山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼141号「北ア・立山雄山の伝説」

【概略】
立山雄山に建つ雄山神社に伝わる話。飛鳥時代の大宝元(701)
年、越中国司・佐伯有若の子・有頼が父の大切な白鷹を逃がしてし
まい追いかけて行くとそこには阿弥陀如来が…。霊異に驚いた有頼
は出家し、慈興と名のって立山を開き山ろくに社殿を建てたという。
・富山県立山町

▼141号「北ア・立山雄山の伝説」

夏山シーズンにはファミリー登山でにぎわう北アルプス富山県の立
山連峰。その雄山(おやま)にはりっぱな社殿が建っており、その
奥に、小石をいっぱい屋根にのせた本殿がのぞめます。

雄山神社は立山連峰の山岳信仰がもとになった神社で、雄山権現、
立山権現ともいうそうです。ここが本殿でふもとの立山町足峅寺(あ
しくらじ)池元尻に、祈願と佐伯有若(さえきありわか)公をまつ
る太宮、その子有頼(ありより)をまつる若宮があり、岩峅寺(い
わくらじ)岩坂には前立檀があります。

まつられている神は、天の岩戸開きで活躍の力持ち、おなじみの手
力男命(たぢからおのみこと)と、それに伊邪那岐命(いざなぎの
みこと「日本書紀」では伊弉諾尊)。神社に伝わる話では、大宝元
年(701)年というから飛鳥時代、あの大宝律令の年。

越中国司・佐伯有若の子・有頼が、父の大切な白鷹を逃がしてしま
い追いかけて山中をさまよっていました。その時あらあわれた熊に
矢を射ると、ナンとそこには阿弥陀如来が立っているではありませ
んか。

霊異に驚いた有頼は決心して出家、慈興(じこう・滋興とも)と名
のって立山を開き、山ろくに社殿を建てたという。雄山に登るには
室堂から一ノ越の十字路を北上します。

約1時間で雄山神社に到着。遠くに屋根に石をたくさん乗せた本殿
が望めます。しかしそこから先に行き、本殿で礼拝するには入場料
が必要なのですと。慈興さま、ご存知だったですかぁ。

▼【データ】
【山名】・神の山の御山が雄山に結びついた。

【所在地】
・富山県中新川郡立山町。富山地方鉄道立山駅の東22キロ。富山地
方鉄道立山駅からケーブル、美女平からバス、室堂から2時間30分
で雄山。一等三角点(標高2991.6m)と写真測量による標高点(30
03m)と雄山神社がある。地形図に雄山の山名と雄山神社に標高点
の標高と南方85mに三角点の記号とその標高の記載あり。

【位置】
・標高点:北緯36度34分23.49秒、東経137度37分04.38秒
・三角点:北緯36度34分21.23秒、東経137度37分2.85秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「立山(高山)」or「黒部湖(高山) 」(2図
葉名と重なる)

【参考文献】
・「角川日本地名大辞典16・富山県」坂井誠一ほか編(角川書店)
1979年(昭和54)
・「古代山岳信仰遺跡の研究」大和久震平著(名著出版)1990年(平
成2)
・「山岳宗教史研究叢書10」(名著出版)1977年(昭和52)
・「修験の山々」柞(たら)木田龍善(法蔵館)1980年(昭和55)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「富山県山名録」橋本廣ほか(桂書房)2001年(平成13)
・「日本歴史地名大系16・富山県の地名」高瀬重雄ほか(平凡社)
1994年(平成6)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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