山旅通信【伝承と神話の百名山】とよだ 時

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1107号-【百伝07】十勝岳 「コロボックル伝説」

【略文】
利尻山は、島そのものがひとつの山になっていて、その美しい姿
から利尻富士とも呼ばれています。沓形岬公園には作詞家、時雨
音羽の「ドンとドンとドンと波のり越えて…」(『出船の港』)の歌
碑もあります。ここにはなぜか熊やマムシなどのヘビ類がいない
という。
・北海道利尻町と利尻富士町との境。

1107号-(百伝07)十勝岳 「コロボックル伝説」

【本文】
 北海道・十勝岳は新得町と美瑛(びえい)町、上富良野町にまた
がる十勝岳連峰の主峰。この連峰は十勝岳を中心とするランクAの
活火山といいます。十勝岳の十勝についてその意味の説がいくつか
あります。

 まず、アイヌ語で「トカプチ」、または「トカプ」などの言葉が
変化したものとされ、「乾いた」とか「焼けた」または「突き出た」
などの意味がある(『新日本山岳誌』)とするもの。また十勝岳は、
アイヌ語ではポロシリとも呼ばれ、「大山あるいは親山」の意味で、
アイヌの崇めるお山である(『日本三百名山』)とするもの。

 またまた、アイヌ語のトカプウシ(乳房のあるところ)に由来す
る(『日本山名事典』)とするもの。さらには、アイヌ語のツカプ・
チ「幽霊→強暴」の意からきていて(『日本山岳ルーツ大辞典』)、
十勝アイチは強暴だったと伝えられている、などなどがあります。
十勝岳登山の基点となる望岳台まではタクシーが入ります。ここか
らの眺めは、十勝連峰が一望できます。

 また高山植物は、春から夏のかけては、キバナシャクナゲ、コマ
クサ、リンドウ、イワヒゲ、コケモモ、アオノツガザクラなどが咲
き乱れ、氷河時代の生き残りとされるナキウサギ、またエゾリスや
シマリス、キタキツネなどの小動物がみられます。山頂からは十勝
連峰の山々、大雪山の山なみも見渡せます。


 十勝のコロボックルの伝説です。昔有珠山(うすざん・洞爺湖カ
ルデラ外輪山の上にできた活火山)のふもとに「カナメ」というア
イヌの一族が住んでいました。ある時、有珠岳が大爆発、一族はや
っと十勝の国に逃げることができました。そして「シベ」という土
地に定住します。シベとは「鮭」のことです。

 そこは名前の通り鮭がよく捕れる住みやすいところでした。その
ころから夜中になると村中の家の枕元に、誰かが川魚を2〜3尾ず
つおいていくという不思議なことが起こりました。サピンノトクと
いう若者がある夜、その正体を確かめようと待ち伏せました。

 夜中になると白い小さな手が川魚を3尾、戸のすき間からさし入
れてきました。若者はすかさずその手を捕まえ、家の中に引き入れ
てみると、身長が30センチほどのコロポックルの娘でした。唇や
手の甲に入れ墨をしてあります。早速彼女を酋長の家に連れて行き、
いろいろ訊ねましたが、女性はただ泣くだけで何も答えません。

 一方、コロポックルは女性がいなくなったこと知り、酋長の家に
集まりました。そしてみんなでシベの部落に押しかけて、コロポッ
クルの女性を奪い返しました。彼女は酋長の娘でした。その時、コ
ロポックルの人たちは怨みをこめて、「アイヌの者どもには、呪わ
れて若死を。早く年をとり鬚(ひげ)も白くなり、鮭の焼けこげる
ように苦しむ死を」という呪いの言葉を投げかけました。


 それからはここをシベ(鮭)という地名から、トカプチ(鮭が焼
けこげる意味)と呼ぶようになったということです。実際にその呪
いのためなのか、カナメ一族はほどなく死に絶えてしまったという
ことです。いまいる十勝アイヌの人たちは、その後になって、石狩
や、北見、釧路地方から移住してきた人たちの子孫なのだそうです。

 コロポックルとは、フキの下にいる人という意味で、声がしてて
も小さくて形が見えません。そしてアイヌが漁をしようとすると、
先回りして魚を捕ってしまったり、捕っておいた魚を盗むといいま
す。また家にやってきて魚をくれといい、与えないと仕返するとい
うような部族だったらしい。

 いまアイヌの人たちが入れ墨をするようになったのは、コロポッ
クルのマネからはじまったらしい。ある日、ひとりの男が、窓から
魚を盗もうとするの手を見つけ捕まえました。みるとコロポックル
の何ともいえない美人でした。しかし食事をひとつも口にせず、彼
女はとうとう死んでしまったのです。

 それを期にコロポックル族は、ハタと姿を消してしまいました。
が、アイヌ族の女性たちはコロポックルの女性の手や唇の入れ墨が、
あまりに美しかったため、それをマネするものが増え、次第にみん
なが入れ墨をするようになったという(『日本の民俗1』)。


 この山は、コニーデ型の活火山(成層火山とも呼ばれ、円すい型
の姿)だそうです。噴煙が高く昇っているのが1962年火口で、真
ん中に大正火口(1926年(昭和元)爆発)、その左側に昭和火口(1927
年(昭和2)大爆発)。なかでも1926年(昭和元)の爆発は壮烈で、
吹き出た泥流が熱と泥の山津波になって山ろくの上富良野町を襲い
ました。

 十勝岳の登山口になっている望岳台(ぼうがくだい)の泥流スロ
ープはその名残です。また1962年(昭和37)に起きた大爆発は、
北海道東部の一帯に火山灰を降らせ、噴煙はナント13000mもの高
さにおよび、熱気による電光なども呼んだそうです。

 北海道の山の探検記といえば、松浦武四郎が有名ですが、ここ十
勝岳の探検史は松田市太郎という人にはじまるという。江戸時代後
期の安政2年(1855)、函館奉行堀織部正が石狩川上流から北見ま
での本道開発を幕府に具申しました。

 これが契機となり、当時、石狩詰めの足軽だった松田市太郎に、
石狩川水源調査の命が下りました。安政4年(1857)の3月から4
月にかけての50数日間、当地ではまだ厳冬のころ十勝岳を踏破し
たという。


▼十勝岳【データ】
【所在地】
・北海道新得町と美瑛(びえい)町、上富良野町にまたがる。J
R富良野線美瑛駅からバス、白金温泉下車、タクシー(30分、6800
円)で望岳台。さらに歩いて4時間45分でさ十勝岳。写真測量に
よる標高点(2077m)がある。

【名山】
・「日本百名山」(深田久弥選定):第7番選定(日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる)
・「花の百名山」(田中澄江選定・1981年):第7番選定

【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から
・十勝岳標高点:北緯43度25分2.9秒、東経142度41分2.59秒

【地図】
・2万5千分1地形図名:十勝岳


▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典1・北海道(上)』(角川書店)1991年(平
成3)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系1・北海道の地名』高倉新一郎ほか(平凡社)
2003年(平成15)

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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