山旅通信【伝承と神話の百名山】とよだ 時

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1106号-(百伝06)トムラウシ山「金の延べ棒とシントコ」

【略文】
北海道のヘソともいわれるトムラウシ山は、東側が源流のトンラウ
シ川(トムラウシ川)からきた名だそうです。「トンラウシ」とは、
アイヌ語で「水あかが多くヌルヌルした所」という意味。一説に「花
の多いところ」の意味だとする説もあるそうです。ここには秋田藩
の「金の延べ棒」の埋蔵伝説も残っています。
・北海道美瑛町と新得町との境。

1106号-(百伝06)トムラウシ山「金の延べ棒とシントコ」

【本文】
 トムラウシ山は、大雪山の南にそびえ、洪積世(こうせきせい)
というから、はじめて人類が出現したころにできたという、トロイ
カ型の独立火山だといいます。よくわかりませんが、とにかくスゴ
イ。北海道のヘソとともいわれるこの山は、頂上に大きな岩が幾重
にも積み重なり、山上湖やロックガーデンも広がっています。山頂
には一等三角点があり、溶岩礫におおわれ、岩場の付近では「ピチ
ッ、ピチッ」というナキウサギの声も聞かれます。

 山名は、この山の東側が源流になっているトンラウシ川(トムラ
ウシ川)からきた名だそうです。「トンラウシ」とは、アイヌ語で
「水あかが多くヌルヌルした所」という意味。水あかのもとは、こ
のあたりにあちこちに湧き出ている硫黄泉の温泉湯のためらしい。
また、一説に「花の多いところ」の意味だとする説もあるそうです
が、この山も高山植物が咲き乱れます。

 頂上のトムラウシ公園には、エゾツガザクラやハクサンイチゲ、
またキバナシャクナゲなどのお花畑が広がっています。湿地帯には
雪渓があり、池塘も散在します。この山は昔は「戸村牛」とか「富
村牛」とも書いたそうです。なるほど「とむらうし」か。河西郡芽
室町(めむろ)にも同名の山があるそうですが、これは余計なはな
し。山頂からは表大雪の山々も遠望できます。

 さて、一般的にトムラウシ山へ登るのは新得町側がその基地にな
っています。しかしかつては大雪山旭岳の南西ろくの柱状節理の大
岸壁のあることで有名な天人峡温泉から登ったそうです。このコー
スは「大雪山・クワウンナイ川遡行」として人気の沢登りの場所。
とくに「魚止めの滝」上部から始まる「滝ノ瀬十三丁」は、いくつ
もの滝を高巻きしながら進み、舗装したような滑床を約1.5キロも
歩けるところ。


 1920年(大正9)の夏に、大正から昭和初期にかけての登山家
・作家の大島亮吉(りょうきち)も、この川を遡行し、この景色を
見て「この明媚で秀麗なまるで南宋画にあるようなこの景図」と感
嘆したそうです。しかし遭難事故が多発してから、いまは熟達者の
同行を義務づけられているそうです。1960年(昭和35)年代に、
南ろくの新得町側で道路を造成、トムラウシ温泉を開設してから、
トムラウシ温泉が登山基地になっています。そこにはトムラウシ温
泉神社の祠があり、毎年新得町長や山岳会、森林組合、町内会など
が出席して「登山安全祈願祭」が行われます。

 トムラウシには「秋田藩の金の延べ棒」埋蔵伝説があるといいま
す。秋田戦争(慶応4年(1868)・秋田庄内戊辰戦争とも)で莫大
な費用を使い、秋田藩は財政が悪化していました。明治2年(1869)、
藩はやむを得ず、明治政府の私鋳貨幣通用禁止令にそむき、藩で独
自の貨幣を造りはじめました。

 ところがこれを密告した者がいました。すわ一大事、近々政府の
監督使がやってきて、鋳造の金を没収されるに違いない。そこで秋
田藩はかつて領地があった北海道の、それも奥地の十勝川上流に、
金の延べ棒を隠すことに決めました。ただ、いまは真冬の真っただ
中、十勝川をさかのぼるのは命がけです。それでも藩士たちはわが
藩の一大事と、やっと埋蔵場所の洞窟の横穴を見つけ、金の延べ棒
を入れた箱を隠しました。

 そこは絶壁に囲まれたその名も「トムラウシの函」というところ。
しかしそこは毒性の強い亜硫酸ガスが吹き出す危険な場所だったの
です。ガス中毒を起こした藩士たちは次々に倒れていきました。藩
士たちがいなくなったいま、隠した場所は不明となってしまったま
までした。太平洋戦争後になって、地元の町民がトムラウシ山に登
り、山小屋の古老からはじめてこの話を聞きました。


 埋蔵額は金の延べ棒5箱、金額にして約30億円だということで
す。これは誰でも興味がわきます。その話を聞き、地元の新得町が
観光協会や地元山岳会、一般応募者らとともに1982(昭和57)年、
「トムラウシ洞窟探検隊」を組織して探索を行いました。しかし残
念ながらいくら探しても金の延べ棒の入った箱は見つからなかった
ということです。

 さらにこんな別の伝説も残っています。新得町の名前の元はシン
トコ(行器・ほかい)が由来だったといいます。行器(ほかい)と
は、食物を持ち歩くための器のことだそうです。昔、十勝のアイヌ
が昔、日高にシントコを買いに行った帰り、いまの「新得」の所ま
で来た時、日が暮れてしまい、野宿をすることになってしまいまし
た。このあたりには大蛇がすんでいるとのうわさがあるため、買っ
てきたシントコを頭にかぶって寝ました。夜中になったころ、かぶ
っているシントコの「バリ、バリ」という音が頭全体に響きます。

 飛び起きてみると、大蛇が容器をくわえています。シントコごと
飲もうとしていたのです。そこでアイヌの男は、山刀を抜いて当た
るを幸いに振りまわし、蛇をズタズタに切り裂きました。そのこと
があってから、その場所をシントコというようになりました。やが
て和人が入植するようになりいまの町の名前の「新得」と当て字す
るようになったということです(ほかにも説あり)。


▼トムラウシ山【データ】
【所在地】
・北海道上川支庁美瑛町(びえいちょう)と十勝支庁上川郡新得町
(しんとくちょう)との境。JR根室本線新得駅下車。タクシーで
トムラウシ短縮コース登山口(1時間30分くらい)。6時間30分
でトムラウシ山。一等三角点(2141.2m)がある。

【位置】(電子国土ポータル)
・北緯:43度31分37秒.、東経142度50分55秒

【地図】
・2万5千分の1地形図:トムラウシ山。

▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典1・北海道上巻』編(角川書店)1991年(平
成3)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系1・北海道の地名』高倉新一郎ほか(平凡社)
2003年(平成15)

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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