山旅通信【伝承と神話の百名山】とよだ 時

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▼1116号(百伝16) 月山「月山と出羽三山」

【略文】
夏スキーで知られた月山。山頂にある月山神社に月読之命がまつら
れているのが山名の由来だという。羽黒山、湯殿山と出羽三山の中
でも一番古くから崇められていた山だそうです。仏ヶ原、弥陀ヶ原
には高山植物が咲き乱れ、とくに山頂付近のクロユリの群生は見事
です。
・山形県鶴岡市(旧東田川郡羽黒町)と東田川郡庄内町(旧立川
町)と西村山郡西川町との境。

▼1116号(百伝16) 月山「月山と出羽三山」

【説明本文】
 各地の町や村を歩いていると神社やお寺に出羽三山の石碑が目に
つきます。これは三山講が参拝記念として供養塔を建てたもの。東
北や関東、新潟、長野県に分布しており、とくに千葉県下総地方で
盛んで最近でも行っていると聞きます。


 私の生まれた千葉県八千代市にもたくさん出羽三山の供養塔が建
っていました。学校の帰りに、ヤマブドウやガマズミなどをほおば
りながら、塔のまわりでよく遊んだものでした。

 出羽三山は、月山を中心に羽黒山、湯殿山の総称ですが、山らし
きものは月山だけです。羽黒山は月山のふもとの出羽丘陵の頂で、
湯殿山は月山山腹の崖から湧く温泉を神としています。このうち最
初に信仰されたのは月山だそうです。


 奈良時代の宝亀4年(773)には神封(じんぷ・神社に対して寄
進された封戸・ふこ)二戸を寄せられ、貞観6年(864)2月、出
羽国正四位上勲六等月山神は従三位に叙せられたといいます。


 同18年8月正三位を授けられ、元慶2年(878)7月には鳥海山
の大物忌(おおものいみ)の神ともに神封を2戸加増され、翌8月
には勲四等に進められたとものの本にあります。


 また平安時代の『延喜式神名帳』(養老律令に対する施行細則を
集大成した古代法典)には、飽海郡(田川郡ではなく)の明神大社
として、鳥海山の大物忌(おおものいみ)神社と月山神社が記載さ
れているそうです。そんなむずかしい話はともかく、それだけ月山
は重要視されていたわけです。


 羽黒山と湯殿山が有名にはじめたのは平安時代からだという。と
くに交通路に恵まれ、里にも近い羽黒山が優位にたつようになった
といいます。それはともかく、月山は、農業の神の月読之命(つき
よみのみこと・月読尊とも)をまつったことにからという。


 異名を犂牛山(くろうしやま)、臥牛山(がぎゅうざん)といい、
遠くから見るとウシが寝た形に似ていることに由来しています。そ
の首にあたるところが牛首。柴灯森、姥ヶ岳と下って、装束場から
月光坂を少し登ったところにあるのが湯殿山です。


 月山は万年雪が多く夏スキー場として有名です。山頂に月山神社
があり、祭神の月読之命は神話の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が
黄泉(よみ)の国に行ったとき、変わり果てた妻の姿を見て逃げて
きて、日向(ひむか)の橘の小門(おど)の阿波岐原(あわぎはら)
でけがれを洗い流します。


 その時、右の目を洗い清めたとき生まれた神で、五穀豊穣、海上
安全、家内安全にご利益があるそうです。月山神社の近くに1等三
角点があり標高は1979.8mですが、その南にあるのが最高点1984
mの標高点です。


 月山神社と同名の神社は各地にあります。月読之命をまつってあ
るだけに月山8合目月山神社の中之宮(中之宮神社)のこま犬はお
使いのウサギです。なるほど、なるほど。


 この三山を開山したのは蜂子皇子(はちこのみこ)という人だと
いう。この人は仙人でもあり、天狗でもあるそうです。羽黒山にあ
る羽黒神社とならんで建っている開山堂などに蜂子皇子の像がまつ
ってあります。


 像をみると法衣をまとった姿はしていますが、まるで仙人や天狗、
はたまた山姥、なかには神農、即身仏、オオカミ(山ノ神)を擬人
化したものだという人もいるほどの奇怪な形をしています。


 そもそも蜂子皇子は第32代崇峻(すしゅん)天皇(在位587〜
592)の皇子だといいます(『日本書紀』巻第21崇峻天皇の項)。室
町時代に羽黒修驗者が書いたとされる『羽黒山縁起』によると「蜂
子皇子は崇峻天皇の第三皇子(※第1子。第3子はいない)で参弗
(払)理大臣(さんふりのおとど)と呼ばれ、容貌魁偉であった」
とあります。


 さらに「崇峻天皇五年(592)に父帝が蘇我馬子に弑逆(しぎゃ
く)されると、皇子は出家して弘海(こうかい)と号し、聖徳太子
の教えに従って観音湧出の霊地に向った。皇子は羽の長さ8尺もあ
る三本足の霊烏(カラス)の導きで、羽黒山に登り、途中の杉の大
木の下で3年間修行した」とあります。そのカラスの黒い羽から羽
黒山の名があるという。


 修行中、土地の猟師・隆待次郎(たかまちじろう)と出会い、国
司の腰痛の治療を頼まれました。修行中であるからと断りましたが、
たっての願いにそれではと国司の家に向かいました。ところが家に
着く前に、国司の家から出火、国司があわてて逃げ出したとたんに
腰痛がなおってしまったという。


 そして能除が到着すると焼けてしまったはずの家がもとのまま建
っていたというのです。それからは能除の不思議な力が人々を次々
と救ったため、能除太子とか能除仙と呼ばれたということです。


 その後、役行者(えんのぎょうじゃ)が羽黒山に来て、能除の秘
法を学んで、奈良に帰り金峰山(きんぷせん)を開き、大峰修験の
祖になったともいいます。(しかしこれは中世以降、羽黒修験が権
威づけのためにつくりだした話だという人もいます)。


 山頂近くの行者返しの坂は、その役行者が月山に登ろうとここま
できたとき、月山神が現れて「この山に登るなら、荒沢の常火塔で
身を浄めてまいるがよい」と戒められ、行者は引き返しいわれたと
おり行をしてから改めて登ったところだという。


 また、江戸中期の宝永7年(1710)成立の『羽黒月山湯殿三山雅集』
(野衲東水選)には「崇峻天皇第三ノ皇子(本当は第1子)、一名
参弗(払)理(さんふり)、形質頗ル募荒ノ相タルニ依テ、北海ノ
浜ニ放ツ。然ルニ太子直チニ仏門ニ帰シ、詣テ聖徳太子ヲ師トシ、
以テ薙髪(ていはつ・剃髪)染衣ス。法名弘海(こうかい)、性勇
猛ニシテ偏(ひと)エニ凌雲ノ志有リ…」うんぬんとあります。


 つまり、蜂子皇子は崇峻帝の皇子で、参弗(払)理といっていま
したが、顔が醜く全身毛むじゃらの姿だったので、北海の浜に捨て
られたというのです。北海の浜というのは、若狭(いまの福井県の
西南部)か丹後(いまの京都府の北部)の浜あたりだとか。


 しかし太子はすぐさま出家、聖徳太子の弟子になって、弘海とい
う法名を与えられ、羽黒に登って3年間、藤の皮を綴った衣を着て、
木の実を食として修行したという記事もあります。


 江戸中時代の元禄2年(1689)6月(いまの暦で7月下旬)、羽
黒山経由で月山に登った松尾芭蕉は、『おくのほそ道』(元禄15年
(1702年)刊)で「八日、月山にのぼる。木綿(ゆふ)しめ身に
引(ひき)かけ、宝冠(ほうくわん)に頭を包(つつみ)、強力(が
うりき)と云(いふ)ものに道びかれて、雲霧(うんむ)山気(さ
んき)の中に氷雪を踏(ふみ)てのぼる事八里…」と記し、「雲の
峰幾つ崩(くずれ)て月の山」の句を残しています。


 月山は、仏ヶ原、弥陀ヶ原に咲くオゼコウホネ、ミヤマキンバイ、
ハクサンイチゲやチングルマなどの群落、山頂付近のクロユリの群
生は見事です。8月はじめ、バスで月山8合目まで登り、残雪を横
目に月山を目指しました。


 行者返し坂近く、お年寄りの先達が大勢の白装束に身を固めた信
者たちを案内して登っています。「ここが胸突き八丁だからね…」
と、まるで自分に言い聞かせるようにつぶやきながら杖を頼りに歩
く姿が印象的でした。


▼月山【データ】
【所在地】
・山形県鶴岡市(旧東田川郡羽黒町)と東田川郡庄内町(旧立川
町)と西村山郡西川町との境。JR羽越本線鶴岡駅からバス、月
山8合目停留所下車、さらに歩いて2時間20分で月山。1等三角
点(1979.8m)と、写真測量による標高点(1984m)と、月山神
社がある。
【ご利益】
・月山神社:五穀豊穣、農耕神、航海漁労
【名山】
・「日本百名山」(深田久弥選定):第16番選定(日本二百名山、
日本三百名山にも含まれる)
・「新日本百名山」(岩崎元郎選定):第19番選定
・「花の百名山」(田中澄江選定・1981年):第24番選定
・「新・花の百名山」(田中澄江選定・1995年):第25番選定
【位置】
・月山神社:北緯38度32分54.74秒、東経140度1分36.89秒
・標高点:北緯38度32分56.89秒、東経140度1分37.08秒
・三角点:北緯38度32分58.03秒、東経140度1分37.31秒
【地図】
・旧2万5千分1地形図名:月山

▼【参考文献】
・『おくのほそ道』松尾芭蕉。元禄15年(1702年)刊:『おくのほ
そ道』(岩波文庫)荻原恭男(やすお)校注(岩波書店)1993年(平
成5)
・『古代山岳信仰遺跡の研究』大和久震平(しんぺい)著(名著出
版)1990年(平成2)
・『修験道辞典』宮家準(東京堂出版)1991年(平成3)
・『全国神社仏閣御利益小事典』現代神仏研究会編(燃焼社)1993
年(平成5)
・『仙人の研究』知切光歳著(大陸書房)1989年(昭和64・平成1)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『羽黒山縁起』(室町時代に羽黒修驗の著述)
・『羽黒月山湯殿三山雅集』(野衲東水選)宝永7年(1710)成立
・「歴史と旅」臨時増刊号(秋田書店)1994年(平成6)

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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