山旅通信【伝承と神話の百名山】とよだ 時

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▼1121号(百伝21)安達太良山「安達ヶ原の鬼婆」

【説明略文】
安達太良山はその形から別名乳首山。山ろくの安達ヶ原は、鬼婆
で有名なところです。二本松市大平、天台宗真弓山観世寺には、
鬼婆がすんだ岩屋や、鬼婆を葬ったという黒塚、また鬼婆の使っ
た小刀や出刃包丁などが残っています。
・福島県二本松市、大玉村、郡山市と猪苗代町との境。

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▼1121号(百伝21)安達太良山「安達ヶ原の鬼婆」

【説明本文】
 福島県の安達太良山(あだたらやま・1700m)の山頂には、小さ
な石祠と、八紘一宇(はっこういちう)という文字を彫った碑が
建っています。石の祠は、かつてこの山の神をまつっていた祠。
いまはふもとの本宮(もとみや)町に引っ越し、安達太良神社に
なっています。また碑の方の八紘とは、四方と四隅、一宇はひと
つの屋根。世界をひとつの家にする意味で、『日本書紀』をもとに
してつくった、世界を統一しようとする標語だそうです。戦時中
盛んに言いはやされた言葉です。

 さて安達太良山というのは、もともとは標高1700mの山のみを
いっていました。しかし、いまは、これを主峰とした火山群の総
称をいうことが多いようです。火山群とは、北から鬼面山(きめん)
・箕輪山(みのわ)・鉄山(くろがね)・安達太良山・和尚山(おし
ょう)などがならぶ連山のこと。

 主峰の安達太良山山頂は郡山市に属し、連峰とすそ野は、二本松
市・安達郡大玉村・郡山市・福島市・耶麻郡猪苗代町にまたがって
います。主峰の安達太良山は、その形から別名乳首山とも呼ばれ
ています。二本松市などから眺めるとなるほどとうなずける山容
です。

 山名の「アダタラ」とは「安達郡一番(太郎)の山」の意味、
また「製鉄のタタラ」や、アイヌ語で「乳の意味のアタタ」から
きたなどの由来説がありますがはっきりしません。別名も多く、
奈良時代には安太多良の嶺(みね)、平安時代には安達嶺、その他、
甑(こしき)明神山、岳山、西岳、安達山などなど。

 この安達太良山山頂にある祠には、かつては安多羅大明神(甑(こ
しき)明神)という神がまつられていました。この神は、飯豊別(気)
神(いいとよわけのかみ)ともいい、長く山頂にまつられていまし
たが、平安時代に、南ろくの本宮町菅森に移され、安達太良神社と
していまもまつられています。

 この話に関しては、明治時代に書かれた地誌『安達郡誌』の嶽
下村の項に、「主峰を甑(こしき)明神と呼び、……方俗二本松嶽
・西嶽・安達嶽・安達太良峰・嶽山・又太華ともいへり。……。
日の極めて晴れたらん折りは尾上より富士山見ゆといへり。郷社
安達太良神社 市街に連なる菅森山と称する丘上に在り、……往
古より甑(こしき)明神と称し奉りて安達が嶺に鎮座ありしが、
平安時代の安久元年(久安の間違い。2年とも3年とも)四月朔
本目村菅森山なるいまの社地に遷座し奉る。時に村名を改めて本
宮と称す」とあり、村の名を本目村から本宮村に変えたとありま
す。

 祭神は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かん
むすびのかみ)、飯豊別(和気)神(いいでわけのかみ)、陽日湯泉
神(ようじつゆぜんのかみ・温泉の神)、大刀自神(おおとじのか
み)という、日本最初からの神々などそうそうたるメンバーなので
あります。その後、ほかの皇霊2神を合祀(ごうし)し、安達太良
明神(三社明神)と呼んでいます。

 また山岳仏教での「岳山駈け」も行われ、勢至平、弥陀ヶ原、
梵字石、僧悟台、薬師岳などという場所も残っています。山ろく
の大玉村の相応寺の記録には、「岳山は往古より相応寺一山境内之
場所」とあり、安達太良山は寺の境内であるとしています。

 安達太良というと必ずで出てくるのが、高村光太郎の「智恵子抄」。
その中に収録された「樹下の二人」。「安多多羅山、あの光るのが阿
武隈川、…」、狂気の妻への思いを詠んだ詩集は有名です。『万葉集』
にも歌われています。その「巻十四」に「安達太良ヶ嶺に臥す鹿猪
(しし)のありつつも吾は到らむ寝処な去りそね」(安太多良山に
宿る獣のように、私はいつまでもお前を訪れるから寝所をかえない
よう)があります。

 安達太良山にも雪形が出ます。春、安達郡の本宮(もとみや)地
方から見ると、山の中腹の残雪が人の形になってあらわれます。こ
れを「粟まき法師」といい、この形が出ると村人は粟をまいたのだ
そうです。「粟」というところがいかにも昔風です。

 安達といえば安達ヶ原の鬼婆の話を思い出します。福島県二本松
市安達ヶ原に天台宗のお寺、真弓山観世寺があります。そこには
昔、鬼婆が住んでいた岩屋や、鬼婆の墓の黒塚、鬼婆の使ったと
いう「小刀」や「出刃包丁」などが保存されています。ここの鬼
婆が人を喰らう話の内容です。

 「昔、京都の公家の環の宮(たまきのみや)という姫君の養育
にあたっていた乳母の岩手(いわて)は、姫君の病を治すため、
都を離れて奥州安達ヶ原の岩屋に住み、姫君へ与えるための「生
ぎも」を探し求めていた。ある晩秋の夕刻、木枯らしのなか、伊
駒之助(いこまのすけ)と恋衣(こいぎぬ)という旅の夫婦がき
て、ひと晩泊まることになった。その晩、恋衣が産気づき、生駒
之助は薬を求めて出かけていった。それをみた老婆岩手は、出刃
包丁で恋衣の腹を裂いて、生ぎもを取ってしまった。その時、恋
衣は苦しい息の下で、「私は親を探して歩いていたが、ついに会え
なかった」と語った。

 岩手(いわて)が、恋衣のお守り袋を開けてみると、それは自
分の娘であった。驚き狂った岩手は、ついに鬼になった。それか
らというもの、岩手は、人の生血を吸い、肉を喰らう安達ヶ原の
鬼婆になってしまった。それから数年、ある日紀州熊野から東光
坊祐慶(ゆうけい)という坊さんがやってきて、この岩屋に宿泊
した。老婆は「薪を取りに行ってくる。が、決して奧の寝間を見
てはいかんゾ」と言い残して出ていった。

 そういわれると、なお見たくなる。そっとのぞいてみると、中
は人骨の山。「さればこれこそ、世に聞く安達ヶ原の鬼婆」。旅の
僧は、大急ぎで逃げ出したが、戻ってきた鬼婆はものすごい勢い
で追いかけてきた。旅僧は笈(おい)の中から、如意輪観音(に
ょいにんかんのん)の像をおろし、呪文を唱えた。すると観音像
は天高く舞い上がって、真弓を使って鬼婆を射ち取ったという(『日
本伝説大系3』)。

 安達ヶ原の鬼婆の話は、京でも有名だったらしく、「三十六歌仙」
のひとり、平兼盛(たいらのかねもり)も、「みちのくの安達ケ原
の黒塚に 鬼こもれりと聞くはまことか」と歌っています。この
山も暴れ山です。有史以後、1899〜1900年に沼ノ平火口から噴火
が続きました。とくに1900年(明治33)7月の大爆発は、火口の
硫黄鉱山の従業員83人中、死者72人、負傷者10人、不明1人と
いうすさまじさ。鉱山は全滅。いまでも福島地方気象台が、常時火
山観測中という。

 ある年の4月、安達太良山は大吹雪に見舞われました。向かい
風に乗ったタクシーの前がフワッともち上がるほどです。やっと
の思いで奥岳温泉へ着きました。当初宿泊予定のくろがね小屋ま
でなんてトテモトテモの状態なのです。急きょ宿泊をお願いした
奥岳温泉の主人も「明日の結婚披露宴がキャンセルされた」と大
なげき。

 しかし翌日はカラッと上がった晴天に、エビノシッポを見なが
らルンルン気分で登ります。山頂は360度の大展望。「あれが磐梯
山、あの光るのが猪苗代湖……」。なるほど近くに見えます。展望
を楽しんでの帰り、五葉松平の雪はもうぬかりはじめ、大きなフ
キノトウが大きな顔をして日光浴をしていました。



▼安達太良山【データ】
【所在地】
・福島県二本松市、大玉村、郡山市と猪苗代町との境。東北本線
二本松駅の西14キロ。JR東北本線二本松駅からバス、奥岳温泉
から3時間で安達太良山。二等三角点(1699.6m)がある。

【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
・二等三角点:北緯37度37分16.03秒、東経140度17分16.35秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「安達太良山(福島)」

▼【山行】
・某年4月11日(日曜日・快晴)


▼【参考文献】
・『安達郡誌』:安達郡(安達郡役所)明治44年(1911)。国会図
書館デジタルコレクション。
・『角川日本地名大辞典7・福島県』小林清治ほか編(角川書店)1981
年(昭和56)
・『神社辞典』白井永二ほか(東京堂出版)1986年(昭和61)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『山岳宗教史研究叢書7』(東北霊山と修験道)月光善弘(がっ
こうよしひろ)編 (名著出版)1977年(昭和52)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本伝説大系3・南奥羽・越後』(山形・福島・新潟)大迫徳
行ほか(みずうみ書房)1982年(昭和57)
・『日本歴史地名大系・福島県』(平凡社)1993年(平成5)
・『名山の文化史』高橋千劔破(河出書房新社)2007年(平成19)

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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