山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

……………………………………

1085号東北八幡平・秋田県側の伝説

【説明略文】
八幡平は大火山高原で温泉があちこちにあります。山頂から西側(鹿
角市側)のふけの湯は子宝の湯として有名。また後生掛温泉には一
人の男に後生を掛け、沸き上がる大噴湯に身を投げたふたりの女性
の物語の「オナメ(愛人)・モトメ(本妻)伝説」、鹿角市八幡平小
豆沢には、トンボに教えられた泉のお陰で長者になった「だんぶり
長者」の伝説などがあります。
・岩手県八幡平市と、秋田県鹿角市、仙北市との境。

1085号東北八幡平・秋田県側の伝説

【説明本文】

 八幡平(はちまんたい)は、奥羽山脈に連なる大火山高原で、岩

手県安代町、松尾町、秋田県鹿角市(かづのし)、仙北市田沢湖(旧

仙北郡田沢湖町)にまたがっています。いちばん高い所は八幡沼近

の標高1613mのピーク。奥羽山脈に連なる大火山高原で、八幡沼

は日本唯一のアスピーテ火山火口湖として有名だそうです。



こんなところですから、温泉があちこちにあり、岩手県側には藤七

(とうしち)・草ノ湯・安比(あっぴ)などの温泉が、秋田県側に

は熊沢川やその支流域に蒸ノ湯(ふけのゆ)、大深(おおぶか)、後

生掛(ごしょがけ)、大沼などの温泉があります。



 ところでここの山の名は八幡平(たい)です。この「平=たい」

は「岱(たい)」であると、よく説明されます。ところが、この岱

という漢字は、もとは代山(たいざん)で、泰山のことらしいので

す。もとは中国歴代の皇帝が登った貴く大きな山の意でしたが、岱

は転じて偉大な山という義になったといいます。となると八幡平が

八幡岱のことだというのは、あやしくなります。



 「茫洋とした八幡平は、岩手山や鳥海山のような高く大きな山と

は思えない」。八幡は、もとは「やわた」と読んでいたものを、八

幡の字を当てたことで「はちまん」になったともいいます。「やわ

た」の「やわ」は柔らかいの意味らしい。「た」は場所をあらわす

といい、「やわた」は柔らかいところなのだそうです。なるほど、

八幡平のような高原湿原は、柔らかい所だワナ。そうなると平(た

い)は、やはり「たいら」で、ここは八幡平(やわただいら)にな

ります(『名山の民俗史』)。



 それはともかく、江戸時代、いまの岩手県側から秋田県側へ抜け

た、「沼宮内通絵図」(元文5年・1740)という記録があります。大

更村(おおぶけ)(現八幡平市旧西根町各地区名)の秋田御境古人

という人が、安永3年(1774)4月5日から9日にかけて歩いたも

の。それによると、「六日寄木村未明ニ出立、西北ヲ指テ行(く)

事四塚斗、ところ道御座候、夫(れ)より先キハ、大深山ニテ三塚

半程道代無之、柴・地竹ヲ分(け)テ半塚斗余ニ深山登リ、堅雪ニ

而歩行安ク、そね崩数ヶ所越(え)テ、漸々七ツ頃湯小屋場江(へ)

着……」とあり、薮こぎや崩壊地を苦労をしながら歩いたことが出

ています。



 この山も伝説がたくさんあります。その@【オナメ・モトメ伝説】

:オナメとは愛人のことで、モトメとは本妻のことだといいます。

八幡平アスピーテラインを、頂上のバス停を越えて鹿角市に入ると

あらわれる温泉のなかに、後生掛(ごしょがけ)温泉があります。

ここに伝わる「オナメ・モトメ伝説」です。この温泉の地獄谷には、

熱湯と蒸気がすさまじい噴出口がふたつ、競い合うようにしてなら

んであります。



 江戸時代中期のこと、いまの岩手県雫石から、秋田県の生保内(お

ぼない)方面に荷物を運ぶ、喜平という牛方(うしかた)がいまし

た。ある時喜平は、仙岩峠(せんがんとうげ・雫石町と秋田県仙北

市・標高895m)に差しかかった時、追いはぎに襲われました。深

い傷を負った喜平は、後生掛の湯までたどりつき、ここで養生する

ことになりました。



 ある日ひとりの巡礼娘が、ここにたどり着きました。親の供養で

恐山や仏ヶ浦を回まわって帰りでした。ちょうど喜平が、露天風呂

で全身傷だらけの体を休めているところいるところでした。あまり

の痛ましさに放っておけず、看病や世話をするようになりました。

そのお陰か喜平に元気が戻り、ふたりは夫婦になり喜平は夏は牛方、

冬はマタギをして幸せに暮らしていました。



 ところが喜平には故郷の岩手の雫石(久慈とも)に妻がいたので

す。妻は帰らない夫を心配しながら探し歩き、人づてに後生掛の温

泉いることを知り訪ねてきました。しかしそこには仲睦まじく暮らして

いるふたりの姿があったのです。雫石から来た妻は、夫がすでに娘

に心を移していることを知ると、大いに悲しんで、近くの熱湯噴出す

る大湯沼(※後生掛温泉の南側にある)に飛び込んでしまいました。



 一方、何も知らなかった娘も、人の夫を奪った罪の深さを悔いて、

あとを追うように身を投げてしまいました。その時突然ドーンと、

大音響とともに新たにふたつの噴泉が出現しました。それ以来、ふ

たつの噴泉は、競い合うように「ゴボー、ゴボー、ゴー」という不

気味な音を立てて、熱湯を噴出し続けています。



 喜平も罪障(ざいしょう)の深さと前世の悪縁(あくえん)を払

うように、二人の女の後生を弔いつづけたということです。そんな

ことから、ふたつの大噴泉を「オナメ、モトメ」と名づけ、地名を

「後生掛」というようになったということです。



そのA【だんぶり長者】:昔、出羽国(北秋田郡)独鈷(とっこ)

村(いまの大館市比内町独鈷)に、気だての優しい美しい娘が住ん

でいました。ある夜夢に老婆が現れ、「汝の夫になるべき男はこの

川(いまの米代川)の上流の小豆沢という所にいる。そこへ訪ねて

行き結婚せよ」という。娘は川上の小豆沢村(いまの鹿角市八幡平

小豆沢)に行き結婚、仲睦まじく住んでいました。



 ある年の元旦、夢にふたたび老婆が現れて「われは大日神霊なり。

汝さらに川上に行きて住むならば有徳の人となるべし。われはこの

地に鎮座して人民を守護するなり」とのお告げを受けました。素直

な夫婦は、お告げ通りこの場所に土壇をつくって大日神をまつり、

自分たちは米代川の上流の田山村(いまの岩手県安代町田山)の奧

の平間田という所に移り、田畑を耕して仲良く暮らしていました。



 ある日、野良仕事で疲れた男がウツラウツラしていたとき、岩か

げからトンボ(方言ではだんぶり)が男の鼻に2,3度尾を触れま

した。目をさました男は、「夢のなかで、いままで飲んだこともな

い甘い酒を飲んだ」と話したのです。男はトンボが寝ている間に、

不思議なことをしたことを聞き、トンボが飛んでいった方へ行って

みると、泉がわき出ていてトンボがたくさん飛んでいます。ちょっ

と飲んでみると、まさしく夢の中で飲んだ酒だったのです。



 夫婦は神さまからがお授けになったものだと喜び、この水を村の

人たちにも分け与えました。すると病人はたちまち治り、寿命が延

びるというありさま。この評判が広まり、大勢の人がここに引っ越

してきました。それからは、その人たちの米のとぎ汁で川が真っ白

になり、「米白川」の名がつきました。これがいまの「米代川」だ

そうです。



 その後夫婦はどんどん長者になっていきました。長者には秀子と

いう評判の美しい娘がおりました。このうわさは遠く京の継体天皇

(けいたい・第26代とされる天皇。在位507〜531)の耳に入り、

娘は吉祥姫と名を変え帝の妃になりました。夫婦は「長者」の称号

を与えられ、トンボ(だんぶり)のお陰で長者になったので「だん

ぶり長者」と呼ばれ、幸せに暮らしたということです。ただ、不思

議なこの泉の水は、長者や夫婦が亡くなると普通の水に変わってし

まい、いまはその旧跡だけが残っています(「旅と伝説」第十二巻

三号)。(※類話多し)。



 「オナメ・モトメ伝説」の後生掛の湯の東側に「ふけの湯」は、

子宝の湯として有名で、こどもが授からない女性が、浴衣一枚でム

シロの上に寝て、下からの蒸気で身を蒸(ふ)かす温泉。湯槽には

木製の金勢さまがたくさんあったところ。ここの祭りは毎年6月

9日、10日に行われ、とくに10日は「金勢大明神の祭典」が執り

行われ、山中にある「ふけの湯神社」めざし行列が登山します。



 行列は、烏帽子姿でほら貝を吹く人を先頭に、猿田彦なのか天

狗面の人と付き人がつづき、次に幣束を持った神主3人がならび

ます。その後には、白布につつまれた金勢さまをひとり一体ずつ

抱いた女性ふたりがつづき、その後は関係者役員、一般参詣者。

ふけの湯神社に着くと、金勢大明神に祝詞をあげ、金勢さまの白

布をとって奉納、あとはお神酒、お菓子が配られて式が終了。あ

とは出発した湯治場前の広場に帰り、仮装行列やのど自慢を楽し

むということです。



▼八幡平【データ】
【所在地】
・岩手県八幡平市各地区名(旧岩手郡安代町)と岩手県八幡平市
各地区名(旧岩手郡松尾村)、秋田県鹿角市と秋田県仙北市田沢湖
(旧仙北郡田沢湖町)との境。いわて銀河鉄道大更駅の西22キロ。
JR東北新幹線盛岡駅からバスで八幡平終点。二等三角点(1613.3
m)がある。地形図に三角点の標高の記載あり。三角点より南東3
05mにガマ沼、910mに八幡沼がある。

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・二等三角点:北緯39度57分28.14秒・東経140度51分14.69秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「八幡平(秋田)」



▼【参考文献】
・『あしなか・第7冊』「あしなか126輯」
・『角川日本地名大辞典5・秋田県』新野直吉ほか編(角川書店)
1980年(昭和55)
・『角川日本地名大辞典3・岩手県』高橋富雄ほか編(角川書店)
1985年(昭和60)
・「旅と伝説」三元社編(三元社)1939年(昭和14):「民俗学資料
集成」第十二巻三号(岩崎美術社)
・『日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本伝説大系2・中奥羽編』(岩手・秋田・宮城)野村純一編(み
ずうみ書房)1985年(昭和60)
・『日本歴史地名大系3・岩手県の地名』森嘉兵衛(平凡社)1990
年(平成2)
・『日本歴史地名大系5・秋田県の地名』今村義孝ほか(平凡社)1
980年(昭和55)
・『名山の民俗史』高橋千劔破(河出書房新社)2009年(平成21)

 

……………………………………

 

【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
……………………………………
 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

山旅通信【ひとり画展】題名一覧へ戻る
………………………………………………………………………………………………
「峠と花と地蔵さんと…」トップページ
【戻る】