磐越西線猪苗代駅からバス、磐梯高原駅から
歩いて4時間20分で会津磐梯山。三等三角点(1818.6m)と皇高
天原命の石碑、磐梯明神の石碑がある。

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・等三角点:北緯37度36分03.49秒、東経140度04分20.06秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「磐梯山(福島)」

【山行】
・某年10月19日(土・晴れ)

▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典7・福島県』小林清治ほか編(角川書店)
1981年(昭和56)
・『山岳宗教史研究叢書7・東北霊山と修験道』月光善弘編 (名著
出版)1977年(昭和52)
・『山岳宗教史研究叢書17』(修験道史料集・1)五木重編(名著
出版)1983年(昭和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『新編会津風土記』:大日本地誌大系(第31)『新会津風土記2』
(雄山閣)1932年(昭和7)
・『新編会津風土記』:大日本地誌大系(第32)『新編会津風土記・
三』(雄山閣)1932年(昭和7)
・『東北の山岳信仰』岩崎敏夫(岩崎美術社)1996年(平成8)
・『日本伝奇伝説大事典』編者・乾勝己ほか(角川書店)1990年(平
成2)
・『日本伝説大系第三巻・南奥羽・越後編』(山形・福島・新潟)
野村純一ほか(みずうみ書房)1982年(昭和57)
・『日本歴史地名大系・7』(福島県の地名)(平凡社)1993年(平
成5)
・『山の紋章・雪形』田淵行男著(学習研究社)1981年(昭和56)

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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