山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼135号「南房総・高塚山の風神雷神」

【概略】
眼下に太平洋の荒波が踊る高塚山。妙高山大聖院の奥の院で秋葉山
大権現もまつる。その山門は風雷門といい、仁王門はユニ−クな風
神雷神。お腹をふくらませイバっている。文政3年の奉納明治44
年補修という石碑。人影がないかわりにカラスの大集団に見舞われ
た。
・千葉県南房総市

▼135号「南房総・高塚山の風神雷神」

【本文】
 晩秋から花咲く南房総。その突端白浜近くに高塚山という山がありま
す。高塚山に限らず「塚」のつく山が多くありますが、一般的には塚とは
祭壇として、人工的に盛りあげた小さな丘や丸山をいうとの説もありま
す。

 神霊をまつる場所としてあがめられ、潔斎場、遥拝場に使われることも
あるところ。そこから転じてドームのような丸い山を指すようになったそう
です。別称:妙高山。

 聞きかじりによれば、ここは亜熱帯照葉樹林の北限地。そのせいか遠
く沖縄の自然林と構成が似ていて、氷河期でも緑におおわれていたとさ
れるところ。山頂は妙高山大聖院の奥の院で秋葉山大権現もまつってあ
ります。

 自然環境保全地域でもあり、眼下には太平洋の荒波が踊っていま
す。その山門は風雷門といい、仁王のかわりにユニ−クな風神雷神。お
腹をふくらませてイバっています。

 明治19年(1886)に内務省地理局が出版した『大日本国誌、第3巻
(安房)』に、「高塚山 朝夷郡ニ在リ、高大約六百七拾尺老樹鬱蒼タリ、
山上不動尊アリ又風雷二神ノ木像及石像ヲ置ク形容共ニ奇古ナリ此山
甚タ高カラズト雖モ衆小山ノ中ニ屹立スルヲ以テ四顧眼ヲ遮ルモノナク
眺望最モ開潤ナリ」とあります。

 「風雷二神ノ木像及石像ヲ置ク」とあるところを見ると、木像のものもあ
ったのでしょうか。この風神雷神像は、江戸時代の文政13年(天保元・
1830)に、長狭郡平塚村(いまの鴨川市平塚地区)に住む百姓、三木甚
右衛門、古谷伊兵衛ほか3人により奉納されたと説明文にあります。

 しかし文書によってはこの人たちが自ら彫刻したとも、彼らは石工だっ
たと書いてあるものもあります。どっちでも構いませんが。ただどう見ても
素人が彫ったものとは思えない味わいがあります。この山は地元の漁師
たちの間では、漁場の「あて」に利用する大切な山で、古くからの信仰の
山だったらしい。

 ここに祭られている不動さまは、鎌倉時代初期の和田合戦をおこした
張本人である和田義盛の三男・朝比奈義秀(あさひなよしひで)の祈願
所だったされています。義秀は安房国朝夷郡(千倉)を領地としたことで
朝比奈を苗字とするという。

 父・和田義盛が北条氏打倒を企てて起こした「和田合戦」で、最もめざ
ましく奮戦した武将。ちょっと横道にそれますが『吾妻鏡』に次のように書
かれています。

 鎌倉時代の建暦3年(1213)、「五月小 二日、壬?(寅)(みずの
えとら)、筑後左衛門の尉朝重義盛が近隣に在り。而るに義盛が館に
軍兵競い集まる。……、酉剋、賊徒遂に幕府の四面を囲み旗を靡かして
箭を飛ばす、……、上総三郎等防ぎ戦ひ、兵略を盡くす、而るに朝夷名
三郎義秀惣門を敗り、南庭に乱れ入り、籠る所の御家人等を攻め討ち、
剰(あまつさ)へ火を御所に縱(はな)ち、郭内室屋一宇を残さず焼亡す、
……。

 利剣刃を曜(かがやか)す、就中義秀猛威を振ひ、壮力彰(あら)は
す、既に以て神の如し、彼に敵するの軍士等、死を免かるる無し、……、
朝夷名三郎義秀(三廿八)、并びに数率海浜に出で、船に掉(さおさ)し
て安房国に赴く、其勢五百騎、船六艘と云々」とあります。

 早い話が、鎌倉時代の建暦3年(1213)5月2日酉の刻、朝比奈義秀
や父の和田義盛たち和田勢はひそかに大倉御所を囲み、一斉に攻めよ
せ御所に火を放ち、警護する武士たちと攻防になりました。

 和田勢側で最も奮戦したのは朝比奈義秀で、外囲いにある大門を打
ち破って南庭に乱入して、幕府方の武士を次々に斬り倒したという。「神
の如き壮力を明らかにし、彼に敵する軍士に死を免れる者無し」と、『吾
妻鏡』が称賛するほど。

 のち朝比奈義秀はこの場を脱し、兵500騎、船6艘とともに安房国へ
逃れたと書かれています。山門で早速帽子をとり一礼、スケッチをはじめ
ます。人影は全くありません。人影がめずらしいのか食べ物をねだりにき
たのかカラスが集まり大騒ぎ。描きおわるまで合唱を聞かされるのであり
ました。

▼高塚山【データ】
【所在地】
・千葉県南房総市(旧安房郡千倉町)。JR内房線千倉駅から白浜行きバ
ス七浦小学校下車、歩いて30分で高塚山。写真測量による標高点(216
m)と妙高山大聖院の奥の院がある。
【位置】
・標高点:北緯34度56分14.83秒、東経139度56分25.5秒
【地図】
・2万5千分の1地形図:「千倉(横須賀)」
【山行】
某年11月3日(木曜日・快晴)

▼【参考文献】
・『吾妻鏡』(岩波文庫4)龍粛訳注(岩波書店)1997年(平成9)
・『角川日本地名大辞典12・千葉』川村優ほか編(角川書店)1984年
(昭和59)
・『コンサイス日本山名辞典』(三省堂)1979年(昭和54)
・『大日本国誌 第3巻 (安房)』(内務省地理局出版)明治19年
(1886)。国立国会図書館デジタルコレクション
・『房総山岳志』内田栄一(論書房出版)2005年(平成17)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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