山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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1088号長野県・霧ヶ峰車山の伝説

【略文】
霧ヶ峰は車山を中心に広がる大草原。山ろくには、
白樺湖と美ヶ原を結ぶビーナスラインが通っていま
す。冬はスキー、また日本のグライダー発祥の地にさ
れています。とくにニッコウキスゲの大群落は名物。
旧跡として旧御射山遺跡があります。最高峰の車山
を中心に背の高い天狗のような大男の伝説がありま
す。
・長野県諏訪市と同県茅野市、下諏訪町との境。

1088号長野県・霧ヶ峰車山の伝説

【説明本文】
 いつだったか、南アルプス前衛入笠山の牧場内を案内されたとき、
管理人さんが霧ヶ峰を指し、「毎年この時期になると、ニッコウキ
スゲで黄色に染まるんだ」。見るとこんなところからでも山全体が
黄色に見えます。なるほど霧ヶ峰はニッコウキスゲの名所に違いあ
りません。霧ヶ峰はあの『日本百名山』では62番目に取り上げら
れています。

 霧ヶ峰は中央本線上諏訪駅の北東10キロほどにある最高峰車山
(1925m)を中心とする、標高1600から1800mのだだっ広い草
原です。山ろくには、白樺湖と美ヶ原を結ぶビーナスラインが通
っています。冬はスキーのゲレンデとして賑わい、またグライダ
ーの練習場として、日本のグライダー発祥の地だとされています。

 霧ヶ峰最高峰の車山は、諏訪湖方面からみると大八車の形に見
えるのが山名の由来とか。山頂は展望がよく、蓼科山から八ヶ岳、
富士山、また南アルプスや中央アルプス、北アルプス、美ヶ原、さ
らに戸隠、妙高、上信越の山々、菅平までが見えます。記録の上で
の「霧ヶ峰」の名は、江戸後期の「信濃国一円并(ならびに)筑摩
郡五千石之絵図」という絵図にすでに載っているといいます。


 ここは、草地が約3千ヘクタールと広大なため、昔から境界論
争・入会権論争が絶えませんでした。なかでも元禄6年(1693・江
戸時代)から3年間の上桑原村(現諏訪市)と北大塩村(現茅野市)
との論争は激しいものでした。長引く論争にかかる費用を捻出する
ため、両村では縄をなって草履をつくって売ってまでこれに当てた
話も残っています。

 霧ヶ峰は名前のように霧が多く、1963年(昭和38)のように、
1年間に293日も霧が発生した年もあるほどです。この高原には、
八島ヶ原や踊場、それと車山との3つの高層湿原があって、その湿
原植物群落は国の天然記念物になっています。この湿原のうち、最
も大きいのは八島ヶ原湿原。

 湿原の泥炭層の厚さが8mもあるところがあり、できるのに約1
万年もかかるらしいといいます。その八島ヶ原湿原のなかに八島ヶ
池、鬼泉水、鎌ヶ池などの池があります。さらに八島ヶ池にはいく
つもの浮島があり、「七島八島」ともいうそうです。

▼高山植物
 植物群落として国の天然記念物になっているほどの湿原地帯に
は、数百種もの草木が生えているといわれ、とくにニッコウキスゲ
の大群落は名物になっています。そのほか、レンゲツツジ、マツム
シソウ、ミヤマリンドウ、イブキトラノオ、ワタスゲヤナギランな
ど5月から10月ごろにかけて咲き乱れます。

▼山火事
 こんな草原で山火事があったといいます。2013年(平成25)の
春、下草、雑木などを焼く野焼きの火が燃え移り延焼、154ヘクタ
ールを焼失しました。また2023年(令和05)の5月には、車山南
方のガボッチョ山山頂付近から出火。ビーナスラインを越えて霧ヶ
峰高原に燃え広がり9万平方m以上も消失したといいます。こんな
こともあるんですねえ。

▼【旧跡】旧御射山と【黒曜石】
 さて霧ヶ峰の旧跡として、ビーナスライン観音橋付近には旧御射
山(もとみさやま)遺跡があり、近くに諏訪大社があります。ここ
は諏訪大社下社の祭祀(さいし)の跡。平安時代から江戸時代まで、
御射山神事が行われたところで、江戸時代の元禄年間(1688〜1704)
に富部村(とんべ・現下諏訪町)の北方に御射山祭場を移すまで、
大社の祭典を行ったところです。山の斜面には、観覧席とおぼしき
階段のような桟敷跡まで残されています。県指定の史跡になってい
ます。この地域から出る黒曜石は、石器の原料として東北地方へ、
また南は近畿地方まで運ばれていたといいます。


▼【伝説】
 霧ヶ峰にはこんな伝説があります。上諏訪岡村の太郎兵衛とい
う家の婆さんが、ある日、霧ヶ峰の山すそに薪取りに行き、薪を
切っていると、背の高い天狗のような人があらわれました。また
天狗かと思うかも知れませんが、山と天狗は切り離せないのでご容
赦を。天狗はこの手紙を向こうの山の天狗に届けてくれといいま
す。アワワ、婆さんは口も利けずにただふるえていると、「薪はお
れが集めておく。そして目をつむれば向こうの山へちょいと行け
るようにしてやる」。

 婆さんがいわれた通り目をつむると、スーッと体が軽くなり、
空中に舞い上がったように感じました。やがて足が地面についた
ので目を開けてみると、目の前に向こうの山の天狗が立っている
ではありませんか。「ご苦労!」と天狗は婆さんから手紙を受け取
り読んでいます。そしてまた同じように目をつむるようにいわれ、
もとの所へ戻されました。そこにはさっきの薪が、ねじ切られて
山になって積み上げられてありました。

 そしてもとの天狗があらわれ、妙ことを婆さんにいいました。「さ
っきの手紙は、お前の家のある上諏訪の町を焼いて火の海にする
から、向山の天狗に見物に来いと書いたんだ。だが、婆さんの家
はよけてやったから安心しな。嘘かどうか、家に帰ってみてみろ」。
婆さんがあわてて帰ってみて婆さんは腰を抜かしました。天狗が
いったとおり村は丸焼けで、婆さんの家だけが残っています。婆
さんの家には、いまでも天狗がねじり切って束ねたような薪が、
そっくり残されているということです。


 これは車山の天狗伝説です。岡谷(いまの岡谷市)に「仁兵」
という若い木こりが住んでいました。仁兵は囲碁が好きで、弁当に
も碁石に見たて、白黒の豆をおかずにするほどでした。ある日、カ
ラスが大好きな白黒豆の弁当を盗み車山の方に逃げて行きました。
仁兵があわてて追いかけ、息を切らして車山まで来ると、そこには
カラスと天狗が、弁当に入っていた白黒の豆で碁を打っています。

 仁兵は碁を見るとつい夢中になって、順番での仲間に加わり時間
を忘れてしまいました。そしていつのまにか、現世では3年もの月
日が流れてしまいました。さて、仁兵の実家では、仁兵を行方不明
者として扱い葬式を出すことになりました。かねてから婚約者だっ
た「おかね」も隣の村に嫁入りが決まりました。婚礼の当日になり、
それに気づいた仁兵は大慌てで村に戻りました。

 戻ってきた仁兵の姿を見て村人はびっくり仰天、みんな恐れおの
のいています。なんと、仁兵は天狗になっていたのでした。天狗の
仁兵は、いきなり赤い布を花嫁のおかねが乗る駕篭にかけると、空
へ舞い上がり山の方へ飛び去りました。仁兵天狗が姿を消したので
ホットした村人が、花嫁駕篭を開けてみると、そこには白黒の豆が
数粒残っていただけでした(『中部地方の炉辺伝説』)。


 八島ヶ原湿原のなかにある池に、「鬼泉水」というのがあります。
昔、この湿原の西の東俣(下諏訪町)に、それはそれは美しい、「か
きつばた」という少女がいました。また、池のはるか南側の尾根に、
りりしい若者「山彦」が住んでいたそうです。ある日のこと、この
ふたりがおのおの湿原の池に散歩に出かけました。すると池のまわ
りに白くたち込めていた霧が突然晴れ、ふたりはバッタリ出会った
のです。

 少女「かきつばた」は、若者のたくましい姿にポーッとし、若者
「山彦」は、天女のような美しい少女に一目惚れしてしまいました。
しかし、ふたりともいままで自分の本当の姿を見たことがありませ
んでした。ちょうどそばに池があります。山彦が池をそっとのぞき
ました。ちょうどその時、車山の方から風が吹いてきて、池の水面
にさざ波がたちました。

 波で水面がゆがみ、醜く恐ろしい鬼のような姿が映っていました。
びっくりし落ち込んだ山彦は、車山の谷の岩かげにかくれてしまい
ました。次ぎに、かきつばたがのぞきました。そこには自分でもほ
れぼれするような美しい姿が映っています。その時風はソヨリとも
していなかったのです。自分で自分の姿に見とれてしまったかきつ
ばた。


 そのまま池のほとりで、紫の花をつけるカキツバタになってしま
いました。この時からこの池で谷の方に向かい「オーイ」と呼ぶと、
山彦が「オーイ」と返事はしますが、山彦は姿を隠したままになって
しまいました。この小さな池は、その後「鬼泉水」と名づけられ、い
までも変わらずに透き通るような水をたたえています。

 また川の増水を知らせてくれた天狗話もあります。柏原(いま
の茅野市柏原地区)の百姓「茂衛門」とう人は無口で働き者でした。
長梅雨で増水していた音無川(車山東ろくから白樺湖につながる川)
・車沢川(車山スキー場へ突き上げている沢か)を渡った先の車山
で、馬のための草刈りをしていました。するとだれかが自分の名前
を呼んでいます。

 そして声はだんだん大きくなってきます。茂衛門は薄気味悪くな
って家に帰ることにしました。車沢川に戻ると、水がいつになく激
しく増していて、茂衛門が車沢川を渡った瞬間、橋が流されてしま
いました。茂衛門はいまでもあの声は天狗さまに違いないと思って
いるそうです。柏原には天狗をまつった祠がたくさんあり、車沢の
上流にもそのひとつがあるということです。


 そのほか、天狗にさらわれた少女「おはん」の話があります。
さらに高島藩の牛山壮士という侍が、鬼泉水のとなりの鎌ヶ池に
鴨猟にでかけ、小屋の中で天井から部屋いっぱいになるような、で
っかい天狗の足が垂れ下がってきた話や、横川山の坊主岩付近で、
平野村(いまの岡谷市)の中兵衛らが草刈りに行って、天狗の匂
いのしみた草を馬にやったら、馬がぜんぜん食わなかったなどと
いう、天狗ばなしもあります。

▼【神社】
 霧ヶ峰最高峰の車山には車山神社という小さな社があり、ふもと
の諏訪大社の御柱祭の年の9月には、ここでも小宮御柱祭が開催さ
れるそうです。まつられる神は大山津見神と建御名方神。大山津見
神(オオヤマツミノカミ)はコノハナサクヤヒメのお父さん。建御
名方神(タケミナカタノカミ)は『古事記』に出てくる神。国譲り
の時タケミカヅチノカミと戦った神で、ふもとの諏訪大社にまつら
れています。

 また霧ヶ峰IC南西グライダー滑空場近くにも薙鎌(なぎがま)
神社という社があります。これは霧ヶ峰にスキー場ができ、また日
本のグライダー発祥の地となったのを記念して、1933年(昭和8)
発起人の「霧ヶ峰文化の会」が建立したものとか。祭神は車山神社
と同じ建御名方神と大山?大神(オオヤマツミノカミ・『日本書紀』
の表現)、それに、八岐大蛇伝説に登場するクシナダヒメ(奇稲田
姫命)の親の夫婦神のアシナヅチ・テナヅチ(脚摩乳・手摩乳)だ
ということです。


▼霧ヶ峰最高峰車山【データ】
【所在地】
・長野県諏訪市と同県茅野市、同県諏訪郡下諏訪町(合併せず)
下諏訪町との境。中央本線上諏訪駅の北東10キロ。JR中央本線
上諏訪駅からバス霧ヶ峰最高峰車山。二等三角点(停止【再設】)
(1925.0m)がある。

【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
・三角点:北緯36度06分10.78秒、東経138度11分47.76秒

【地図】国土地理院「基準点成果等閲覧サービス」から検索
・2万5千分の1地形図「霧ヶ峰(長野)」



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野県の地名』市川健夫ほか編(角川
書店)1990年(平成2)
・『山岳宗教史研究叢書9』(富士・御嶽と中部霊山)鈴木昭英編
(名著出版)1978年(昭和53)
・『山岳宗教史研究叢書16・修験道の伝承文化』五記重編 (名著
出版)1981年(昭和56)
・『白樺湖―白樺湖のあゆみ―』白樺湖編集委員会編(甲陽書房)1973
年(昭和48)
・『信州山岳百科2』(信濃毎日新聞社)1983年(昭和58)
・『信州の民話伝説集成 南信編』宮下和男(一草舎出版)2005年
(平成17)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚天狗列伝・東日本編』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭
和52)
・『中部地方の炉辺伝説 巻の六 車山の天狗』(豆本)柴田ヤ之助
(みちかた工房)1971年(昭和46年)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系20・長野県の地名』(平凡社)1979年(昭和54)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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