とよだ 時・山岳ゆ-もぁ画
山旅漫歩゚【ひとり画通信】

▼126号 東北・飯豊連峰五子王伝説

飛鳥時代、知同和尚と役行者が初登頂。まるで飯を盛ったような形
の山だとし、飯豊山と名づけ、五子王を祀ったと飯豊山神社の社伝
にあります。五子王とは越王のなまったものだそうです。古四王、
腰王などともいう「日本書紀」に出てくる朝廷の将軍です。飯豊山
神社は会津藩の厚い保護を受けたという。

・【本文】

東北山形・新潟・福島県にまたがって飯豊(いいで)連峰という山
脈があります。飯豊(いいで)とは「豊かな飯」と書きます。飛鳥
時代、孝徳天皇の白雉(はくち)3年(西暦652)の大昔、知道和
尚と役小角(役行者)が初登頂といわれ「まるで飯を盛ったような
形の山だ」というので飯豊山(652年「会津正統記」)と名づけ、五
子王(ごしおう)を祀ったと飯豊山神社の社伝にあります。

五子王とは、越王(こしおう)のなまったもので大彦命(おおひこ
のみこと)のことだそうです。古四王、腰王などともいう「日本書
紀」に出てくる朝廷の将軍です。そのほか山名については、新潟県
側に温泉があり、湯が出るので湯出(ゆいで)と呼ばれました。

また福島県白河市にあったとされる飯豊山と同じように豊岡姫命
(とよおかひめのみこと)や飯豊青尊(いひとよあをのみこと)に
ちなむなどとの説があるそうです(『陸奥国風土記』逸文)。

また同『陸奥国風土記』逸文にはこんな記述もあります。「陸奥(み
ちのおく)の国の風土記に曰(い)はく、白川(しらかは)の郡(こ
ほり)。飯豊山(いひとよやま)。此の山は、豊岡姫命(とよおかひ
めのみこと)の忌庭(ゆには)なり。又、飯豊青尊(いひとよあを
のみこと)、物部臣(もののべのおみ)をして、御幣(みてぐら)
を奉(たてまつ)らしめたまひき。故(かれ)、山の名と為(な)
す。

古翁(ふるおきな)の曰(い)へらく、昔、巻向(まきむく)の珠
城(たまき)の宮に御宇(あめのしたしろ)しめしし天皇(すめら
みこと)の二十七年、戊午(つちのえうま)のとし、秋(とし)飢
餓(う)ゑて、人民(たみ)多(おほ)く亡(う)せき。故(かれ)、
宇恵々山(うゑゑやま)と云(い)ひき。後、名を改めて豊田(と
よだ)と云(い)ひ、又飯豊(いひとよ)と云ふ(「大善院舊記」)。

飯豊もまた修験道の山。山頂の東側500mにある飯豊山神社は五社
権現といい、会津藩の厚い保護を受けてきました。そのため三国岳、
飯豊山、御西岳の稜線は特別神域ということで山形、新潟の間に福
島県が細長く入りこんだ形になっています。

ちなみにこの山は飯豊山(いいでさん)のほか、飯豊本山(いいで
ほんざん)、飯出山、四季山とも書かれます。四季山とは、江戸時
代1809(文化6)年編纂の「新編会津風土記」に「…四時雪有て、
寒気甚しく、七八月の間登山するも桜花を見、杜鵑を聞き黄葉を踏
み四時の風物一時の佳観に入る、里俗四季の山と称するもさること
にや…」とあり、夏に登ると万年雪やお花畑があり、さらに風は秋
を思わせるように冷たく、一度に春夏秋冬の気を味わえるというの
で信者たちは四季山といったそうです。

また「…此山に「みやませうびん」と称する鳥あり、頭背腹脇共に
赤く嘴と足と最赤し、大きさ鳩の如ごとく、其声大豆を転するに似
たりとて里俗菽転(まめころばし)ととも名く、此鳥鳴ときは必雨
ふるととて雨乞鳥とも云…」(同書)と、奇妙な鳥のことも出てい
ます。

▼飯豊本山【データ】
【所在地】
・御西小屋までは福島県喜多方市山都町(旧耶麻郡山都町)。それ
から先は山形県西置賜郡小国町(合併なし)と新潟県東蒲原郡阿賀
町(旧東蒲原郡鹿瀬町)との境。磐越西線山都駅の北25キロ。JR
磐越西線山都駅かタクシー・川入りからのべ8時間30分で飯豊本
山。一等三角点(2105.1m)がある。地形図に山名と三角点の標高
の記載あり。

【位置】
・三角点:北緯37度51分17.59秒、東経139度42分25.45秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「飯豊山(新潟)」

【参考】
・「新編会津風土記・第2冊」(雄山閣)1932年(昭和7)(1809(文
化6)年編纂)
・「東北の山岳信仰」岩崎敏夫(岩崎美術社)1996年(平成8)
・「飯豊山の修験道」中地茂男(「山岳宗教史研究叢書・7」(名著
出版)1977年(昭和52)所収
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『陸奥国風土記・逸文』:『風土記』秋本吉郎(岩波書店)1993年
(平成5)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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