山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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1089号南アルプス光岳・光る岩と伝説

【略文】
夕陽に映えてテカテカ光る山。村人はその山を「テカ
リ岳」と呼んだのが山名の由来。また山ろくの井川地
区には力自慢の男のはなし、甲斐武田勢にも負けなか
った海野七郎太郎と、七郎三郎という兄弟の伝説があ
ります。南ろく寸又峡の「落ちない大石」は、受験生や
高所作業者などの守り神としてまつられています。
・静岡県川根本町と静岡市葵区と、長野県飯田市との境。

1089号南アルプス光岳・光る岩と伝説

【本文】
 光岳(てかりだけ)は静岡県と長野県の境にあり、山
頂には三等三角点が建っています。ここは一般的な登山
対象の山としては、南アルプスの最南端の山とされてい
ます。東ろくは静岡県葵区(三角点は入らない)、南ろ
くは同県川根本町、西ろくは長野県飯田市。天竜川の支
流の遠山川の易老沢や、大井川の支流の寸又川の源流に
あたります。

 別称を三隅岳といい、近世までは信濃・駿河・三河の
三国境だったそうです。山頂は東西に細長く、三角点が
ある2591m地点はシラビソやトウヒなどの樹林の中で見
晴らしがありません。登山記録としては、明治45(1912)
年、中村清太郎が光岳に登頂、北へ赤石岳まで縦走した
のが最初の記録だそうです。

 「てかり岳」とは妙な名前ですが、三角点の西南にあ
る乳白色の大きな石灰岩からきているといいます。その
岩は大きな石灰岩がレンズ状に入った巨岩で、遠州側に
向かって白いザラザラな岩峰が断崖になっています。そ
れが夕日を受けると、「テカッ」と白く光ります。山ろ
くや池口岳山頂などから見るとよく目立ち、猟師たち
はその岩を光岩と呼んでいたそうです。

 その後、陸地測量部の測量官が測量に登った時、この
山を「光岳」と命名したといいます。テカリ岩の周辺は、
チョウノスケソウの群落や、南アルプス固有種とされる
ミヤマムラサキの群落でお花畑になっています。これら
の高山植物は両方ともここが南限地だそうですから貴重
です。

 光岳はハイマツ群落の南限地でもあるそうです。山頂
から南斜面にかけて広がるハイマツの群落の中には、人
間の背丈より高く伸びたものも多くあります。しかし普
通のマツのように直立せず、傾斜しながら育つハイマツ
としての性質は残しているそうです。ここはまた、ハイ
マツ帯をすみかにしるライチョウの南限生息地でもある
というから恐れ多くなってきます。

 テカリ岩の上からは展望がよく、南アルプスの「深南
部」の山々が望めます。さて、南アルプス赤石岳から南
下し、聖(ひじり)岳、上河内(かみこうち)岳、茶臼
岳を経て、光岳を目指します。西側長野県飯田市の登山
口、易老度(いろうど)からの登山道を合わせた易老(い
ろう)岳に着き、一休み。

 易老岳とは、石廊(石の廊下)の意で、この山中には
石の回廊のような所があるといいがどこにあるかはまだ
確認していません。かつては、東側山ろく静岡県葵区井
川集落から塩や魚介類を背負って、この山を越えて長野
県側遠山谷へ運んだという。昔の人はすごいものです。

 さらにしばらく進むと静高平(しずこうだいら)。や
や平らになっており、ハイマツが絨毯のように覆ってい
ます。ここは、1935年(昭和10)に旧制静岡高等学校の
山岳部「静高山岳部」が、登ったことを記念して命名し
たということです。やがて広々とした草原のセンジヶ原。
二重山稜に亀甲状土が見られます。そこを東に入ったと
ころが2540mのイザルヶ岳です。笊(ざる)のことを信
州の方言で「イザル」といい、なだらかな山の形が笊を
伏せたようにみえるからその名があるそうです。

 さて、光岳の山ろくにはいくつかの伝説があります。
先ず静岡県側井川集落の伝説です。その昔、井川村田代
地区(いまの静岡県静岡市葵区井川地区田代集落)に、
手者万九(てしゃまんく)という力自慢の男がいました。
こどもの時から力自慢で、山へ薪を採りに行っても、大
きな木を素手でゆらしながら枝を折り、たちまち薪の山
ができたそうです。

 力も自慢なら足も自慢で、大日峠を越えて日帰りで、
駿府(すんぷ・静岡市)まで買い物に行ってきたといい
ます。ある日、手者万九(てしゃまんく)が買い物をし
て、大きな荷物を背負い、静岡浅間神社・長谷通り側の
石鳥居の前を歩いていました。大勢の職人が神社の鳥居
を組み立てています。しかし石の材料が重すぎて動かず
大騒ぎをしています。

 困っている石工たちを見て怪力男はもどかしく思って
いましたが、とうとう「ちょっとオレが動かしてやる」。
見る見るうちにひとりで石の柱を持ち上げ、なんなく鳥
居を組み立ててしまいました。あっけにとられている石
工たちや神社の宮司たち。しかし鳥居は真っ直ぐではな
く少し左に傾いて建ててしまいました。

 そのためいまでも静岡浅間神社の長谷通り側の鳥居は
少し曲がっているのだそうです。この怪力男・手者万九
(てしゃまんく)の墓が田代集落にあり、近くに「てし
ゃまんくの里」というおでん、てまんしゃくの「力豆餅」
などが名物になっているそうです。

 もうひとつ、井川集落岩崎地区の伝説です。昔、この
里に海野七郎太郎と、七郎三郎という兄弟がいました。
弟の七郎三郎は兄以上に剛力でした。時は戦国時代、こ
のふたりは甲斐武田勢が兵を向けても屈しませんでし
た。

 そこで武田は、村人をそそのかして山に深いカモシカ
の落とし穴をつくらせました。村人は剛力の弟七郎三郎
をあざむいて、落とし穴に落とし、大きな石を投げ入れ
て殺しました。弟を討ち取ったので、武田は兄を捕らえ
ることができました。兄弟は清水の江尻の浜でさらし首
にされてしまいました。

 それからというもの井川集落岩崎の里に、七郎三郎の
怨霊の祟りが続きました。恐れた村人は祠を建てて兄弟
をねんごろに供養しました。それが井川大橋を渡った対
岸の八幡神社のはじまりだということです。

 さて光岳の南ろくの川根本町には寸又峡(すまたきょ
う)温泉があります。そこに伝わる話です。ある時、光
岳に住む天狗が、ふもとの寸又峡の小高い山にある神社
の大石に降り立ちました。大石の上からあたりを見渡す
と、ここには畑がなく食べ物もろくにありません。その
うえ寒々としており、貧しい土地でした。

 そこで天狗は大年神(オオトシノカミ・穀物の神)に、
五穀(米・麦・粟・黍・稗)を持参するようにお願いし
ました。神様から五穀がもたらされ、大きな石の上に開
けてみると、穀物は大石の上に山のように盛られ、神社
も外まであふれ広がりました。こうしてこの集落も安心
して暮らせる所になりました。このことからこの山を「外
守山」と呼ぶようになったといいます。

 そして天狗が降り立った大石は、いまも不安定なまま
崖っぷちにとどまっています。この「落ちない大石」は、
神社のご神体として崇められ、いまでは、落ちないこと
を願う人々(受験生や高所作業者など)の守り神として
まつられています。ちなみに寸又峡の外森神社の祭神は、
大歳神(オオトシノカミ・穀物神)と誉田別尊(ホムタ
ワケノミコト・軍神八幡神)としています。

 さらに西ろくの長野県飯田市の伝説です。昔ある猟師
が、光岳南西の池口岳で野宿をして夜が明けるのを待っ
ていました。すると連れてきた犬が、やかましく吠えた
てます。いくら止めようとしても暴れて止みません。猟
師はとうとう腹を立て、犬の首を山刀で切り落としてし
まいました。

 犬の首は暗闇の中を飛んでいったかと思うと、大きな
地響きがして何か落ちてきました。見ると大蛇で、その
首には噛みついたままの犬の首がくっついていました。
犬は猟師を助けるために吠えていたのです。

 猟師はつくづく後悔しました。そして山のふもとに社
を建て、ねんごろに犬の霊をまつりました。いまも長野
県飯田市南信濃和田下大島集落の道ばたに犬神様(犬
公神)として残っています。

 ある年の8月、赤石岳から南下、光岳を目指しました。
光小屋前の広場が幕営地なっていました。ザックをテン
場に置き、光岩を往復。明日はムギウネホツを下り柴沢
小屋跡の吊り橋を渡り、寸又川左岸林道を寸又峡まで行
く予定です。あしたは早い。

 早々にテントを張り夕食をすませ、シュラフの中へ
もぐります。その晩は「シノつく」ような大雨。朝2
時に起床したときには満天の星が光っています。きょ
うの寸又峡までの長い林道歩きもさい先良さそうです。
歩き出してから4時間の下り。林道につくころにはジ
リジリの暑さ。

 ここから砂利道を37キロ、人っ子一人いない道をた
だひたすら歩きます。所々の道路わきに温泉までの距
離板が建てられています。途中でカモシカに出会い、
滝があれば頭から水をかぶり、足にマメが出来そうに
なれば早めに靴を脱ぎ、テーピングのテープをべった
り貼ります。やっと寸又峡に着き、テントを張ったの
は薄暗くなりはじめてからでした。

 すると隣のテントの家族連れから「これから準備する
のは大変でしょう」と、夕飯を誘ってくれたのです。…
…。焚き火を囲んでのあの時の夕餉はいまも忘れられま
せん。ただ寸又川左岸林道はその後の台風被害でいまも
歩けるのでしょうか。


▼光岳【データ】
◎【所在地】
・静岡県榛原(はいばら)郡川根本町(三角点入る)と
静岡市葵区(旧安倍郡井川村・光小屋、イザルヶ岳が入
る・三角点は入っていない)と、長野県飯田市(長野県
下伊那郡南信濃村・三角点入る)との境。・畑薙第一ダ
ムから歩いて13時間で光岳。さらに進むと光石。三等
三角点(2591.1m)がある。

◎【位置】(電子国土ポータル)
・三角点:北緯35度20分17.41秒、東経138度05分01.55


◎【地図】
・2万5千分の1地形図「光岳(甲府)」or「池口岳(静
岡)」(2図葉名と重なる)

◎【山行】
・某年8月6日(土)


▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角
川書店)1990年(平成2)
・『角川日本地名大辞典22・静岡県』小和田哲男ほか編
(角川書店)1982年(昭和57)
・『世界の植物』(朝日新聞社)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005
年(平成17)
・『信州山岳百科2』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭
和58)
・『信州百名山』清水栄一(桐原書店)1990年(平成2)
・『日本山岳風土記2・中央・南アルプス』(宝文館)1
960年(昭和35)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年
(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年
(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平
成16)
・日本の伝説3『信州の伝説』朝川欣一ほか(角川書
店)1976年(昭和51)
・日本の伝説30『静岡の伝説』武田静澄ほか(角川書店)
1978年(昭和53)
・『日本歴史地名大系22・静岡県の地名』若林淳之ほか
(平凡社)2000年(平成12)年

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】制作室
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