山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼119号「房総・鹿野山の阿久留王(あくるおう)」

【概略】
房総の鹿野山には日本武尊に征伐されたという鬼・阿久留王の墓が
あります。鹿野山の名はもともとは金属が生まれる意味の金生(か
のう)からきており、鹿野山は鉄の山だという。その製鉄部族の王
が阿久留王だという。製鉄の神として毎月1回尼さんの読経の前で
地元の製鉄関連の会社が供養しています。
・千葉県君津市

▼119号「房総・鹿野山の阿久留王(あくるおう)」

神話の日本武尊伝説は、征伐する話ばかりで、された側は鬼や悪神
ぐらいで片づけられています。しかし、鬼はもともと隠れて見えな
いものをいうオヌ(穏)の転化。

また「オ」は丁寧語の御、「ニ」は尊敬畏怖を表すという。つまり、
大和朝廷からみて、見たことのない強くて怖い地方部族は「鬼」と
いうことになるわけです。

以前、トラ騒動で有名になった房総の鹿野山(379m)には、日本
武尊に征伐されたという阿久留王の墓があります。やはり鬼だとさ
れ、神野寺の裏崖の下の杉林の中にあります。

鹿野山は鹿に由来した名前になっていますが、もともとは金属が生
まれる意味の金生(かのう)からきた鉄に関係した山だという。そ
の製鉄部族の王が阿久留王だという。

この王は北麓の六手地区(君津市)の出身という。地方の部族の王
は「鬼」として象徴されます。この阿久留王(六つの手・指のこと
か)は鬼とされ日本武尊と戦うことになります。

大和武尊は製鉄部族をねらって平定して歩いていたと聞きます。大
和武尊との戦いで敗れた王は、西方の鬼泪山まで逃げ、涙(泪)を
流して命乞いをしましたが、武尊は許さなかったという。

そこで相当なことがあったらしい。その証拠には鬼泪山北麓を流れ
る染川(血染川)は、王一族の血が三日三晩流れ続けた川。それが
腐敗してそそいだ所が東京湾の千種浦(血臭浦・ちぐさうら・富津
市千種新田)だとしています。

染川の水源は鹿野山の春日峰の蛇堀で、常に白蛇が棲み里人は近寄
らぬという。なるほど日本武尊は各地の製鉄部族をねらってまわっ
たとも聞きます。

製鉄部族の王である阿久留王は製鉄の神でもあります。毎月1回、
地元の製鉄関連の会社が供養しています。

6月のある日、道路わきいっぱいに車やマイクロバスがならび、大
勢の人たちのならぶ前で神野寺の尼さんの読経。それに会わせて代
わる代わる焼香をしています。

聞けば近くのヤマトタケルを祭る白鳥神社を上総一ノ宮にあるナン
トカ神社の計三カ所を毎月一日「安全祈願」に訪れるといいます。
尼さんや宮司を頼み三ヶ所も祈願、供養をするには一日がかりで、
まずその日は仕事になるまい。

しかもこんな大勢で毎月とは。「きっとよほどのご利益があるんじ
ゃないか。エライ人に聞かないとわからないけど」とマイクロバス
の運転手。やはり、阿久留王は、製鉄の神だったのです。


▼【データ】
【所在地】
・千葉県君津市。JR内房線佐貫町駅からバス30分で鹿野山下車、
歩いて20分で阿久留王の塚。地形図になにも記載なし。

【位置】
・阿久留王の墓:北緯35度15分27.38秒、東経139度58分02.96秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「鹿野山(横須賀)」(国土地理院「地図閲
覧サービス」から検索)。

【参考文献】
・「角川日本地名大辞典12・千葉」川村優ほか編(角川書店)1984
年(昭和59)
・「鹿野山と山岳信仰」岡倉捷郎(崙書房)1988年(昭和63)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「房総志料続篇」:(「房総叢書・6」(房総叢書刊行会)1941年(昭
和16)
・「山岳宗教史研究叢書・8」宮田登・宮本袈裟雄編(名著出版)1979
年(昭和54)
・「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・「房総の伝説」(日本の伝説・6)高橋在久ほか(角川書店)1976
年(昭和51)
・「民間信仰辞典」桜井徳太郎(東京堂出版)1984年(昭和59)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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