山旅通信【伝承と神話の百名山】とよだ 時

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1111-(百伝010)八甲田「八つの神田」

【説明略文】
「雪中行軍」の悲劇で有名になった八甲田山。8つの峰と、高層湿
原、池塘を「神の田」、「耕田」、「高田」から八甲田、甲(かぶと)
などの説。東岳と八甲田山が山争いで八甲田は東岳の首をはねまし
た。首は西に飛んで行き、岩木山の肩のコブになった。それで東岳
の山頂が平らだという。
・青森県。

【説明本文】は下段にあります。

1111-(百伝010)八甲田「八つの神田」

【本文】
 青森県の八甲田山といえば、明治35年(1902)の凍死者1
97名、「雪中行軍」の悲劇が有名です。この事件を主題として、
作家・新田次郎が『八甲田山死の彷徨』を書きました。1977
年(昭和52)にはこれが映画化されます。そのテレビコマーシャ
ルの「天は我らを見放した」は流行語にもなりました。

 以前の観光案内書には八甲田山は、八つの甲(かぶと)のよう
な峰と湿原地帯に小さな田んぼのような無数の池があることから
の総称と説明されています。このようにいろいろな説があるよう
ですが、8つの峰と、低地に発達する高層湿原、池塘を田とみな
して「神の田」、「耕田」、「高田」から八甲田になったという。ま
た「八」は、萢(やち・谷地)で、湿原をさす言葉だとするもの
もあります。

 なかには、「八」の峰を具体的に挙げ、「山踉(さんろう)豊大
にして(中略)山峰八に別る。前岳高倉岳こほれ岳井戸岳釜伏山
小川の大嶽砂岳と云(中略)甲田又高田に作る。八耕田とは八峰
あるよりの名なる」(明治初年の『新撰陸奥国誌』)と記す文書も
あります。しかし、一峰足らないようですが、ま、それはそれで
まいりましょう。

 この山は金山伝説もあるようです。江戸時代後期の旅行家で文
人、生涯の大半を東北地方の旅に過ごし、八甲田山にも登った菅
江真澄(すがえますみ)という人がいます。真澄は、青森市から
八甲田山を仰ぎ見て、ふと『万葉集』に出てくる「黄金花咲く小
田なる山」はこの山ではないかと思いました。

 「黄金花咲く小田なる山」とは、『万葉集』第18巻 4094番歌に
ある、陸奥国に金を出す詔書を賀す歌一首、并(あわせ)せて短
歌(大伴家持)「鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に 黄
金ありと 申したまへれ」という歌。これは、聖武天皇の天平21
年(749)、陸奥国からはじめて黄金が献上された時の歌だそうで
す。

 しかし、八甲田山から金が採れたという史実は確認できないた
め、この歌は宮城県の金花山(金華山)とするのが一般的でした。
だがだが、しかし、金花(華)山は島であり、小田山であるはず
はありません。また、江戸後期1786年(天明6)の『津軽俗説選』
(工藤白竜(工藤常政)著)にも、「八耕田(甲岳)むかしは金山
なり。今も金を分けし道具、麓の村里に所持せしものありといへ
り」とあるのです。

 真澄は、実際に八甲田山に登ってみました。その時のことを、
随筆「筆のまにまに」には次のように書いています。「渓水を渡れ
ば氷のごとくみな月寒し(6月なのに寒い)。山沢の水の中に金研
臼(カネスリウス)といふもの、大石小石にて作りたるがいくつ
となくまろびあひ埋もれたり。…

 …これを見てもそのいにしへ黄金(くがね)掘りし山はうたが
ふべくもあらじ(疑いない)。耕田(クワウタ)は小田(コウタ)
の訛にて小田なる山にこそあらめ。……(小田(おだ)は小田(こ
うた)で耕田のことであり、こここそ、みちのくの黄金花咲く山
に違いない)」と書いています。

 しかし、この話はやはり間違いらしく、調べるうちに真澄も次第
に自身がなくなり晩年になりはっきり、誤りだったと悟りました。
そこで最後に「すみかの山」を改訂し、その部分を書きかえたので
した。……残念無念。

 八甲田山にはこんな伝説もあります。青森市街から見ると、東
方向に東岳(あずまだけ・標高684m)が、南東方向に八甲田
山が、また南西方向に岩木山が眺められます。見ると東岳の頂上
が平らで兜状になっています。そんなことから昔、東岳と八甲田
山が山争いをしたという伝説が生まれました。八甲田は東岳の首
をはねました。東岳の首は西の方向に飛んで行き、岩木山の肩に
めりこみ、コブになってしまいました。それで東岳の山頂が平ら
なのだそうです。

 また、八甲田山と岩木山が喧嘩をしました。そのとばっちりを
受けた東岳は、首を飛ばされて雲谷峠になったという伝説もありま
す。(この伝説については岩木山の項にあります)。

 八甲田山にも雪形が出ます。『東遊記』という本に「この峰に種
蒔老翁、蟹このはさみ、牛の頭、などという春の残雪が見える。雪
もやや消えてゆき、苗代を蒔くころになると、山にたねまきおっこ、
といって残雪が人の立っている姿に見え、そしてかにこのはさみに
見えるころ田をかきならし、うしのくびに見えるころ、早苗をとっ
て植える」と書いています。

 ここもチングルマ、ハクサンシャクナゲ、ミネザクラ、チシマ
ザクラ、マルバシモツケ、ゴゼンタチバナ、ウサギギク、ミヤマ
オダマキ、シナノキンバイなどの高山植物が登山者を楽しませて
くれます。また、北八甲田連峰には高層湿原ならではの貴重なト
ンボもが多く生息しています。顔が白いカオジロトンボ、るり色
で美しいルリイトトンボほか、オオルリボシヤンマなども見られ
ます。深田久弥選定『日本百名山』、岩崎元郎選定『新日本百名山』、
田中澄江選定『新・花の百名山』のひとつになっています。

▼八甲田山(八甲田大岳)【データ】
★【所在地】
・青森県青森市。東北本線青森駅の南東22キロ。・JR東北本線青
森駅から市営バス、1時間15分で八甲田ロープウエイ駅。ロープウ
エイ山頂公園駅から2時間半で大岳。一等三角点(1584.50m)と
がある。
★【地図】
・2万5千分1地形図名:八甲田山


▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典2・青森県』竹内理三ほか編(角川書店)
1991年(平成3)
・『コンサイス日本山名辞典』徳久珠雄編(三省堂)1979年(昭
和54)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平
成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成
9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成
9)
・『日本山名事典』徳。久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系2・青森県の地名』虎尾俊哉ほか(平凡社)
1982年(昭和57)
・『名山の日本史」高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2004
年(平成16)
・『山の紋章・雪形』田淵行男著(学習研究社)1981年(昭和56)

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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