山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼115号 「北八ツ・蓼科山の蓼科神社と棒道」

【概略】
その形が富士山に似ているため諏訪富士とも呼ばれる蓼科山。山か
らしぼり出る水がふもとの村々を潤すので井戸の神とする高井明神
をまつってあります。
昔から富士山に似ていてよい目じるしになり、武田信玄も軍事目的
の棒道を山ろくに作っています。江戸末期の本にはライチョウがい
たとの記録もあるそうです。
・長野県立科町と茅野市との境

▼115号「北八ツ・蓼科山の蓼科神社と棒道」

八ヶ岳連峰の一番北にそびえる端正な形の蓼科山(2530m)。その
形から諏訪富士とも呼ばれています。また、高井山とか飯盛山、位
山などの異名もあります。

高井山とは高い井戸のことだそうです。蓼科山からしぼり出る水が
ふもとの村々を潤すため、山そのものを井戸の神として高井明神(い
まは蓼科神社に改名)という神をまつり、山頂に奥宮の祠を建てて
あります。

また、鷹がたくさんいるため鷹居山だとの説もあります。位山は神
のすわる場所・座(くら)のある山のなまったもので、それほどに
高い山という意味といいます。

蓼科山は富士山に形が似ていて、どこからもよい目じるしになりま
す。大和時代には、北側山ろくの雨境峠から瓜生坂に官道・東山道
が通り、室町末期にも武田信玄が軍事目的の棒道を南西側山ろくに
作っています。

甲州を出発した武田勢は諏訪に入り蓼科山を目じるしに北上、信濃
攻略に向かったといわれます。信玄を先頭に軍師山本勘助たちが進
軍して行ったのでしょうか。

ある年の8月、お盆休みを利用して蓼科山に登山。山頂は360度の
展望です。でっかい岩がゴロンゴロンとしていて、東西南北の景色
を見るにも岩の間を縫うように山頂の端っこまで歩きます。

景色を楽しんだあと、大岩に寝転がって流れる雲を眺めることがで
きました。江戸末期の本にはライチョウもいたとの記録もあります。

▼【データ】
【山名】たてしなやま。異名:立科山(たてしなやま)、諏訪富士
(すわふじ)、高井山(たかいやま)、飯盛山(いいもりやま)、位
山(くらいやま)。

【所在地】
・長野県北佐久郡立科町と同県茅野市との境。JR中央線茅野駅か
らバス・親湯入口から歩いて4時間30分で蓼科山(標高2530.3m)。
一等三角点と蓼科神社の奥宮がある。地形図に山名と三角点の標高、
蓼科山頂ヒュッテの記載あり。

【位置】
・三角点:(標高2530.3m、一等三角点)。【緯度経度】:北緯36度06
分13.42秒、東経138度17分42.23秒(電子国土ポータルWebシステム
から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「蓼科山(長野)」(電子国土ポータルWebシ
ステムから検索)。5万分の1地形図「長野−蓼科山」

【参考】
・「角川日本地名大辞典20・長野県の地名」市川健夫ほか編(角川
書店)1990年(平成2)
・「信州山岳百科・2」(信濃毎日新聞社)1983年(昭和58)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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